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・中3の5月、まだ付き合ってない日鳳が部活の合宿中に同じベッドで寝ることになる話です。
・日(自覚あり)→←(自覚なし)鳳、という感じの両片思いから両思いに至って終わります。
・名無しモブ後輩男子がちょっとだけ出てきます。

※R18部分は【前半は攻め優位→後半は受け優位】な感じです。本番なし。
※受けの自慰要素を含みます。
※攻め喘ぎ、♡喘ぎ(攻・受どちらも)、受→攻の愛撫(手コキ、フェラ、乳首責め等)を多分に含みます。

心と体


「本当に申し訳ありませんっ、副部長!」

 ホテルラウンジ中の注目を集めんばかりの声量で叫びながら、その一年生は俺に向かって勢いよく頭を下げた。

「いやっ……全然だいじょうぶだから、ひと部屋足りないくらい。そんなに謝らないで」
「で、でも俺のせいで……。このホテル、今日はもう満室だから新しい部屋を取ることもできないって、さっきフロントの人も言ってましたし……」
「誰かが別の部屋に移動して人数調整すれば済む話だろ? 一年に予約を任せきりにした俺たちの責任でもあるんだから、もう頭上げて……」

 俺は冷や汗をかきながら必死で一年生をなだめた。部員のほとんどはもう各自に割り当てられた客室に移動して、ラウンジにいるのは一般のお客さんばかりだ。まだ入部したばかりの一年生にこんな場所で頭を下げさせるなんて、彼の内心を考えるといたたまれない。

「ほんとにすみません。俺、その……自分が部活の役に立てるかもって思ったらうれしくて、ついでしゃばっちゃって」
「でしゃばったなんて、そんな……。提案に乗っかったのは俺の判断だし、本当に気にしなくていいから。な?」

 彼はようやく顔を上げ、恐縮しきった目でこちらを覗き込んだ。俺より少なくとも三十センチ以上——もしかしたら四十センチ近く背が低いんじゃないかと思うくらい小柄な、まだ小学生みたいな新入生だった。

 共同生活を通じて部活全体の統率と士気を高めることを目的に企画された、二泊三日のゴールデンウィーク強化合宿。その宿を予約するために旅行会社のサイトを見ていたとき、ふいにこの一年生が声を上げたのだ。「ここ俺の親が勤めてる会社なんで、頼めばかなり格安で予約できますよ」——と。

 特に台所事情が厳しいわけじゃないけど、安く済むに越したことはない。俺以上に合理性を重んじる日吉も同意見だったから、俺たちは宿の予約をすっかり彼に任せてしまった。正レギュラー用の一人部屋を七室と、それ以外の部員が数人ずつ泊まるための中部屋を必要な分だけ。ところが彼が親御さんに頼む過程で伝達ミスがあり、一人部屋が六室しか手配されない事態になってしまったみたいだ。

「……よく考えたら、そもそもレギュラーだけ一人部屋にする必要もなかったんだよな。跡部さんがそうしてたから、つい俺たちも同じようにしちゃったけど」

 去年までの合宿では、跡部部長の方針で正レギュラーと役員には一人部屋が与えられていた(もっとも当の跡部さん自身はいつも樺地との二人部屋だったけど)。もちろんその方針が間違っていたなんて思うわけはないけれど、俺たちは俺たちのやりかたをとってもよかったはずだ。跡部さんの家が持っている宿泊施設を使わせてもらっていた去年までと違って、今は自腹で一般のホテルに泊まらなきゃいけないんだし。

「中部屋の数は足りてるんだから、あとは……」

 と言いかけたところで、ラウンジの奥にあるエレベーターから日吉が姿を現した。みんなを客室階まで引率して戻ってきたのだ。

「日吉!」
「あれ……鳳、まだここにいたのか」
「うん、それがね……」

 事の次第を説明すると、日吉は怒ることもうろたえることもなく、「そうか」と冷静な顔で俺を見た。

「じゃあ一人部屋を追加するか、一人部屋の一室を中部屋に変更してもらって……」
「それが、今日はもう満室で他の部屋は空いてないんだって」
「ああ、そうなのか。ならレギュラーの誰かが一人、どこかの中部屋に泊まらせてもらえば……」
「いや、それだとその部屋のメンバーに迷惑がかかっちゃうからさ。それより俺が日吉の部屋に泊まらせてもらえば話が早いんじゃないか?」
「え?」

