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[説明・注意書き]
・高校3年生(の12月中旬)設定、中3から付き合ってる設定です。
・まだ最後までは経験がない段階で、日吉くんが「もしかして鳳のほうも“挿れる側”をやりたがっているんじゃないか?」と勘違いする話です(勘違いです)。

・2人とも氷帝高等部でテニス部に入っており、卒業後の進路はすでに決まっている設定です(具体的にどういう進路かは特に設定していません)。
・名無しモブ後輩男子がちょっとだけ出てきます。

※R18、本番なし。
※序盤に少々、受→攻のフェラと、それに伴う若干の攻め喘ぎ描写があります。
※中盤以降に攻→受の軽い拘束描写があります(受けが手首縛られてます)。

ブレスレットと手枷のあいだ


 十八歳の誕生日、隣町のドラッグストアでコンドームを買った。捕らぬ狸の皮算用という諺もあるが、あの狸は俺が必ず捕らえるのだ。今から準備をしておいても無駄にはならないだろう。

 ——問題は、俺自身が捕られる側に回されかねない可能性があることだった。

   ◇◇◇   

1.金曜日

 俺と鳳は男同士なので、どっちが挿れる側でどっちが挿れられる側になるか、自分たちで合意して決めなければならない。

 上か下かのポジション争奪戦だ。男なら当然、誰だって“上”がいいと思うだろう。三年前、中三の夏の終わりに鳳と付き合い始めたその日から、俺もずっと心に決めていた。ひとり布団の中でその夢を思い描いてみるときだって、想像の中の自分はいつも「そう」だった。

 想像するだけで甘い征服感にみたされる。今よりももっとずっと深いところまでふれて、攻略して、アイツの全部を俺の手の内に落としてやりたい、とか思ってしまう。あまり褒められた欲望ではないと理解していても、最後の砦まで攻め落とした瞬間に得られるだろう極上の満足を譲ってやる気にはなれない。

 しかし最近、鳳のほうも同じことを考えていそうなフシがあった。——現に今も。

「っ……鳳、もういい」
「ん、……もう出る?」

 金曜日の夕方、電気を消した鳳の部屋で。俺はベッドに寝かされ、十五分以上にもわたって口淫を受けていた。

 今日は夜中まで家族がみんな出払っているから、と家に呼ばれてベッドに上がり、最初はこっちから鳳を押し倒したはずだったのに、いつのまに形勢逆転されたんだったか。第一ゲームは俺が獲ったけれど、そのあと気づいたら下にされていて、気づいたら咥えられていた。主導権を取り返そうとしてみても、両脚を抱き固めてくる鳳の腕の力からは逃げ出せなかった。

「このまま出していいよ? 俺、また飲むし」
「そっ、それはダメだって前も言っただろ。健康に障るかもしれなくて……」
「で、でもこの前は大丈夫だったし。俺がそうしたいから……」

 窓から注ぐ夕日を浴びた鳳が、また俺の性器を口に含む。体の端っこが、熱く濡れたやわらかな粘膜に呑まれていく。そこはさっきからたっぷり十五分かけて、上から下まで弱いところをくまなく舐め回され、すでに限界ぎりぎりまで張りつめていた。だからちょっと圧迫をかけられ、ちょっと上下に動かれただけでもうダメだった。

「やっ、やめろって言っ……ぁ、あぁっ……」
「……んっ」

 ぬるい舌でねっとりと舐め回された亀頭のさきっぽから、体じゅうに甘いしびれが。激流をなして走って、意思で制御できるわけもない。性器の根元の筋肉が痛いくらいに収縮し、次の瞬間、一気に解放されて精液が出た。鳳の口の中に。

「っ、うッ……は、放せ、って……!」

 びくびくと腰が跳ねる。俺の訴えが聞き入れられることはなく、俺はそのまま鳳の上顎とか喉とかを突くことまでしてしまった。いっそ泣きたいくらいの気持ちになる俺の股の間で、鳳は「んっ」とか「うぅ」とか小さい声を発するくらいで、俺の射精が終わるのをじっと待っていた。

「……はぁ、っ……」
「ん……」

 ちゅぽん、と性器の抜ける音がする。脚の拘束が解かれ、夕焼け色の逆光の中で、鳳の喉が嚥下のためにゴクリと動くのが見える。鳳は口元に付着した唾液やら体液やらの水分を手の甲でぬぐうと、まだ中途半端に勃ったままでいるそこにふたたび唇を寄せてきた。

「日吉、まだ残ってる?」
「いやっ、もういいから——

 あわてて腰を引こうとしたけれど、タッチの差で間に合わない。鳳は片手で俺の性器の根元を押さえ、反対の手で中ほどをしごきながら、先端をまた口内にくわえこんだ。尿道に残った精液を絞り出すように強く吸われて、誘導されるままに“残り”が出ていってしまう。根元にあてられた手の先で睾丸とのさかいめを押し撫でられると、奥のほうにとどまっていた精液までが先端へ上がり、あっけなく出口からあふれていくのがわかった。

「……っ、うぁ」

 下腹が跳ね、ひきつり、それから脱力して、全身がぐったりとベッドに沈む。荒い呼吸に身を預けることしかできなくなった俺の上で、俺の全部を飲みほした鳳は、腹が立つほど柔和な笑顔を見せた。

「へへ。日吉、気持ちよかった?」
「……おっ、俺は止めたからな。あとで文句とか言われても謝らねーぞ……」
「そんな。文句なんか言わないよ、俺がやりたくてやったんだから。……日吉の反応とか声とかがかわいくて、ちょっと強引にしてごめんな」
「いやお前、『ちょっと』どころじゃなかっただろ」
「え、そうか?」

 精液を飲んだ直後だからか、鳳は俺の口だけは避けて、あちこちに唇を落としながら上がってきた。へその下、みぞおち、胸、顎、首筋、頬……もどかしくなって頭をつかみ、こっちから口にキスしてやったら、スイッチを入れてしまったらしく後はただ喰われるばかりになった。

「日吉かわいい……。体、まだちょっとビクビクしてるね」
「……っるせえよ。物好きすぎるだろ、お前」
「物好き? なんで?」
「……」

 最近ずっとこんなふうだ。コイツは俺を喰おうとしていて、俺はコイツに喰われそうになっている、ような気がする。

 ——男なら当然、誰だって“上”がいいと思うだろう。そして俺と同じく、鳳も男なんだった。

   ***   

 間違いない。これは玉座の奪い合いだ。

 口喧嘩なら鳳に負ける気はしないが、腕っぷしでは敵わない。心・技・体のうち心と体で一勝一敗となれば、残るは一つ。技巧でアイツを圧倒してやる以外に、玉座を獲るすべはないように思われた。

 鳳は俺の横に寝そべったまま、あいかわらず俺を喰うようなキスを続けていた。ずっと口をふさがれているせいで酸欠みたいに頭がくらくらしてきて、なのに不快じゃなかった。流されてしまってもいいかも、と思いかけたけれど、しかしこのまま主導権をすべて持っていかれたりしてはたまらない。

 鳳の体を押し返して、ベッドの上で身を起こす。物足りなげな目を投げてくる鳳を、今度は俺が押し倒してやる。焦りのせいか力任せになってしまい、鳳は「うわ」と声を上げながら背後の枕に倒れていった。

「……くそ、いつまでも調子に乗ってんなよ。次はお前の番だ」
「え。でも俺、さっき一回やってもらったけど……」
「一回じゃ足りてねーだろ」

 さっき服も下着も脱がせたから、そこも当然むきだしだ。上を向いた性器を握ってやると、あ、と弱い声が返った。手の中のモノは見た目以上に硬い手応えだった。

「ごめん、俺……日吉の舐めたり日吉の反応見たりしてたら、また興奮しちゃって」
「べつに謝ることじゃねーけど……」

 そのまま手を動かそうとしたところで、枕の横に放られたネクタイが目に入る。ふと頭に浮かぶイメージがあって、俺はそれを拾い上げた。剣先の裏側に入っているネーム刺繍から、自分のものであることを確かめる。

