583+

[説明・注意書き]
・3年生設定&付き合ってる設定で、部長&副部長の日鳳が後輩にキスシーンを目撃されてウワサされたりする話です。
・名無しモブ後輩男子がちょっとだけ出てきます。
・R15相当の性描写を含みます。

この絵のイメージで書いたものです。)

ほうかごの光


 午後一時、昼休み。大勢の生徒でにぎわうカフェテリアの喧騒の中から、その声は聞こえてきた。

「なあ、お前あのウワサ聞いた? 日吉部長と鳳副部長がデキてる、とかいう……」
「えっ、マジで!?」

 ぎょっとして足が止まる。声の発生源を突きとめようと周囲を見回す俺の背後で、鳳が俺以上にうろたえているのがわかった。

「正レギュラー用の部室でキスしてるとこ、見た人がいるんだってさ」
「へー……なんか意外だな。たしかに仲はよさそうだけど」

 セルフサービスのドリンクバーの前で立ち話をしている一年生が、声の出どころらしかった。新入部員の中でもとくに真面目で、入部以来の上達が著しい二人組だ。

 根も葉もない噂であれば文句をつけにいくところだが、根も葉もあるから何も言えない。いったいいつそんな場面を目撃されていたのか、正直心当たりが多すぎて逆に見当がつかない。

「……日吉」

 背後からの声に振り返る。鳳はあからさまに動揺の顔をして、デカい手で俺のブレザーの裾を引っぱった。

「も、もう戻ろう? あの二人に気づかれても気まずいし……」
「……ああ」

 きびすを返して出口へ向かう。しかし噂話はまだ続いていて、耳はついその声を拾ってしまう。

「でもさー、男同士ってことは……ど、どっちが女役なのかな?」
「やっぱ部長のほうじゃね? 副部長、すげーデカいし」
「あ、やっぱり? 俺もそう思った!」

 さっきとは別の理由で、足が止まる。そそくさと立ち去ろうとする鳳の横で、自分の体はふたたびUターンし、問題の一年生たちのもとへと歩きだしていた。

「ちょ、ちょっと日吉……」

 制止の声を無視して、二人の背後に歩み寄る。俺より頭ひとつぶんは小さいその後ろ姿に、

「おい」

 と声をかけた瞬間、二人はものすごい勢いでこちらを振り向いた。

「……ぶっ、部長……」

 二人の手に持たれたグラスの中で牛乳が揺れ、それと同じくらい声も揺れていた。二人はおびえた様子で顔を見合わせたあと、示し合わせたかのようなシンクロぶりで頭を下げた。

「ごっ、ごめんなさい!」
「え」
「その、俺たち無責任なウワサで勝手に。すみません!」
「し、失礼しましたっ!」

 大声が続けざまに飛んできて、口を挟むスキもない。面食らっている俺を残して、二人は牛乳のグラスを持ったまま一目散に走り去っていった。

   ***   

 部室の窓から、日没間近の弱い光が落ちてくる。手の中の書類を紫のような、ピンクのような色に染め、文字をぼやけさせる。

 さすがに暗いなと思った瞬間、パチンと音がして部屋が明るくなった。顔を上げると、備品のカゴを抱えた鳳がドアの脇に立っていた。

「もう……ちゃんと明るくして読まないと。視力、また悪くなるよ?」

 母親のような小言を言い、収納棚の一角にカゴを収めると、鳳は俺の横に腰を下ろした。

 めずらしくジャージの上衣を着ていない鳳は、髪も服も靴下もシューズも、頭のてっぺんから爪先まで全部が白い。黒いカバーをかけたソファの上に座っていると、その白さが際立った。

「……あのさ、日吉。さっきのことなんだけど……」

 ついさっき部活中に、連絡ミスのトラブルがあった。だけど遠慮がちに発された声があまりにも弱々しかったから、「さっき」がその件を指しているのでないことはすぐにわかった。鳳の気弱は一生変わらないだろうが、相手が俺で、しかも部活の問題となれば、学級会の小学生程度には遠慮なく物を言ってくるのだ。

「なんだよ。ハッキリ言え」
「えっと、昼休みの……。一年生を威圧するような態度は、よくなかったと思って」
「……」
「もとはといえば部室で、その……あんなことをしてる俺たちが悪いんだし。俺、明日あの二人に謝っておくからな」