 と言って、日吉は目をまるくした。いつも冷静な彼にはめずらしい、ちょっとだけ動揺の色をのせた顔だった。

「……いや、それだと俺に迷惑がかかるんだが?」
「うん。俺、他のみんなに迷惑かけるよりは日吉に迷惑かけるほうがまだ気がラクだもん」
「失礼だな、お前」
「このホテル、たしか人数分の料金を払えば一人部屋に複数人で泊まるのもOKっていうシステムだしさ。そうだったよな?」

 一年生に問いかけると、彼はあわてた様子でうなずいた。

「そうだったはずです。ただベッドは一つしかないので……」
「ま、そこはどうにかなるよ。たぶん予備の布団とか借りられるだろうし……ってことで、この件は解決な。もう部屋で休んできて?」
「はっ、はい……」

 一年生は涙目になってふたたび頭を下げ、さっき以上の大声で「ありがとうございます!」と叫んでからラウンジを走り去っていった。

   ***   

「……申し訳ございませんが、当ホテルでは敷き布団の貸し出しは行っておりません」
「あっ……そうなんですか」

 内線電話から聞こえてきた言葉に、俺はつい声を曇らせてしまった。落胆が伝わってしまったのか、フロントの男性は申し訳なさそうに言葉を続けた。

「掛け布団とブランケットでしたら、レンタルのご用意がございますが……」
「……じゃあ、それを一つずつお願いします」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたしますね」

 ありがとうございます、と伝えて受話器を置く。後ろを振り向かなくても、背後で日吉が眉を寄せているのが手に取るようにわかった。

「おい、どうするんだよ。やっぱり寝床に余裕のある部屋に泊まらせてもらったほうがいいんじゃないか?」
「で、でも~……ベッドに空きがある部屋って、どこも一年生の部屋なんだよ。新入生の中に副部長の俺が入るとか、どう考えてもみんなに威圧感与えちゃうだろ」
「いや、良くも悪くもお前に威圧感なんてないと思うが」

 背後を振り返ると、日吉はやっぱり呆れ顔で眉間にシワを寄せていた。椅子の上で組まれた長い脚が窓からの夕日をうけ、絨毯の床にぼんやりとした影をつくっている。オレンジ色の日差しに照らされると、彼の明るい茶髪はまるで金髪のようだった。

「どっちにしろ、この部屋に二人で泊まるのは厳しいだろ。なにか策を考えないと」

 主に学生の合宿や企業の研修に使われるというこのホテルは、上品ながらも基本的には質素な雰囲気だ。俺たちが入った一人部屋には申し訳程度のダイニングスペースと狭い寝室、それからユニットバスが一つずつ。ダイニングには小さなテーブルと椅子が置いてあるだけで、ベッド代わりにできそうなソファなんかもなかった。

「……まあ、二泊くらいならなんとかなるよ。掛け布団は貸してもらえるみたいだから、それ使って俺は床で寝れば……」
「バカかお前」

 日吉は険しい声で言って立ち上がり、俺のほうに歩み寄ってきた。ぐっと距離を詰められて、思わず一歩あとずさる。

「そんなの健康に支障が出るに決まってるだろ。強化合宿に来てわざわざ体調崩して帰るとか、何考えてるんだよ」
「……でも、ほかにどうしようもないし……」
「……」

 日吉は俺の間近に顔を近づけたまま沈黙し、やがてため息をついた。

「なら、せめて一日ずつ交代にしよう。今日は俺がここで寝て、明日はお前だ」
「えっ……だめだよ、そんなの! 日吉は部長なんだから、ちゃんとベッドで寝て体を休めないと」

 自分以外の誰かを——しかも日吉を硬い床の上で寝させるなんて、考えるだけで胃が痛くなりそうだ。そう思って制した俺の前で、日吉は「はあ?」と呆れ気味に声を出した。

「どういう理屈だよ、それ? 部長も副部長も関係ないだろ、こんなの」
「そ、そうだけど……。関係なくても、俺は日吉に床なんかで寝てほしくないし」
「だから、それはこっちも同じなんだよ」
「え……」