「……おい。ちょっと手、上げてみろ」
「えっ」

 俺の語調とか表情とかがガチすぎたのか、鳳はしばし沈黙してからぎこちなく笑い、「俺、今から銃でも向けられるのか?」とヘタな冗談を言った。アホか、と流したけれど、考えてみれば似たようなものかもしれなかった。強盗だって、やっぱり「抵抗されないため」に人質に両手を上げさせるのだ、今の俺と同じで。

「いいから早くしろ」
「……う、うん」

 鳳はベッドの上であおむけに寝かされたまま、唯々諾々と両手を上げた。とまどいの視線は俺の手元のネクタイに注がれていて、自分がこれから何をされるのか理解しているみたいだった。

 ならば話は早いと開き直り、俺はネクタイで鳳の両の手首を縛り上げ、さらにそのネクタイの端をベッドヘッドの柵にくくりつけた。もちろんこんなふうに人を拘束した経験なんてないけれど、道着の帯を結ぶときの要領が役に立ってしまった。幼いころ帯の締め方を教えてくれた父親に対して若干の罪悪感を覚える俺の下で、鳳はさほど困ってもいないような声で「日吉」と俺を呼んだ。

「えっと……こんなことしなくても俺、抵抗とかしないよ? 日吉は俺が本当にイヤだと思うことは絶対にしない人だって、ちゃんとわかってるし」
「どっちみち抵抗しないなら、縛られてても縛られてなくても同じことだろ」
「そ、そういう理屈で言われると反論はできないけど。でもさ、これだと——

 なにか続けかけた鳳の顎をつかんで、唇を唇でふさいでしまう。今度は俺が、喰う。いつもと同じように舌先で前歯を割って、いつもと同じように口の中を回って。それはこの三年の月日を通して、俺たちのあいだで日常になった行為だったけれど、鳳の反応はいつもと違っていた。いつもより息が荒いし、俺の動きに呼応してくる舌もどこかぎこちない。ちょっと刺激を送り込んでやるたびに、俺の下に組み敷かれた体が震えたりよじれたりして、ネクタイをくくりつけたベッドの柵がギッときしむ。

「んんっ……ぅ、んぅ……っ」

 キスの水音に紛れて、快感と苦悶の混ざった声がもれてくる。鳳には結局、変声期らしい変声期が訪れなかったから——いや、ずっと一緒にいすぎたせいで俺が気づかなかっただけかもしれないが——、小学生のころとも大差ないような声だった。さっきより硬くなった性器に腿をこすりつけ、さらに膝頭で押し込んでやると、あまったるい声のトーンはいっそう高くなった。

「っ……ぁ、だめ、日吉、これ……手が使えないと体に力、入らなくなる……」
「……ふうん」

 鳳はほとんど泣きそうな目で俺を見た。自分よりもずっとデカい男が、降伏するみたいに諸手をあげ、全裸のまま拘束されて、すがるような視線を投げてくる。それは率直にいって気分のいい光景で、俺はぞくぞくした。背骨にまとわりついて上がってくる恍惚を感じながら、鳳の胸筋のくぼみにできた筋肉の凹凸とか、夕日に照らされた鼠径部の影とかを一方的に見下ろした。下剋上、とは似て非なるよろこびが胸を満たし始めていた。

「日吉、なんでこんな……。俺、なにか気に障るようなことでもしたか?」
「べつに。そういうわけじゃねーけど」

 鳳はあいかわらず泣きそうな顔で、途中からは本当にまぶたのきわに涙をためていて、それなのにイヤだとかやめてほしいとかは言わなかった。言わなかったので、俺も拘束をほどくことはしないまま鳳の体に手と舌を這わせていった。この三年間で培った技巧を駆使し、くだんの“争奪戦”に決着をつけるつもりで。

 眼下に供された鳳の体の部分を、ひとつひとつ攻め落としていく。白っぽい前髪の生え際、たくましい腕の裏側、腋、骨の浮いた膝小僧、長い足の甲とその先にある十本の爪。しつこいくらい丹念に撫で、口づけ、唇でなぞる。体の端のほう、感覚の鈍いところから回っていっても、鳳はいちいち過敏なほどの反応を返した。いつもは快感を逃がすように俺にしがみついてくるけれど、腕に拘束がある今は、鳳が感じるとベッドの上で彼の全身が波打ち、胸から首までが反り、腰が泳いで、上体には骨や筋肉のかたちがたえまなく浮き上がったり引っこんだりした。熱く、せつなげに深まっていく呼吸の中で、俺は何度も名前を呼ばれた。

「日吉、っ……」
「なんだよ」

 一応、手を止めて聞き返してやる。けれども返事はなく、愛撫を再開したところでまた呼ばれる。文字にしたら全部ひらがなになりそうな、しかも末尾にハートマークでも付いていそうな調子で。「呼ぶ」というよりも、快感が生じた瞬間に俺の名前を口にするのがコイツの条件反射になっているらしかった。

 ギ、ギッ、とベッドがきしむ。このベッドはおそらく丈夫に作られた高級品で、マットレスだってかなりぶあついものなのに、不安定に暴れる鳳の体の振動が骨組みまで届いて音をたて続ける。

「……おい。ちょっと大げさじゃねえか」
「え、……なに? おおげさって」
「このベッド、いつもはここまでうるさく鳴らないだろ」
「だ、だって……うで縛られてると、なんか逃げ場がないっていうか。気持ちいいのを全然、はね返せなくて、全部そのまんま体の奥まで響いてくるから……」

 湯気でも上げそうな赤い顔で言って、鳳はへその下をビクリと痙攣させた。俺はその痙攣したところに唇をつけて、陰毛の始まっているあたりからへその穴までを何往復か、舌で上がったり下がったりした。

「……っ、日吉、だめ、そこ……あっ」

 下腹がまた跳ねる。へそを通過して上へ向かう。すぼめた舌先で腹筋の割れ目をたどるのと同時に、鳳の膝に置いていた手を奥へ滑らせて、円を描くように内腿を撫で回す。その半径を少しずつ広げながら、じわじわと位置を上げていく。脚のつけねに上がり、睾丸まで膨張している性器を指先で軽くくすぐって、反対の脚に渡る。それ以上のことはしない。

「ぅあ……」

 ——安易な焦らし方。だけど、それが効くことは過去の経験から知っていた。

「……日吉、またいじわるしてる……」

 鳳なりにこっちをにらみつけているつもりらしかったが、とろけきったその顔には微塵の迫力もなかった。俺は愉快な気分になった。

 乳首を圧せば吐息が震え、内腿を舐めれば腰が浮く。自分が鳳の官能の手綱を握っているみたいで、やはり気分がいい。これって支配欲か、と一瞬考えたけれど、実際のところはたぶん、コイツが俺の手から快感を受けとってくれていることに対する無垢なうれしさなんだろう。そっちのほうが、かえって照れくさかった。

 致命的なところは避けて、遠回りで快感を送り込む。そんなやりかたを続けていると、五分も経たないうちに鳳はしゃべらなくなった。短い声はひっきりなしに上がっているが、それは言葉をなさない動物的な鳴き声だ。汗と息と声をどんどん出して、体の中の熱を必死で外に逃がしているようだった。