 そう言って、鳳は腿の上に置いた両手をギュッと握り込んだ。

「いや、なんで俺がやったことをお前が謝るんだよ」
「だって俺、副部長だから」
「今は関係ないだろ、それ。だいたい、俺は声をかけただけだ。あいつらがビビりすぎなんだよ」
「それはしょうがないよ。日吉、怖いもん」

 要らないところで気をつかってばかりのクセに、こんなことを言うのには躊躇がない。柔和すぎる鳳が隣にいるせいで自分の無愛想がいっそう強調されることを、俺だってまったく気にしていないわけではないのだが。

 ガラステーブルに書類の束を置いて、天板から反射してくる照明の光のまぶしさにフタをする。練習が終わってから小一時間、細かい文字を読み続けていたせいで、眼球に重たい疲労が溜まっていた。

「つーか、べつに威圧したわけじゃねえ。訂正しようと思っただけだ」
「訂正? って、何を?」
「……俺のほうが女役だとか抜かしてたろ、あいつら。クソ、体格だけで勝手に決めつけやがって」

 あの一年生たちの無邪気な声を思い出して、いらだちがよみがえる。逆にいえば体格以外の要素は皆無のはずなのに、それはそんなに決定的なモノなんだろうか。

「言ってたっけ、そんなこと」
「聞こえてなかったのかよ、お前。耳、いいんじゃなかったのか」
「や、俺とにかく動転しちゃって、ちゃんと聞いてる余裕なくて。……っていうかさ」

 腿の上の拳がゆるむ。きょとんとして丸くなった目から、俺の目元に視線が下りてくる。

「女役、って何? 俺、そういうの全然気にしてなかったんだけど……なにか女の子っぽいこととか、したほうが日吉はうれしい?」

 どう答えたものかと言葉に詰まる俺の前で、鳳は続けた。

「でもその……たとえばバレンタインに俺からチョコを渡すとか、それくらいのことならできると思うけど、それ以上は自信ないっていうか。俺みたいにデカい男がかわいこぶったりしても、気持ち悪いだけだろうし……」
「……いや、そういう意味じゃねーだろ」

 演技めいたことを求めているわけじゃない。どっちが挿れられる側かというシンプルな問題の、それはただ便宜的な表現にすぎない。

 もちろん俺たちはまだ中学生で、そんなことまで経験はないけれど、どうしたって想像してしまうし知識もついてしまった。しかし鳳のほうはそうじゃないらしいという事実を目の当たりにさせられて、なおもいらだちが増していく。

「そういう意味じゃない、って……じゃあどういう意味?」
「……だから、こういう意味だよ」

 ソファの上で膝立ちになって、鳳の体を背後に押し倒す。いよいよ百九十センチの大台に届くかという長身の巨体は、でもいつもあっけなく俺に倒されていく。肘掛けに落ちたその背に右手を回し、左手で頬をつかんで迫ったら、色も毛質も違う髪と髪が鳳の額の上で交ざった。

「お前のほうが、俺にっ……だ、抱かれる側だってことだろ」
「だっ……」

 肝心なところで声がつっかえて、われながら格好が悪い。言葉の続きをのみこんだ鳳は、俺の顔のすぐ下で目を白黒させていた。いたたまれない沈黙が続くほど、ソファの上でぴったり密着して重なった体と体が互いに熱を分け、状況に反して穏やかに溶け合っていった。

 さっきまでは聞こえてもいなかった時計の秒針の音が突然、うっとうしく耳を打ってくる。自分の発した言葉が頭の中に反響して、羞恥に身がほてる。イヤな汗が流れる。鳳は俺の腕の中で身を固めたまま、動揺らしき顔をして押し黙り続けている。

 ——なんか言えよ。イヤならイヤでいいから、お前からなんか言え。

 祈る思いだったけれど結局、沈黙が破られることはなく、俺の忍耐のほうが先に音を上げた。

「……いや、その。もし鳳がイヤだっていうなら無理強いはしない、……けど譲る気もないっつーか……」

 たどたどしく泳いだ俺の言葉に、鳳は虚をつかれたように目を張った。それからふいに表情をゆるめ、ようやく口を開く。うすく開かれた唇のすきまから熱い吐息がひとつ、もれて俺の唇にかかる。