 日吉の言葉はひどくぶっきらぼうで、それなのに俺の胸をかすかに熱くした。日吉の物言いがわかりやすく優しいことなんてめったにないから、こんなのもいつものことだけど。

「日吉、俺を床の上で寝かせたくないと思ってくれるんだ? 優しいな」
「……いやお前と同じことを言っただけだろ。くそ、調子狂う……」

 日吉は体を翻し、また背後の椅子に腰かけた。そのまま頭をがしがしと掻いたせいで、彼のまっすぐな髪には寝癖のような乱れができてしまった。

「……とにかく、床で寝るなら交代制だ。それが嫌なら一年の部屋に行け」
「そんな……。日吉ずるいよ、自分を人質に取るなんて」
「ずるくない。お前が無茶を言うのが悪い」

 迷いのない声できっぱりと言い切って、日吉は窓の外に目をやった。関東の名峰を望む立地に立つこのホテルの窓の向こうには、あおい草木を茂らせた初夏の山々の景色が広がっている。

 俺は夕日に照らされる日吉の姿を見下ろしながら、彼から突きつけられた二者択一に頭を抱えた。日吉を床で寝させるのは嫌だけど、一年生の部屋にまぜてもらうのも気がひける。たしかに日吉の言うとおり俺には良い意味での威厳も悪い意味での威圧感も乏しいだろうけど、とはいえ最上級生で、しかも副部長という立場であることには違いない。俺の存在に遠慮して新入生同士が親睦を深められなくなったりしたら、この合宿の目的自体が果たせなくなってしまう。

「……二泊くらいならほんとに床でも平気だよ? 俺、体は丈夫だし」
「俺だって平気だ、一泊くらい。俺は体が丈夫じゃないから床には寝かせたくないってか?」
「そっ……そんな意味で言ってないじゃん。曲解するなよ」

 日吉はふだんから頑固だけど、今日はとくに融通がきかない感じだ。何がそんなに気に入らないんだろうかと不可解に思いながら、俺はさっき見た寝室の中のベッドを思い出していた。ああいうのをミニマルデザインっていうんだろうか——一人で寝るのさえ若干窮屈そうな、無駄を排してきわめてコンパクトに設計されたらしきシングルベッドだった。

 小柄な一年生ならともかく、俺や日吉が二人で横になるのは明らかに無理がある。だけど、今は他に策もなさそうだった。

「……じゃ、ベッドで一緒に寝る? 俺デカいから、多分すっごい狭くなっちゃうと思うけど……」

 日吉はゆっくりと俺を見た。まるで俺がその提案をすることを最初から知っていたみたいな視線の動かし方だった。

 沈黙が流れ、やがてドアチャイムの電子音がその静けさを割った。さっき頼んだ掛け布団とブランケットをフロントの人が届けにきてくれたんだろう。そう思って玄関に向かいかけたところで、日吉は口を開いた。すねた子供のようにプイとそっぽを向き、俺から目をそらしたあとで。

「……まぁ、べつにそれでもいい。他にどうしようもないんだから仕方ないしな」

   ***   

 部屋で荷物を片付けると、俺はすぐホテルの二階にあるレストランに向かった。今回の合宿の中で、ここからが俺の仕事の正念場といっても過言じゃない。他のお客さんの迷惑にならないように、あらかじめホテル側と約束した時間内に全員が夕食と入浴を終えられるよう、みんなを誘導しなきゃいけないのだ。

 なにせうちの部は大所帯だから、タイムスケジュールの管理をするだけでも一苦労だ。みんな普段の部活で鍛えられて統率はとれているほうだけど、それでも中学生は中学生。旅先で浮かれる部員たちをまとめるためにあちこち走り回って、俺は修学旅行の引率をする先生方の苦労が少しだけわかったような気がした。運動をして疲れるのとは違う疲労感だ。

「ただいま~……」

 へとへとになって部屋に戻ると、日吉はダイニングの机でノートパソコンに向かっていた。明日の練習のための最終調整とかバス会社との連絡とか、事務作業のいくつかは日吉の担当になっているのだ。

「おつかれ。大丈夫だったか」
「ん、なんとかなったよ。ぎりぎりセーフって感じだったけど」
「悪いな、任せきりにして」
「ううん、日吉には日吉の仕事があるんだし。……っていうか日吉、もうお風呂入ったんだ?」