「やッ……あぁ……日吉、っ……」

 「やだ」とか「だめ」とかの短い言葉すら発しなくなったくせに、俺の名前だけは残っているらしい。内腿を吸うのを中断して顔を上げると、痛々しいほどに勃起した性器が目の前にあった。先端にかけて赤い肉色を帯びたそれは、鳳が身じろいで下腹に力を入れるたびにビクンと跳ねて前後に揺れ、先端から垂れた液は白いシーツにシミをつくっていた。ついでに乳首もめちゃくちゃ立っていた。それらを見ても猥褻な感じはまるで覚えず、むしろいとしいとさえ思っている自分は、この三年間でなかなかにイカれてしまったらしかった。

 背徳感や優越感とも違う。出会ってから今までずっと品行方正な優等生であり続けている鳳の、露骨な肉欲をだだもれにさせた姿が、ただかわいいだけのものに見えたのだ。本当にイカれているが、それを恥じる理性ももうない。

「……日吉、俺もうムリ……」

 数分ぶりに「日吉」以外の言葉を取り戻して、鳳ははあはあと荒い息に胸板を上下させた。

「ムリって? 何がだよ」
「い、言わなくてもわかるだろ……」

 鳳はこちらに視線を投げ、俺の顔と自分の性器とを濡れた目でちらちらと見比べた。

 右手をのばして、人さし指をそこに近づける。あと一センチも進めば先端にふれるくらいの場所で止める。実物には触らないまま、その間近にある空気だけを撫でるように、屹立した性器の手前で指先をスッと下ろす。

 一ミリだって直接ふれてはいないのに、鳳は弱々しく喘いで腰を震わせた。「日吉」と、今日だけで何十回目かもわからない俺の名前を呼んだ声は、涙らしき水分でぐちゃぐちゃになっていた。

「……お願い。ちゃんと、さわって」
「どこを?」
「だからっ、言わなくてもわかるだろ。日吉、俺にそういうことを言わせたいのかよ」
「……」

 図星をつかれて声が止まった。うぬぼれんな、とでも言い返してやりたくなったが、さすがにそこまで見え見えの照れ隠しができるほどには図太くなかった。強引に話を進めてしまう。

「いいから、どこをどうしてほしいのか言え。全部」
「……それ、言ったら全部、そのとおりにしてくれる?」
「さあな。内容によるんじゃないか」
「……日吉、ほんとにいじわる……」
「フン。そういう俺を好きになったお前が悪い」

 とくに口説いたりしたつもりはなかったのに、そのひとことで鳳はまた真っ赤になった。そのまま眉を寄せたり唇を噛んだり、力をもてあましたような百面相を見せたあと、意を決したように口をひらく。

「……日吉。耳、貸して」

 ベッドの上を移動して、言われたとおり鳳の口元に耳を寄せる。と、鳳は蚊の鳴くような小声で、「どこをどうしてほしいのか」の答えを述べ始めた。

「……」

 あどけないほど甘やかな鳳の例の声で、淫語、みたいなものをいくつか聞かされて、頭の芯がくらくらした。とっさに言葉を失う俺の耳元で、「あ」と囁きが続く。

「あともういっこ、リクエスト追加してもいい?」
「いや、べつにリクエストを受け付けてるわけじゃねーんだけど。……なんだよ」
「ん、その……キスしながら触ってほしいな、って」
「……」

 言われたとおりにしてやるのも若干シャクではあったが、俺のほうもそうしたくなってしまったからしょうがない。ねだるみたいに見上げてくる鳳の頬を持ってキスをする。一回くちづけるごとに、鳳の目もとに幸福そうな色が増していく。こっちの胸まで熱くなる。しばらく薄目をあけたままキスに没頭していたら、途中で鳳の目もあいた。

「日吉、なんかうれしそう」
「……」
「あの、下も触ってほしいんだけど……」

 物欲しげな言葉のあと、腿に性器をすりつけられる。鳳は苦悶のように眉をよせ、俺の顎には熱く湿った息がかかった。

「こらえ性のないヤツめ」
「だ、だって日吉がさんざんじらすから……」

 片手で髪を撫でながら、反対の手で下腹に移動する。左手にやわらかい癖っ毛の、右手に硬く怒張した性器の感触。腹や太腿を手のひらであたためるように撫でてから、俺はまず右手の中指一本でそこにふれた。

「あッ……ん、ぅ」

 また唇を重ねる。キスを続けながら、中指の腹を睾丸の奥につける。中央のくぼみに沿って指を上げていき、性器とのさかいめにあるシワを二度三度と撫でつけてから、ゆっくりと上へ進む。

「んっ、うぅ……ん、ふぅ……っ」

 鼻にかかって嗚咽めいた声に、荒いばかりの鼻息。指先だけの小さな接触が、大きな体の全部を牛耳っている。その事実に、幾度目ともしれない興奮が身を襲い、口づけは知らずしらず深くなった。

 指先で線をひく。性器の裏側に中心線を描くようにして、じりじりと先端に近づいていく。亀頭にさしかかったところで止まり、割れ目に入って裏筋をくすぐる。と、鳳はくぐもった声を上げ、何度も腰を痙攣させた。声には抗議らしきトーンがあったけれど、無視して同じところを執拗にこすり続けた。哀れなくらいに激しく、体がのけぞる。

「んッ、んん、……っ!」
「っ……おい、痛ぇ!」

 前歯で思いきり舌を噛まれて、俺は反射的に頭をひいた。鳳は焦点の定まらない目をして、下腹の筋肉を不規則に波打たせながら、ほとんど前後不覚の様相で俺を見上げていた。どうやらわざと噛んだわけではないらしい。

「……へっ……ぁ……ごめん、舌……」
「ったく、気をつけろよ」
「ごめん……。で、でも俺、ちゃんと握ってって言ったのに、日吉がまたいじわるするから……」

 恨みがましげな視線が俺の目に注がれる。俺の脳はやっぱりイカれているので、いたく不満げなその目つきに火を煽られてしまった。

 裏筋にあてていた指で、亀頭の段差をぐるりと一周する。段差の上に乗り、真っ赤に腫れた亀頭の先を小刻みにひっかいてやる。

「っ、あッ、やだ、やだぁっ——

 ひときわ高い声が上がり、下肢がじたばたと暴れても指は止めない。快楽の拷問を受けているような鳳の反応が、俺にとってはもう愉悦そのものでしかないのだった。

 性器の先端から際限なく流れてくる体液のせいで、指はもちろん手のひらまでが濡れていた。透明なその液を湧き出させているところに指をつけて、小さな穴をえぐる。ひっ、と恐怖じみた声が上がる。

「っ、日吉、それ違う……」
「違うって、何がどう違うんだ」

 指先でグリグリといたぶっているあいだにも、そこは粘性の液をだらだらと垂らし続けた。力をこめて穿つたびに、性器全体が反応してびくつく。

「あ、っ……。も、もうやだ……そうじゃなくて、もっとちゃんと」
「ちゃんと握ってほしい、ってか」
「ん、うん……」

 切実な顔で、乞うようにうなずく鳳を見て、うっかり表情がゆるみかける。口角が上がりそうになるのを抑えながら、俺は右手を鳳の性器の根元に移動させた。奥に入って、パンパンに張っている睾丸を握り、中身をそっと揺さぶるように揉む。鳳は混乱した様子で目を白黒させた。

「違っ……日吉、そこじゃない、ってば!」
「べつにいいだろ、ちょっと寄り道するくらい。最後にはちゃんとイかせてやるんだから」
「でっ、でも日吉、寄り道がぜんぜん『ちょっと』じゃないじゃん……」
「……俺がどうこうじゃなくて、道のほうがムダに長いんだよ」
「え、なにそれ。意味わかんないんだけど」

 俺だって最初はさっさと決着をつけるつもりだったのに、コイツの反応がいちいち正直すぎるせいだ。俺のことが好きで好きでしょうがないんだって、吐息のひとつからも伝わってくる。どうしたって気分がよくなり、終わらせるのが惜しくて、ついつい遠回りをしてしまう。