「……やっ、ヤじゃないよ、俺」
「え」
「イヤじゃない。……っていうか、うれしい……」

 なめらかな頬が赤く染まる。言葉を発し終えた唇が、幸福そうなカーブをえがきながら閉じていく。それは本当にうれしそうな表情の動きだったから、俺は胸が熱くなりすぎて、傷ついた気さえした。声を出せずに固まっていると背中に鳳の手が乗ってきて、その手はまるきり俺を欲しがるような、切なげな力で背や腰を撫で回った。

「……お前、意味わかって言ってるのかよ」

 あんなふうに言われて「うれしい」なんて、俺に抱かれたいって告白しているのと同じことだ。

 鳳は小さくうなずいた。

「わかってるよ。……たぶん、なんとなく、だけど」

 ——もしかしたら今も、部屋の外から誰かが覗き見ているのかもしれない。

 そういう懸念が一瞬頭をよぎったけれど、一瞬だった。脳の回線を焼き切られたように思考が飛んで、気づいたら目の前の唇に自分のそれを押しつけていた。

「んっ……」

 体のデカさと声の甘たるさが合ってない。背中を抱きしめてくる両腕の力が強すぎて痛い、のに快い。自分の下に横たわる白い体に対して、自分のものじゃないような貪欲な渇望がわいてきて、バカみたいに何度も何度もキスをくりかえした。初めてってワケでもないのに、初めてのときに感じたのと似た緊張と高揚で胸がどくどくと鳴っていた。

 初めてってワケではないから、息継ぎの要領くらいはもう体が覚えていた。だけど鳳のほうはまだ慣れていないのか、やがて苦悶めいた声を上げながら俺の背を叩き始め、それでも離れないでいると俺の体を両手で強引に押して引きはがした。

「っ……と、ちょっと待って、日吉……」

 はあはあと荒れた呼吸に合わせて、ぶあつい肩がせわしなく上下する。真っ赤になった頬の上を、涙か汗かのしずくが滑り下りていく。苦しげに伏せられたまぶたのすきまから、眼の表面が濡れているのが見える。

 ——コイツのこんな姿を見れば、あの一年生たちだってあんな勘違いはしないはずなんだ。

「……だめだよ日吉、ここ部室で……。また誰かに見られてウワサされたら」
「いいだろ、もう。どうせバレてるなら一回も二回も変わんねー」
「かっ、変わるだろ絶対! っていうか俺、もう——

 なにか言いかけた鳳にふたたび覆いかぶさって、今度は耳元に唇をよせる。血の色を透かした耳を軽く食むだけで、俺に組み敷かれた体がびくりと跳ねる。ソファがきしむ。

「ぁ、っ……ひ、日吉、ほんとにもうやめて」
「……んだよ。お前が言ったんだろ、『うれしい』って」
「それはそうだけど……っ」

 耳に、首に、髪の生え際に、休みなくキスを食らわせていく。うわずった高い声がいくつも上がる。ちょっと触れるたびにいちいち甘い反応が返り、俺の体をじわりと熱くする。ジタバタともがく鳳の脚が俺のそれにからみついてきて、ぶっとい木の枝みたいな骨のかたちも、筋肉の凹凸までも感じとれる。もっともっと欲しくなる。強烈に。

「はぁ、っ……」

 熱い息が手首にかかって皮膚を湿らせた。うれしい、と言ったときの鳳の恍惚とした表情が脳裏によみがえり、激しい興奮が血に混じって凄い速さで全身を一巡した。いつか。いつか俺たちが子供じゃなくなったら、そのときは。

「……前言撤回とか、絶対させないからな。自分が言ったこと、その日までちゃんと覚えとけよ」
「わっ、わかってるから……」

 ふぬけた声で答えて、鳳はまた両腕で俺の体を退けた。声はふぬけているくせに腕力は強い。部室のドアのほうを振り返ってみたけれど、ガラスの小窓の向こうに人の気配は感じられなかった。

「べつに誰も見てねーぞ」

 ……とりあえず今は。と心の中だけで付け足した俺の前で、鳳はのろのろと上体を起こし、深く長い息を吐き出した。

「……そうじゃなくて……。俺、その、」
「なんだよ」
「……た」

 と、鳳はなにかを言い淀んだ。「た」?