 湯上がりらしき日吉は藍染めの浴衣を着て、顔をうっすらと上気させていた。浴衣の裾から覗く骨っぽい手首や細い足先もほんのり赤く、髪はわずかに湿っている。

 和服を完璧に着こなしたその姿は、ちょっと素敵すぎて直視するのが照れくさいほどだった。男の俺ですらこんなふうに思うんだから、女の子が見たらきっとたまらないんだろう。日吉は無愛想じゃなければモテるのにってよく言われてるけど、実は無愛想なままでも普通にモテるのを俺は知っている(実際に俺も彼に想いを寄せる女子から相談を受けたりしたことがあるのだ)。

「それ、ホテルの浴衣じゃないよね? いつも家で着てるやつ?」
「ああ。備え付けの浴衣は使ってないから、必要なら着ていいぞ」
「んー……俺、和服きれいに着るの下手なんだよね。パジャマも持ってきてあるし、俺はそっちでいいや」
「ん、そうか」
「じゃ、俺もお風呂もらってくるな」

 大浴場に入れる時間帯は終わってしまったから、俺はユニットバスで入浴を済ませた。ユニットバスは狭く、俺の体格だと体を洗うにも不自然な体勢をとらなきゃいけなかった。風呂を出て部屋に戻ると、日吉はもうノートパソコンを閉じ、机に突っ伏してうたたねをしているところだった。

「日吉、だめだよ。こんなところで寝たら風邪ひいちゃう」
「……ん……」
「まだちょっと早いけど、あしたも五時起きだしな。もう寝よう?」
「あぁ……」

 日吉はあくびをしながら立ち上がり、ふらふら不安定な足取りで寝室まで移動した。四畳半くらいの手狭な寝室には、何度見てもコンパクトなベッドが一台。ほかにはベッドサイドに置かれた小さなキャビネットと、壁に据えられた液晶テレビがあるだけだった。ベッドには転落防止用の柵がついているから、二人で寝ても狭くて床に落ちたりする心配はなさそうだ。

「お前、どっちで寝る? 壁側か外側か」
「俺はどっちでもいいけど……。それより日吉、寝る前にマッサージしてあげるよ」
「え?」
「きょう一日みんなを引率して疲れただろ? 俺の数少ない特技だから、こんなときくらい役立てさせてよ」
「別に少なくはないと思うが……。そこまで言うならお言葉に甘えさせてもらう」
「うん。じゃ、そこでうつぶせになって」

 日吉はベッドに上がってうつぶせに寝転がり、俺もその脇に膝をついた。

「まずは肩から。痛かったら言ってね?」
「ん」

 俺は日吉の上で身をかがめ、浴衣越しに日吉の体をマッサージしていった。まず肩を揉んでから、腕の筋肉をほぐしつつ手の先へ。日吉は枕の上で顔を横に倒して目を閉じ、ときどき俺の動きに応じてまつげを震わせたり短い息をついたりした。日吉の手は毎日の部活でできた小さなマメをいくつもつけていて、それなのにしなやかできれいだった。その指を一本ずつ押しなでていくと、「んっ」と小さな声が返った。聞いたことのないトーンの声だったから、俺はあわてて手を離した。

「ごめん、痛かった?」
「え? いや、全然」
「ほ、ほんと?」
「ああ。というかむしろ気持ちいいし……お前やっぱりうまいな、こういうの」
「……そう? それならよかったけど……」

 俺はふたたび手を近づけた。なぜか指が震えていた。気持ちいいと言ってもらえたのに、どうしてだろう、胸がざわついてしょうがなかった。木綿らしき浴衣の生地の上から筋肉の硬さや骨のかたちや体温を——日吉の身体を——自分の手が感じるたびにざわつきは大きくなった。肩甲骨から背中へ、背中から腰へと指圧していくあいだにも日吉は時折小さな声をもらし、寝言のようなその響きが耳に入るたびに頭がしびれた。

「……日吉、和服めちゃくちゃ似合うな」
「え? ……いや、急に何だよ」

 浴衣だから身体の線は目立たないのに、絞り模様が入ったその生地は日吉の後ろ姿のりりしい表情を際立たせていた。いつも部活で見ているユニフォーム姿の背中とは違う、男らしいのにたおやかな雰囲気も感じさせる綺麗さだった。