 手の中にあるものをゆるく揉みしごく。そのまま親指で中央の縫い目を押し撫でると、鳳は腑抜けきった声で鳴いた。やっぱり正直だ。

「うッ、ぁ……日吉、だめ、俺それ苦手、っていうか弱い……から」
「弱い?」
「ん……なんか、すっごいゾワッてくる……。頭のなか、直接触られてるみたい」
「……お前バカだろ。自分から弱点バラすとか」

 テニスだったら負けるし、テニスじゃなくてもコイツの負けだ。俺はしばらく自己申告された「弱点」を責め続け、鳳はそのたびになさけない声を上げた。睾丸を撫でたり握ったりすると、性器の全体が脈打ち、さきっぽからはなまぬるい分泌液がどくどくと流れ続けた。もう射精しないのがおかしいくらいの勢いだった。

「は……ぁ……ひよ、し……」

 弱々しく震える声が、喘ぐためだけに俺を呼ぶ。そんなのを何十回、何百回とくりかえされたら、いま鳳が感じているであろう快楽が俺の身にまで流れ込んでくるようだった。

「っ……日吉、俺、もう」
「なんだ。そろそろ我慢の限界か?」
「っていうか……もう我慢、したくない……」
「……」

 このまま焦らすだけでも延々と楽しめそうだが、いいかげんキリがないので、俺はそろそろ鳳の“リクエスト”に応えてやることにした。手の位置を上げて性器の中ほどを握り、ゆっくりと上下に動く。俺の名前を呼ぶ声に、今までよりもはっきりと歓喜の音がのる。

「日吉、それ」
「うん?」
「俺、やっぱりこれ好き……。日吉の手でぎゅってしてもらうの、ほんとに大好き」
「……あっそ」

 俺たちが初めてこういうことをしたのは中三の十二月。三年前の、ちょうど今ごろの時期だった。あれからたっぷり三年の時間をかけて、俺は鳳の体を俺の手に慣らしてきたし、同じくらい俺も慣らされた。俺はたぶん、鳳自身よりもその体の性感帯とかを把握していて、なんなら俺が開発してきた部分も大きい。要するにそういう、多分に即物的な話なのに、コイツが言うとなんだか可憐っぽくさえ聞こえるから卑怯だった。

「日吉、もっと……もっと上も下も」
「ん」

 可憐、なんて表現はおよそ似つかわしくないだろう、欲望を満たした男性器を上下にしごく。手首だけでなく腕ごと手を動かして、注文されたとおり根元から先端まで、くまなく触ってやる。

「はッ、あぁ……ヤバい、気持ちいい……」

 そこは熱いしガチガチに硬いし、もともとデカいのがさらに膨れて、表面には血管のシルエットまでがくっきりと浮き上がっていて、なんていうか、みだらだ。先端からはあいかわらず先走りの液が垂れてきて、勝手に潤滑剤的な役割を果たした。俺の手はべたべたになり、滑りがよくなって、粘性の水音をたてながら上下の往復の動きを速めた。それと同調するように鳳の息も速く、短くなる。

「今日やべーな、お前。サカりすぎだろ」
「っ……うん……だって日吉が、こんな……」

 鋭く激しかった鳳の反応は、しだいに重たく深いものに変わっていった。限界の予兆だ。俺の手の動きに合わせてまぶたが引きつり、ふるえる唇のあいだから息と声がもれていく。あまりにも素直に快感を映す顔の動き。その素直さがカンに障るほどいとしくて、気づくと俺はまた唇をそこに近づけていた。額からこめかみ、頬を回って、唇へ。

「んっ……」

 キスをしながら、右手に力を入れて、本気で射精を促すための手つきに変える。速く、激しく、なおかつ緩急をつけて。鳳もそれに気づいたらしく、身構えるような気配を出した。

「っ、う、んんっ」

 ラストスパートをかけようとしたところで、快感とは違う、本気のうめき声が聞こえ、俺はとっさに手と唇を離した。鳳は息を切らしながら、待って、と訴えた。

「待って日吉、これ」

 と続けて、鳳は拘束された腕を持ち上げた。

「手、最後はほどいてほしいんだけど……」
「……なんだよ、いまさら。ここまできたらどっちだって同じだろ」
「同じじゃないよ。俺、最後は日吉のこと触りながらイきたいから」
「……」

 コイツはいつも、特に恥じらうでもなくこういうことを言ってのけるので、理不尽にも俺のほうが照れくさい思いをさせられるはめになる。頬骨のあたりが熱をもち、なにか言い返す気も失せて、俺はその手枷を外してやった。

 シワだらけになったネクタイを脇に放った瞬間、ものすごい力で抱き寄せられて上体が落ちる。鳳の体の上に。

「おい、痛いって……」
「……はぁっ……」

 鳳は俺の抗議も意に介さず、感嘆めいた息をついて俺の身を抱きしめ続けた。抱きしめるというより「抱き潰す」みたいな、強すぎる力だった。やがてその力はゆるみ、代わって大きな手のひらが俺の背を撫で始めた。いつくしむように優しく、でも熱く強烈に。

「なんなんだよ、お前……」
「……やっぱりうれしい」
「は?」
「日吉の体、こうやって抱きしめるの、うれしいし気持ちいい……」
「……」
「ね、このままイかせて?」

 鳳はやっぱり特に恥じらうでもなく、軽くはにかむくらいの表情で俺を見上げて言った。三年付き合っても——というか、もっとずっと昔からコイツのことを知っていても——こういう言動には慣れない。このまま一生慣れない気がする。

 背中に腕を回されたまま、俺はさっきの続きを再開した。今度こそ容赦なく、余分のない手つきで追いつめていく。鳳のほうも俺の右手の動きに感覚をあずけ、快感のリズムを合わせようとしているのが伝わってきた。

「あっ、あぁ……はぁ……っ」

 俺につかまっていられるのがそんなにうれしいのか、鳳の顔にはさっきまでよりも幸福そうな微笑が浮かんでいた。うっとりとしたその表情を見ていたら、体の中の心臓のあるんだろうところが、きゅーっと痛むような感じがした。体の中身が、奥に奥に縮まっていく感じ。たまらなくなって左腕で鳳の頭をかき抱いたら、さらに強い力で抱き返された。

 胸板と胸板がくっつき、硬くなった乳首どうしがこすれあう。ぞわりと甘いしびれが広がる。

「ぅ……んっ、ぁ、…………ね、ねえ日吉」
「ん?」
「こういうこと、ずっと……卒業しても、その先もずっと、してくれよ」
「……なんだよ、急に」
「だって俺、最近もう日吉の手じゃないと……。自分でやっても、なんかあんまり満足できなくなっちゃったんだから。責任とってね?」
「責任って……」

 思わず静止した俺の手の中で、ぬらついた性器の内部がドクンと脈動するのがわかった。

「……なんだそれ。お前、プロポーズでもしてるつもりか」
「えっ」

 鳳はきょとんと目をまるくして俺を見た。「あ、そっか」と、間抜けな声が続く。

「そ、そういうことになるのかな。……えっと、日吉がイヤじゃなければ、だけど」
「……べつに、イヤってことはねーけど」
「ねーけど?」

 ——そういうことは俺から言わせろよ。

 せっかくここまで俺がリードしてきたのに、最後に主導権を奪い返されたみたいでムカつく。

 さっき縮んで真ん中に集まった体の中身が、そこから折り返して、津波みたいに外側に打ち寄せた。体が弾けるかと思った。弾けるわけはなく、もてあました力だけが外に出ていって、俺はその力のままに鳳の性器をしごきたてた。乱暴なくらいの強襲に出た俺の下で、鳳は俺の葛藤なんか知らず、能天気に快感だけを受けとっていた。

 速い息がときどき、苦しげに詰まる。さっきまでびくびくと震えていた体は、もう激しい反応を抑えて悩ましくくねり、腹や腰の裏や足の先など、全身のあちこちに力をためているのがわかる。もう本当に、あと一歩で落ちる。