「たっちゃったから、これ以上はもう」
「え」

 たっちゃった、を脳が漢字変換するより早く、鳳の白いハーフパンツの前面にできた不自然な山が目に入る。瞬間、口の中いっぱいに唾がわいた。飲み込んでも飲み込んでも追いつかなかった。

「……ごめん、俺、こんなんで」
「い、いや別に……謝る必要ないだろ。生理現象だし……」
「うん……でも」

 そこで言葉を切って、鳳は下腹部を隠すように膝を抱えた。ソファの座面にシューズの裏をつけるなんて、普段のコイツなら憚りそうな行動だった。

「俺、日吉にあんなこと言われて、一瞬でいろいろ想像して興奮しちゃって。……だからこれは純粋な生理現象じゃなくて、俺の下心、っていうか」
「え……」
「……ホントにごめんっ! 俺、トイレ行ってくる!」
「えっ」

 展開が早すぎて頭がついていかない。俺の脳のパニックが収まるより早く、鳳はソファから立ち上がって逃げるように部室を出ていった。

「……いや、マジかよ……」

 一人きりになった部屋の中で落とした言葉が、誰に受けとめられることもなく消えていく。

 黒いソファのカバーの上に、まだぬくもりの名残があった。体に溜まった熱をもてあましたまま、俺は途方にくれた。しばらく途方にくれてから、部室を出ていちばん近いトイレに入った。トイレ、というより百貨店の“化粧室”みたいな、やたらめったら瀟洒にしつらえられた空間の中に、ひとつだけドアを閉められた個室があった。

 心臓が暴れるように鼓動を打って、痛いくらいだ。息をひそめて近づき、耳をそばだてると、ドアの向こうからはひどく生々しい音が漏れ聞こえてきた。

 速すぎる息。シュ、シュッと肉をしごく音。

「……鳳。開けろ」

 声をかけると、ドアの向こうの空気が張りつめるのがわかった。

「やっ、やだよ。絶対開けない」
「お前、俺に抱かれる妄想で勃ったんだろ。なら俺にヌかせろよ」
「そっ……れは、そうだけど……今はダメ、まだ心の準備が」
「じゃ、十秒待ってやる。さっさと準備しろ」
「そ、そんな短時間でできるわけないだろ!」

 ドアにかけられた鍵が、気弱だが頑固な鳳の頑固さに加勢する。鉄壁のロックに守られた鳳は一歩も引かず、応酬は平行線をたどった。

「……フン、そうかよ。そこまで言うならこっちが折れてやってもいいが」
「『いいが』?」
「お前が出てくるまで、俺もここから動かないからな」
「え……」
「さっさと処理して出てこい。そろそろ校門が閉まるぞ」
「……」

 拒んでも無駄と悟ったのか、鳳はもう何も言わなかった。ドアの向こうで、例の生々しい音がふたたび起こり始める。

 ドアに寄りかかって目を閉じる。どんどんエスカレートしていく音を聞きながら、想像する。このドアの向こうの光景を。俺に抱かれることを想って自らを愛撫している男が今、どんな顔をしているのかを。

 速い息がますます速くなっていく。押し殺されていた声はしだいに甘い輪郭を持ち始め、切れ切れに上がるその喘ぎの中に時々、日吉、と俺を呼ぶ声が混ざる。こっちの息まで深くなり、俺は思わず自分で自分の身をギュッと抱きしめていた。そうやって力を逃がしても、衝動は手に負えないほど有り余った。

 ガタン、と鈍い音がたつ。空気が固まる気配。

「っ……あ、や、日吉っ……」

 瞬間、固まっていた空気が弾け——カラカラカラとトイレットペーパーを引っぱり出す音が聞こえたあと、ドアの向こうはゆっくりと静まり返っていった。

   ***   

 午後一時、昼休み。カフェテリアはあいかわらずの盛況だ。

「なあ、お前あのウワサ聞いた? 日吉部長と鳳副部長が……」
「デキてる、って話だろ? もうとっくに部員みんな知ってるぞ、それ」
「ちっげーよ、その続報だよ! 女役は部長じゃなくて、副部長のほうだったっていう……」
「えっ、マジで!?」