「……あの、ちょっと体重かけてもいいか? 腰のマッサージするから……」
「ああ、かまわないぞ」
「あと、こっちの脚を上げてもらって……」
「ん」

 浴衣の上から日吉の脚を交差させ、その太ももにまたがって、両手で腰をぐっと押し込む。ストレッチも兼ねた、腰痛を取るためのマッサージだ。

 他の部員や先輩たちにもやったことがあるから、このマッサージの要領はつかんでいる——はずなのに、日吉の体に乗っかった自分の手はどうしてか要領を外しまくった。ウエストや腿の付け根を押してあげなきゃいけないのに、心臓が妙に大きく打って冷静な動きを妨げるのだ。日吉が弱く息をついたり声を出したり身じろいだりすると、俺の鼓動は速くなって動悸めいた。マッサージを受けているんだから当然だけど——日吉はあまりにも無防備に俺の目の前によこたわっていて、自分が一方的にその姿を見下ろしているという状況が俺の頭を混乱させた。マッサージはどうにか最後まで終えたけど、パフォーマンスはひどいものだった。

「ごめん、日吉……なんか俺、今日は調子が悪いみたいで」
「いや、そんなことないが……」

 日吉は上体を起こし、両腕を上げて“伸び”の姿勢になった。浴衣の袖が落ちて細い上腕と肘があらわになり、俺はとっさにそこから目をそらしていた。

「おかげで体が軽くなった。ありがとう」
「……そ、そう? それならよかったけど……」
「お前ほどうまくはないけど、俺もやってやるよ。脚のリンパマッサージくらいならできるし」
「えっ」

 動揺で声が裏返った。日吉は浴衣の袖をまくりながら俺を見た。俺とは違って他意のない目だ——そう考えたところではっとした。

 ——じゃあ、俺にはどんな“他意”があるっていうんだろう?

「……お、俺はいいよ。日吉は疲れてるんだし」
「疲れてるのはお互いさまだろ。部員の引率をしてたのはお前も同じじゃねーか」
「それはそうだけど、でも……」
「いいからそこに寝ろ」

 日吉は強い目をしてマットレスを指差し、俺はその命令に抗うことができなかった。命じられた通りあおむけに寝転がると、日吉は俺の足元に腰を落として俺のズボンの裾を巻き上げ、つまさきから靴下をひっこぬいた。両脚の膝から下が露出し、やがて足首に日吉の手がふれた。手は硬くて柔らかくて冷たかった。俺の体が熱いのかもしれない。

 右の足首を握った日吉の両手が、そのまま膝のほうへ上がる。ゆっくりと遅いペースで、指先をふくらはぎの肉に軽く食い込ませながら。日吉の手は冷たいのに、ふれられたところが熱くなる。熱さは手の動きに合わせて俺の脚の内側を上へ上がってくる。日吉の手は膝までで止まったけれど、俺の熱はさらに上昇して腿を通り、体のまんなかに至って微熱のようなほてりを全身に伝播させた。体じゅうを通る血管の中の血がぜんぶ温度を上げているみたいだ。

 日吉の手は皮膚をなでるように優しく動き、その感触をくすぐったく感じるたびに息が震えた。さっきから続いている動悸みたいな呼吸と鼓動がいっそう激しくなった。本来ならリンパマッサージは上腿も含めて行ったほうが効率がいいけれど、日吉が膝から上には手を這わせてこないことに俺はほっとしていた。日吉は右脚のマッサージを終えると今度は俺の左のつまさきを持ち上げ、ふいに「あれ?」とつぶやいた。

「お前、深爪して血が出てるぞ」
「えっ、うそ……」
「ってか、こんなザックリいっててなんで気づかないんだよ」

 上体を起こして自分の足先を覗き込む。あちこち走り回っているうちに爪が割れたのか、小指の先から血が流れ出していた。

「うわ、早く拭かないと……」
「お前はまだ寝てろ。俺がやるから」
「えっ」

 日吉の手に肩を押され、視界がぐるんと上に回る。強引に背後に倒されて動転していると、日吉はそのまま身を乗り出してきて、俺の体に覆い被さるような体勢になった。

 頭上で物音がした。日吉はどうやら枕元にあるティッシュペーパーの箱を探っているらしかった。俺の身は硬直し、それなのに内側では心臓が痛いくらいに早鐘を打っていた。口の中にはどんどん唾が湧き、眼前に迫った日吉の浴衣の衿から覗く肌の色に視線を縛りつけられて動けなかった。