「はっ……あ、だめ、日吉……俺もうだめ、もう出る……」
「ん。見てればわかる」
「ひよし、っ……」

 背中に回されていた手が後頭部に移動し、グイと強い力で引き寄せられる。そのままキスに応えてやったけれど、すぐに余裕がなくなったらしく鳳のほうから唇を離された。

「ぁ……日吉、手……髪、撫でてくれてるの、すっごい気持ちいい……」
「そうかよ」
「ん、ぅ……ひ、よし、日吉っ……」
「……」
「日吉ぃ……」
「……お前っ、俺のこと何百回呼ぶ気だよ! うるさいから黙ってさっさとイけ!」
「そんな、だって日吉」

 ぐずぐずに溶けた声で何度も何度も名前を呼ばれて、脳が沸騰しそうになってくる。鳳は飽きもせず日吉日吉日吉と俺を呼びながら喘ぎ続け、やがていつものように俺の腕にしがみついて射精した。

「あぁっ……」

 夜の色が入り始めた部屋の中で、濡れて光った性器の先から精液がびゅっとほとばしる。白いその液は小さな弧を描いて飛び、シーツが汚れる、と思ったがもちろん時すでに遅かった。鳳はガクガクと腰を震わせ、速度を落としつつ上下運動を続ける俺の手の中で二回、三回と射精を続けた。

「だめ、日吉、手っ……俺もうイってる、から……」
「だから、見りゃわかるっての」
「わかってるなら、とめろ、って……」
「バーカ。これ好きだろうが、お前」
「違っ……ぁ、ん……」

 絶頂のさなかの性器にも刺激を送り続けると、先端からは幾度にもわたって精液が吐き出された。はじめは勢いよく噴いていたそれが、徐々に勢いを欠き、やがて静かに湧き出すばかりになる。湧出の瞬間、性器の根元がビクリと痙攣し、腹筋が起伏する。その反応を見るのが愉快だったので、俺は最後の一滴が流れきるまで手を動かし続けた。俺の手も鳳の性器も、粘り気の強い精液にまみれて白く、どろどろになっていた。

「っ……」

 果てた鳳はぐったりとベッドに沈み込み、ときおり余韻に襲われるように体を震わせた。半分伏せられたまぶたの下で、濡れた瞳は虚空を見つめ、だらしなく半開きになった口の端からは唾液が垂れていた。コイツの端正な顔がこんなふうに崩れるところなんて、俺以外の人間は見たことがないはずだ。

「はは。みっともない顔してんな」
「だっ、誰のせいだよ……」
「俺のせい、だろ」
「……日吉、うれしそう」

 鳳はまた手をのばし、俺の体を抱き寄せてきた。太い両腕にぎゅっと全力で締められる。幼い子供が保護者に甘えるような、無邪気な抱きつき方だけど、怪力レベルの腕力は子供のそれとはほど遠かった。

 重なりあった体と体のあいだで、腿にふれた鳳の性器が軟化していくのがわかる。精液やら体液やらの水分が移って俺の脚も濡れたけど、不思議と不快じゃなかった。

「日吉。俺が日吉のせいでみっともない顔するの、そんなにうれしい?」
「……うぬぼれんじゃねーよ、バカ」

 鳳は俺の髪の中に手を入れて頭を撫でながら、ごめん、とつぶやいた。ラブソングの出だしでも口ずさむような、浮かれた声だった。

   ***   

 そういうわけで第三ゲームは俺が獲ったが、次はまた鳳に持っていかれた。その後も交互に獲って獲られて第六ゲームまで続いた。テニスならまだ先は長いが、テニスじゃないので俺も鳳もそこで体力と精力が尽きた。

 結局、“争奪戦”に決着がついたのかどうかはわからない。俺自身も途中からはそんなことを忘れて、ただ夢中になっていたし。今だって、鳳は毛布の中でその腕に俺の頭をのせ、反対の手で髪やら頬やらを撫でてきていた。

 要するに腕枕。こういうことでも、俺のほうが“される側”に回されるのは不本意なのだ。しかし体格的にはたしかにこちらのほうが収まりがよくて、それがどうにもくやしかった。

「……ね、日吉。今日はどうしたんだ?」
「どうした、って?」
「だって急に縛ったりしてくるし、それ以外もなんか……いつもよりスゴかった、し」
「ふーん……」

 窓の向こうは日没前後のあいまいな色で、鳳の髪は紫のようなピンクのような、どことなくファンタジックな色調に染まっていた。首筋から上がって襟足を掻くと、くすぐったそうな反応が返る。

「ふーん、ってなんだよ。答えになってないじゃん」
「……」
「日吉、やっぱりなにか怒ってる?」
「……怒ってねーけど、ただ……」
「ただ?」
「シャクなんだよ。お前に負かされるのが」
「へっ」

 開き直って内心を白状した俺の前で、鳳はぽかんと口を開けた。

「負かされる、って何? ……あっ、先月のシングルス勝負のことか? でもアレ、正直ほとんどまぐれみたいな感じだったし、今までの戦績は——
「いやテニスは関係ねーよ。わかるだろ、文脈で」
「ご、ごめん。……でも俺、テニス以外で日吉を負かした覚えなんて全然ないんだけど」
「……」

 鳳の表情はきわめて普通であり、他意はまるで窺えなかった。

 負かされたと思っているのは俺のほうだけなのか。その事実さえ、鳳の余裕を物語っているようでおもしろくない。鳳自身には「余裕」なんていう意識もないだろうからなおさらだ。

 俺は鳳の腕枕から離れて上体を起こした。腹立たしいほどに澄んだ目が、次の言葉を促すように俺を見すえてくる。

「……先に言っておくが、俺は絶対に譲らないぞ」
「譲らない、って……なにを?」
「……う、上か下かの話だ。俺は絶対、お前に上は譲らない」

 この言い回しで鳳に伝わるんだろうか、と不安に思いつつ言った。案の定伝わらなかったらしく、鳳は至極アホっぽい声で「うえ?」と聞き返してきた。

「だから……」

 自分がこれから言おうとしていることを考えて、カッと体が熱くなる。こんなこと、本当は罰ゲームでだって口に出せるもんじゃないのに。

「その、……さ、最後までするときは、俺がお前に」

 挿れる側だ——と口にした瞬間、羞恥の火が体じゅうに回って俺を焼き尽くした。今度は鳳もさすがに意味を理解したようだったけれど、やや顔を赤らめてまばたきを増やすくらいで、想像よりはずっと地味な反応だった。

 ——なんだコイツ。自分のことを犯すって宣言した男の前でも、こんな余裕でいられるのかよ。

 なんか屈辱。と考えた瞬間、鳳はおずおずと口を開いた。

「う、うん……。そんな必死に言われなくても、俺、最初からそのつもりだったけど」
「えっ」

 体を焼いていた火がパッと消えて、頭の中が白くなる。固まっている俺の横で、鳳はにわかに身を起こした。

「日吉は、えっと……俺のほうも“上”をやりたがってる、って思ってたのか?」
「……あ、ああ……」
「えー、なんで? なんでそんな勘違い……」
「なんでって……だってお前、なんか最近やけに積極的だし……俺に対して『かわいい』とか、トチ狂ったようなことばっかり言いやがるし」
「え、それとこれとは関係なくないか?」

 腑に落ちないような顔で言って、鳳は「だって日吉がかわいいのは事実じゃん」と続けた。コイツもこの三年間でイカれたらしかった。

「積極的、っていうのは? 具体的にどういうこと?」
「いや、だから……すげー押し倒してくるし、……な、舐めたり飲んだりしてくるし」

 いや何を言わされているんだ俺は。羞恥プレイでも受けている気分になって、さっき消えたはずの火がまた戻ってくる。鳳は俺とは対照的に、どんどん冷静な表情になっていった。

「だって俺も日吉のこと、気持ちよくしてあげたいから。それに……べつに義務感でやってるわけじゃないけど、俺ばっかりしてもらうのも申し訳ないしさ」
「……まあ、お前はそういうヤツだろうけどよ」
「俺がそういうふうにするの、もしかして日吉はイヤだった?」
「……そうは言ってないだろ」

 目をそらしながら答えると、隣で鳳がほほえむ気配がした。ふふ、と小さく声が聞こえる。

「そうだよね、イヤじゃないよね。日吉、いつもすっごい気持ちよさそうに反応してくれるもんね?」
「……」

 ——やっぱりこれは羞恥プレイの最中なのか?