 ——あれから数日。俺たちについての噂話は、事実に即して内容が更新されていた。

「部長本人が大声で宣言してるとこ、見た人がいるんだってさ。部室のソファの上で、二人でずーっとイチャイチャしてたって」
「へ~。なんか意外だけど……日吉部長って、そんなところでも下剋上なんだな」
「あ、やっぱり? 俺もそう思った!」

 無邪気な声で盛り上がりながら、一年生たちは窓際の席についた。

「……」

 どちらからともなく目を見合わせて、ふたり同時にため息をつく。あの痴態を他人に目撃されていたのだと思うと、もはや開き直るよりほかになかった。鳳も先日とは違い、カフェテリアから出ていこうとはせず、スプーンでスープをすくい上げながら「よかったじゃん日吉、誤解がとけたみたいで」と皮肉まで口にした。

「……いや、新しい誤解が生まれてるだろ」
「え、何? 新しい誤解って」
「俺はお前より下だったことなんて一度もない。だからこれは下剋上じゃない」
「……あ、そう」

 鳳は呆れ顔でため息を重ね、スープを口に運んだ。

 自分より強い者に剋つことが、唯一にして至上の価値だ。討ち取るべき強者はいつも、鋭くまばゆい光の中に君臨し、あまりにも魅惑的に俺を支配する。王座を奪った先にだけ、俺の光がある。

 幼いころからずっと、それ以外に俺の原理は無い。——なのに。

「……俺、この先どんな顔して後輩と話せばいいんだろう……」
「それとこれとは関係ないだろ。部活中にはきっちり役目を果たして結果も出してるんだから、無関係なことで引け目を感じる必要はない」
「いや、それはたしかに正論だけどな!? 正論だけで気持ちを片付けられるほど図太くないんだよ、俺は日吉と違って!」
「……じゅうぶん図太いじゃねーか、その言い草」

 うざったいくらい神経が細いくせに、ときどき妙にふてぶてしい。剋ちたい、とかは、べつに思わない。もちろんテニスの腕比べやら練習試合やらで負けてやる気はないが、それは勝敗の問題であって勝負の問題ではない。

 そんな相手なのに、どうしてか欲しいと思ってしまった。どうしても欲しいと思ってしまった。目を潰されそうになるほどの強い輝きとは違う、白く澄んだ明かりを共に目指すのも悪くないと知って。

「……だいたい、俺は途中で止めたのにさ。日吉が強引にするから……」
「お前、人目を気にして止めたわけじゃないだろ。勝手にみっともなく勃っ——
「いっ、言うなよ! こんなところでそんなこと!!」

 大声とともに身を乗り出した鳳の背後遠くで、窓際の席に座っている一年生たちがこちらを振り返る。一瞬だけ目が合って、すぐにそらされた。

「……おい、気づかれたぞ。お前の大声のせいで」
「えっ」
「ったく、自分から墓穴掘りにいってりゃ世話ないな」
「……ご、ごめん……」

 タテにもヨコにも大きい体が、しゅんとしおれて縮こまる。俺より背が高いくせに、上目になって俺を見る。「俺みたいにデカい男がかわいこぶったりしても気持ち悪いだけ」とか言っていた鳳は、自分の日頃の挙措が時に媚態めいていることを自覚していないらしい。

 ——べつに気持ち悪くはねーけど。

「どうする? これに懲りて、部室を“私用”に使うのは今後一切やめにするか?」
「……それ、俺にだけ聞くのはズルいよ。日吉だって、そんなのガマンできないだろ?」

 咎めるように、甘えるように、うっすらと紅潮した顔が俺を向く。

 規定の部活動時間の範囲外とはいえ、職権濫用的に部室を私用していることへの罪悪感はぬぐえない。けれど、その程度の罪悪感ではどうにもならないものがあるのだった。

「……まあな」

 同じ光をみて歩きたい。その夢が心に生まれた日から、目を閉じて生きるすべを俺は知らない。

[23.03.23]


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