 うなだれた俺の頬を、あたたかな手が無理やりに持ち上げる。穏やかに見つめてくる鳳の瞳すら、俺を辱めるもののように感じられた。

「でもやっぱり、それはそれこれはこれ、だよ。それじゃダメか?」
「……いや、わかったよ。もういいよ」

 俺はどっと疲れた気分でため息をついた。なんだろう、自分の望んでいた展開にはなったはずなのに、どうにも釈然としないこの脱力感。

 上目で窺うと、鳳は満足そうにニコニコと笑っていた。

「……あのさ」
「ん?」
「逆に聞くけど、お前はなんで“上”がいいと思わないんだよ」
「なんでって言われても……」

 語尾を濁した鳳の目に、かすかな逡巡の色がさす。俺はそこに反撃の糸口を見た気がした。

「男ならそっちをやりたいと思うのがフツーだろ。そう思ったから、俺だって勘違いしたんだ」
「う、うーん……。フツー、なのかな?」
「お前、つまり“下”がやりたいってことだろ? 男のくせに軟弱だな」

 フッ、とわざとらしく鼻で笑ってやったら、鳳はめずらしく怒りらしき表情で赤面した。耳の先まで真っ赤にして。

「そっ、そんな言い方するなよ。日吉にとっても好都合なんだったら、文句を言われる筋合いはないだろ」
「べつに文句を言ってるわけじゃねーよ。男でもそういうヤツがいるんだな、って驚いただけで」
「……俺だって」

 そこで言葉を切って、鳳はまた顔を赤くした。今度は怒りの色ではなさそうだった。

「俺だってきっと、他の誰かが相手だったらそんなふうに思わないよ。日吉が相手だから、……日吉だから、されてみたい、って思う……」

 声は語尾にかけて弱々しく細り、でも確かな想いをのせて俺に注がれた。されてみたい、の一言で、俺の目の裏には火が散った。

 欲情されるのはひどく気持ちがいい。それも、この三年のうちに覚えてしまったことのひとつだった。

「……『他の誰かが相手だったら』ってなんだよ。仮定でもそんなこと口に出すんじゃねえ、不愉快だから」
「日吉……けっこう嫉妬深いな」
「お前に言われたくない」

 下半身だけ毛布に入ったまま、鳳の体を背後に押し倒す。前髪が交ざるまで顔を近づけたら、鳳は期待の宿った瞳で俺を見返した。体の中身がぎゅっと縮む、例の感覚にまた襲われる。

「……されてみたい、って?」
「え」
「俺に何をされたいんだ? お前」
「……いっ、言わなくてもわかるじゃん」

 鳳は唇をへの字に曲げ、指先で俺の頬の肉をつまんで引っぱった。けれども瞳に入った期待の色はさっきより濃く、陶酔の気配までを混ぜ始めていた。

「日吉、やっぱり俺にそういうことを言わせたいんだ」
「……文句あるかよ。つーか、お前だって同じじゃねえか」
「同じ?」
「言わされたがってんだろ、俺に。何をされたいのか全部」

 鳳は図星をつかれたようにぐっと押し黙り、そして本当に図星であったことを物語る熱いため息で俺の唇を撫でた。

 俺の目から逃げて不安定に泳いだ視線が、結局は俺のもとに戻ってくる。俺の頬をつまんでいた手が、そのまま首や肩や腕を這い下りていく。そこにある細胞全部を欲しがるような、痛いほど欲深い手つきで。

「……俺、日吉に、」

 夜の色をした影の中で、なめらかな唇がこわごわと動き、止まる。うすく開いたその唇の端に中指の先をつけて、右から左へと渡る。そうすると鳳はまたひとつ熱い息をつき、唇のあいだから舌を出した。快美な幻にでも溺れるような顔で、しばらく俺の指先を舐めたり吸ったりしていた。

 それから、意外にも強い声が続く。

「日吉に。……い、いれられたい……」
「……へえ」

 胸の底から熱いものがこみあげてくる。すぐに感じきってしまうのを惜しがるように、ゆっくりと水位を上げながら。

「で?」

 短く問いを重ねたら、鳳はたまらないというように俺の身を抱きしめてきた。うつぶせにされてしまって顔は見えない。けれど、重なった胸から鼓動の速さが伝わってくる。

「……ひ、日吉に挿れられて、それで……体のなか、いっぱいこすったり突いたり、してほしい。欲しいって思われたい、俺のこと全部」

 背骨や肋骨が折られるんじゃないかと思うくらいの力で俺をめちゃくちゃに掻き抱きながら、鳳は欲望そのままの言葉を吐き出しきった。毛布の下で、汗をかいた脚までが俺を求めて絡みついてきていた。

 心臓がどくどくと暴れて血を回す。鳳の体から流れ込んでくる熱と、俺自身の奥から湧き出し続ける熱とが混ざって、燃えて、俺はほとんど炎にでもなったみたいだった。確かめる方法はないけれど、きっと今、鳳が感じているのと同じだけの熱さだ。

「……俺、ずっとそう思ってるよ。軟弱なのかもしれないって自分でも考えたけど、でも本当に……本当に欲しいものだから、どうにもならない。軟弱でもなんでもいい、叶うなら」

 はあっ、と大きな息が吐き出され、俺の全身を潰すような圧迫の力が弱まっていく。俺はそれを、なごりおしいと感じてしまう。

「……ずっと、って。いつからだよ」
「え。えっと、……中二の冬、くらいかな」

 ——早っ。

 と一瞬、素で驚いてしまった。マットレスに肘をつき、鳳の顔を見下ろす。欲情とか羞恥とか自嘲とか、普段はいちばん奥に隠しているんだろう感情ばかりがもれなく露呈したような、どうしようもない表情をしていた。俺はいよいよ口元がにやけてしまうのを抑えきれなかった。

「ふうん? 付き合ってもいなかったときから、俺に犯される妄想してたってか」
「……ごめん……」
「べつに謝れとは言ってねーよ」

 俺は鳳の腕の中から抜け出し、隣に寝転がって片腕を伸ばした。今度はお前がこっちに乗れ、と目で促す。

「え、でも……」

 鳳はためらうように俺を見た。おそらく頭の中には「でも日吉は俺ほど筋力ないし」とか「俺のほうが重いし」とかの言葉があり、しかしそれらを口に出せば俺の怒りを買うことが明白なので黙っているんだろう。

 俺だって平均よりはだいぶ長身だし、だいぶ鍛えているほうなのに、コイツの横にいる限りはきっと一生こんなふうだ。とっくに慣れたつもりだけど、男としてのくやしさが完全に消えてくれるわけではなかった。多分、これも一生。

「いいから早く来い。お前だって、本当はこっちのほうがいいんだろ」
「う……うん、じゃあ。でも腕、痛くなったらすぐ言ってね?」

 鳳はおずおずとこちらに近づき、俺の二の腕に頭をのせた。肩まで引き上げた毛布を二人で分け、両腕で頭を抱き込んでやったら、遠慮がちだった表情はたちまち幸福そうに和らいだ。

「あの、日吉」
「ん?」
「さっきの話……。その、いつか最後までしてくれる、って意味で受けとっていいんだよな?」
「あ、ああ……」

 俺が答えると、鳳は俺の胸に額をすりつけながら寄り添ってきて、よかった、と安堵の声でつぶやいた。

「日吉はそういうの、したくないのかと思ってた」
「は? なんでだよ」
「だって俺、体だけはデカいし。たまに男でも女の子みたいにきれいな人っているけど、俺は全然そういうタイプでもないし……。なんていうか、気持ちが萎えたりしちゃうかなって」
「……」

 頭の中に反論の言葉がいくつもうずまいた。が、どこからどう伝えたものか迷った。最初のひとことを決めかねているうちに、「それに」と鳳に話の続きを持っていかれてしまう。

「日吉、今まで一度もそういう話、してこなかったから」
「……それはお互いさまだろ。お前だって何も言わなかったじゃねーか」
「そうだけど……。したいこともしたくないことも、日吉はいつもはっきり口に出す人だからさ。したいともしたくないとも言ってくれないと、どう考えてるのかわからなくて。こっちも話を切り出せなかったっていうか」
「……したいと思ってたよ、俺も。けど」
「けど?」

 なんの屈託もなさそうな目で、鳳は俺の顔をのぞきこんだ。普段はコイツのほうが気弱で心配性なのに、どうやらこの件に関しては俺ばかりが気を揉んでいたらしい。

「……そんなに軽々しく口に出せることじゃないだろ。俺たち、まだ高校生で未成年だし……俺が挿れる側になれば、間違いなくお前のほうに負担をかけることになるんだし」

 俺だって、何度その瞬間を夢想したかわからない。今日みたいにふれあっているとき、強引に食い破ってしまいたいと欲望する凄まじい衝動に襲われることだってしょっちゅうだった。そのたびに必死で気持ちを抑えてきたのだ。

 好きで、いとしくて、強烈に欲しい。だから簡単には欲しがれない。せめて大人になるまでは。

 この三年のあいだに抱えてきた葛藤。そのうちのごく一部を明かしただけだったけれど、鳳はまるで全部を見抜いたかのようなほほえみで俺を見た。それは世界中の花という花を一挙に差し出された姫君のような、うれしさと自信に満ち満ちた表情で、俺は気分がいいのを通り越して若干ムカついた。

「ありがと、日吉。俺、日吉にすっごい大事にされてたんだな」
「……図に乗ってんじゃねーよ」
「へへ。ごめん」

 ごめん、なんてちっとも思っていない声だ。姫君の顔のまま視線でキスをねだられ、俺はムカついていたはずなのについ応えてしまった。深く入って、入られて、しばらく舌を舐めたり舐められたりしてから離れた。

「ん、っ……あのさ、日吉。俺、きのう来年のカレンダー買ったんだけど」
「は? ……カレンダー?」

 脈絡がまるで読めなかった。鳳は少し口ごもってから、なにか意を決するように二の句をついだ。

「つぎの俺の誕生日、日曜日なんだ」
「え?」
「その……俺も十八歳になるから。ちょうど試験の直後の休みだし、もし日吉の都合が悪くなければ——
「ちょっと待て」

 と、俺は鳳の言葉を遮った。鳳はあからさまに不安そうに顔を曇らせた。

「……ごめん、イヤだった?」
「違う。……俺から言わせろ」
「え」

 こんなことにこだわってばかりいるのは、逆に男らしくないのかもしれない。それでも、これ以上は譲りたくない意地があるのだった。

「……お前の誕生日、どっか泊まりに行こう。二人で」
「……うんっ!」

 鳳は一瞬で表情を晴らし、俺の肩に鼻先をうずめるように抱きついてきた。その耳元に唇を寄せて、言葉を続ける。

「十八になったら、もう待たない。逃げようとしたって絶対抱いてやるから、覚悟しとけよ」
「……うん」

 鼻息らしき熱気が肩にかかる。鳳はまるで愛撫でも受けたみたいに身をよじり、赤く上気した顔で俺を向き直った。

「俺、逃げたりしないよ。するわけないよ。ホントは誕生日だって待ちきれないくらいだけど……今から二か月かけて、覚悟、しておくな」
「……ああ」
「ヤバい、どうしよう……日吉にしてもらえるって思ったら、ドキドキしすぎて死にそうになってきた」
「……」

 “される側”のポジションなんて拒まれると思っていたし、受け入れられたとしても渋々、だと思っていたのに。争奪戦、とか考えて躍起になっていた自分が滑稽に思えるくらい、鳳は幸せそうだった。サンタクロースを待つ子供みたいにニコニコ笑って、こっちが心配になるほどの無邪気さで。

「……お前、なんでそんなに能天気なんだよ。自分が何をされるのか、本当にわかってんのか」
「わ、わかってるよ。わかってるからうれしいんだし……」
「ふーん……。よっぽど俺に犯されたかったんだな」
「……そっ、そういう言い方することないだろ」
「どんな言い方しようと、事実としてそういうことだろうが」

 決して怯えてほしかったわけではないが、ここまで明るく歓迎されても拍子抜けだった。俺の軽口に眉を寄せた鳳は、しかしすぐにまた純粋すぎる笑顔を取り戻した。

「誕生日、早くこないかな」

 先日買ったコンドームは、やはり遠からず役に立つことになりそうだ。俺はその日までに、コイツに人生最高の誕生日プレゼントを贈ってやるための準備をしなければならない。

   ◇◇◇   

epilogue.月曜日

 週明けの月曜日、俺は登校前に鳳の家に寄った。

「おはよう、日吉。どうしたんだ? わざわざ迎えにきてくれるなんて」
「……あとで話す」
「そう? じゃあ行こっか」

 十二月にしては暖かい朝だった。もう十二年近くも歩き続けている通学路をたどり、高等部の敷地に入ったところで、俺はいつものルートから外れた。敷地の端に立っている講堂の裏の、ひとけのない木陰へと向かう俺に、鳳は黙ってついてきた。

 ブロック塀と講堂に挟まれた、大きな常緑樹の下で足を止める。あたりを見回して、誰もいないことを確かめてから、俺は鳳の右手をとった。ブレザーとワイシャツの袖をまくると、手首には金曜日に俺がつけてしまった拘束の痕が残っていた。左手も同様に。

「悪い。やっぱりまだ消えてなかったか、これ」
「あ……うん、でも平気だよ? 痛みとかはないし、それに俺……」
「なんだよ」
「その……縛られるの、全然イヤじゃなかったから。むしろドキドキしちゃって、いつかまたやってほしいなって思うくらいで」
「……やっぱり能天気だな、お前」

 そうかも、と自嘲っぽく笑う鳳の手に、鞄から取り出した紙袋を押しつける。鳳はきょとんとした顔でそれを受け取り、中身を取り出した。

「えっと……これ、リストバンド?」
「ああ。俺が使ってたヤツだけど、ちゃんと洗濯してきたから」

 黒一色のパイル生地に、シルバーの糸でスポーツブランドのロゴが刺繍されているだけのシンプルなリストバンド。鳳なら選ばないデザインだろうと思ったが、俺の手持ちはどれも似たようなものだった。

「部活に顔出すときはそれ使っとけ。手首の痕が消えるまでは」
「あ、なるほど」

 ワイシャツを着ているあいだは隠せても、ジャージ姿で動いたら人目にふれてしまうかもしれない。長袖のジャージの下にリストバンドというのもやや不自然だが、鬱血の痕をさらすよりはマシだろう。

「それじゃ、ありがたく借りさせてもらうな」
「貸すっつーか、やるよ。それ」
「え、もらっちゃっていいの?」
「ああ。……あとさ」
「ん?」

 朝七時のぴかぴかした光が、頭上の木の葉の向こうから落ちてくる。白い光に照らされた鳳の手首の、血の色を透かしたアザに目を落としながら、俺は続けた。

「金曜日にお前がグダグダ言ってたこと、だけど」
「え。……金曜日はいろいろ話したけど、どれのこと?」
「……お前がデカいし女っぽくもないから、俺の気が萎えるんじゃないか、とかいう話だよ」
「あ、ああ……。それが?」

 あのとき言葉を決めかねたまま、結局なにも言えていなかったのだ。わざわざフォローしてやるのもサービスみたいで微妙だが、ちゃんと釘を刺しておかないとコイツはいつまでも無駄な不安を引きずりかねない(なんか十年後くらいに「やっぱり日吉はちゃんと女の人と結婚したほうが」とかアホなことを言い出しそうな気がする)。

「たしかにお前の言うとおりだったかもしれない。何年か前までの自分なら」
「……うん」
「けど——

 鳳の手からリストバンドを取り、骨の目立つ手首に着けさせていく。まず右手、それから左手に。

——俺、もうお前じゃないと欲情しない」
「え」
「そうされたんだよ、お前に。この三年間で! だから最後まで全部、お前が責任取れ」

 こんなことを学校で言って、もし誰かに聞かれていたら羞恥で五百回は死ねる自信があるが、口に出してしまったものは戻らない。リストバンドをつけ終えて顔を上げたら、鳳は天変地異でも目の当たりにしたかのような面持ちで俺を見下ろしていた。

「……すごい。学校でプロポーズされちゃった、俺」
「……お前も似たようなこと言っただろ。学校ではなかったけど」
「言ったけど。でも、だって日吉がこんな……」

 鳳は感極まった様子で長い息をつき、うさんくさいほど光に満ちた笑顔になって手を伸ばしてきた。そのまま抱き寄せられそうになって、とっさに腕で制す。さすがに人目が怖い。

「ごめん」

 と短く笑って、鳳は続けた。

「俺、絶対ぜったい責任取るよ。最後まで! 日吉のこと、きっと全力で幸せにしてみせるからな!」
「……いや、だから」

 そういうことは俺から言わせろよ——と突っ込むのも面倒になって、俺はただため息をついた。清涼な陽が注ぐ朝の景色のなかで、鳳は左の袖をまくり、俺がつけてやった黒いリストバンドを撫でながら、

「なんか婚約指輪みたい」

 とつぶやいた。

   ***   

 今日は試験返却日なので授業はなく、昼前から部活動の時間になった。三年生はもう部活を引退しているが、すでに進路が決まっている者はコーチ的な役割で活動に顔を出すことも多い。鳳もそうやって後輩の世話を焼きたがり、それに付き合っていたら俺も「おせっかいなOB」の一員になってしまった。もっとも鳳がやっているのはもっぱらコートの整備やらドリンクの準備やら部室の美化やらの雑用で、コーチやOBというよりマネージャー然としているが。

「鳳先輩、また棚とか机とか磨いてるんですか?」

 帰りのホームルームのあとに部室に寄ってみると、そこには例によって掃除に勤しむ鳳と、彼に声をかける下級生の姿があった。後輩の中でもとくに鳳に懐いている、小柄で快活な一年生だ。

「そんなの俺らがやりますから、たまには練習にも顔出してくださいよ。サーブの調子、見てくれませんか? 俺、ここ一か月でめちゃくちゃ鍛えたつもりなんで!」
「うーん、見てあげたいのはやまやまだけど。引退した三年があんまり出しゃばったらジャマになるからな」
「えぇ~、そんなことないですよ。それに今日、二年生は三者面談なんで、コートに人も少ないですよ?」
「ああ、もうそんな時期なのか。……あ」

 部室に入った俺に気づいたらしく、鳳はふきんを持ったままこちらに手を振った。

「日吉、おつかれ」
「ああ」

 鳳が腕を動かすたびに、ジャージの袖口から黒いリストバンドの端がちらちらと見え隠れする。今朝の、というより金曜日の自分の行いが思い出されてしまい、若干いたたまれなかった。思わず目をそらしたところで、一年生が俺のほうを向いた。

「日吉先輩っ、お疲れさまです! あのぉ、日吉先輩からもお願いしてもらえませんか? 俺、サーブの練習を見てもらいたくて」

 この一年は鳳に懐いているのと同時に、不思議なことに、入部後の早い時期から俺にも懐いてきているのだった。前に鳳が「怖いもの知らずな子だね」と失礼なことを抜かしていたが、正直俺も同感だった。

 窓を見る。適度に雲の散った明るい青空は、体を動かすにはもってこいの色に見えた。

「一年のジャマにならない程度に、ちょっとコートを借りるくらいならいいんじゃないか」
「ん~……じゃ、三十分だけ。そのかわり日吉も監督として付き合ってね?」

 何がどう「そのかわり」なのかはわからなかったが、ともかく三人でコートに出た。鳳たちはまずアップを兼ねて軽い打ち合いから始めることにしたらしく、俺はとりあえずベンチに座り、二人の準備体操を眺めるくらいしかすることがなくなった。

「あれ? 鳳先輩、それ珍しいっすね」
「えっ?」

 鳳が聞き返したのと同時に、俺も一年生のほうに目を動かしていた。まさかと思った次の瞬間、「その真っ黒なリストバンド!」と声が続いたので、俺は一瞬で血圧が十五くらい下がったような気がした。

「先輩、アンダーシャツもシューズも白だし、私服も明るめの色が多いから。黒一色のものを身につけてるのって、なんか新鮮じゃないですか?」
「ああ……これはちょっとね」

 せめてそこで話をやめろ——と念じた俺の願いもむなしく、鳳は「ひとからの貰いものなんだ」と続けた。とびっきりの上機嫌が一目瞭然な、莞爾たる笑みまで浮かべながら。

「だから俺の趣味ではないかな、たしかに」
「……もっ、もしかして彼女さんからのプレゼント、とかですか」
「彼女、とは違うけど。俺の大切な人だよ」

 と答えながら、鳳は横目で俺を見た。それはあまりにもバレバレの目配せだったから、つられるように一年生も俺を見た。

 目が合う。どんな表情をすればいいのかわからなくて、眉間に不自然な力が入る。瞬間、一年生は赤面し、あわてた様子で俺から目をそらした。鳳は自分の失態に気づくこともなく、グリップテープの調子でも確かめるように、ラケットの柄を握ったり放したりしていた。

 ——アホ。

 今日までずっと、後輩に対してはどうにか隠し通してきていたのに、たぶん今ので全部バレた。

「よし、じゃあそろそろ始めるか!」
「……はっ、はいっ! よ、よろしくお願いしまあすっ!」
「ちょっと、そんなに緊張するなよ」

 いやそれ緊張じゃねえから……と内心で呆れながら、俺はベンチの上でうなだれた。しかし元凶は自分自身なので、鳳ばかりを責めるわけにもいかない。

 そもそも俺があのとき腕を縛ったりしなければ——と考えたら、金曜日にベッドの上で見た光景が脳裏によみがえり、うっかり体が熱くなった。まっぱだかのまま俺に両手の自由を奪われて、それにすら悦んでいた男の姿。さっきアイツの手首にリストバンドをつけたことまで、なにか拘束めいた行為だったように思えてきてしまう。

 顔を上げれば、真昼のコートに立つ鳳の広い背中が見える。夕方のベッドの中で見るのとはまるで違う、すこやかでりりしい後ろ姿。

 ——まるで違う。けれども、どちらを見たって俺の胸を満たしてくる気持ちは同じだった。

「行くぞー!」

 黄色い球が青空に上がり、鳳が腕を振り上げる。ラケットが球を打つ直前の一瞬、ジャージの袖口からリストバンドの黒が現れ、すぐに消えた。

[23.05.13]


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