 日吉はティッシュを取って元の位置に戻ると、俺の左足を持って血を拭き始めた。ティッシュペーパーや日吉の指先が足の裏をかすめるたびにくすぐったさが襲い、身じろいでしまいそうになるのを必死にこらえなきゃいけなかった。

「……ま、こんなもんでいいか。絆創膏持ってくるから、このまま待ってろよ」
「えっ……大丈夫だよ、自分で取ってくるから」
「いや、お前が歩いたら床に血がつくだろ」
「……あ、そっか」

 日吉は寝室を出、絆創膏を持って戻ってくると、また床に膝をついて俺の指にそれを巻いてくれた。俺は混乱で頭がぐるぐるしていた。自分が何に混乱しているのかもわからないのに、早すぎる心臓の鼓動はいつまでたっても収まらなかった。

「じゃ、マッサージの続き……」

 日吉はそう言って俺の左足を持ち上げた。次の瞬間、俺はとっさに体を起こして背後に飛びのいていた。

「……もっ、もういいよ! もう十分ラクになったから!」
「え? でも左脚はまだ……」
「ほんとに大丈夫、だからっ……。もう寝よう?」
「……ああ、わかった」

 日吉は怪訝そうに眉を寄せながらも頷いた。さっきまでピンと張られていた白いシーツは、いつのまにか俺の心の中と同じくらいぐちゃぐちゃになっていた。

   ***   

 想像したとおり、二人で寝転がるとベッドはひどく狭かった。それでも日吉はよっぽど疲れていたのか、壁側で横になった俺の隣で早々に寝息をたて始めた。

 日吉が無事に安眠に入ってくれたことにほっとしながら、俺も目を閉じて眠りにつこうとした。だけどいつまでたっても眠気がやってこない。疲れた体は確かに眠りを欲しているはずなのに、横にいる日吉の存在が無性に気になって寝ることに集中できないのだ。

 眠ろうとしてぎゅっと目をつぶる。だけど耳は日吉の寝息や身じろぎの音を拾い、鼻は日吉が使ったらしきシャンプーの香りを感じてしまう。布団の中で腕や脚がぶつかるたび、ふれたところがしびれるみたいに熱をもつ。どれもこれも微細な刺激のはずなのに、俺の五感はそれらを不可解なくらいに強く感じすぎてしまっていた。

 枕元に置いたスマホを取って時刻を見ると、ベッドに入ってからすでに一時間が経過していた。このまま粘っていてもらちが明かない気がして、俺は頭を冷やすためにいったんベッドから出ようとした——そのときだった。

 あおむけの体勢で寝ていた日吉がふいに寝返りを打ち、俺のほうを向いて寝始めたのだ。それだけならまだしも、彼の片腕は俺の上体をぎゅっと抱きしめるように覆っていた。まるで抱き枕にしがみつくみたいに。

「……っ!」

 ドクンと心臓が高鳴った。さっきマッサージをしてもらっていたときよりもずっと激しく。どうしようもなく胸が苦しくなり、日吉の腕の中から出ようとして身を引きかけたけれど、壁際で寝ている俺の背後に逃げ場はなかった。本当に抱き枕かなにかと勘違いしているのか、日吉の腕の力は強く、強引にしりぞけたら目を覚まさせてしまいそうだった。

 俺は副部長として——そして友人として、日吉にはちゃんと熟睡して一日の疲れを取ってもらいたい。だから無理に日吉を起こすわけにもいかず、ただ彼の腕の中でじっと耐え続けることしかできなかった。——自分が何に“耐える”必要があるのかもわからないままに。

「……」

 混乱のうずに呑まれたまま時間だけが経過した。ずっと体がヘンだった。心拍数は異常に上がっているし、暑いわけじゃないのにからだじゅうの皮膚が汗を噴いているし、いつも自分がどうやって呼吸をしているのかもわからなかった。息が乱れ、心臓から送り出される血液は高速で体の中を循環して、へその下のあたりに痛みに似た熱を溜め続けた。日吉の腕が俺の背をギュッとするたびに異状は加速した。

 動揺しながら顔を上げると、視界いっぱいに日吉の寝顔が映った。常夜灯しかついていない部屋の中でも、暗さに慣れた俺の目はその顔をはっきりと認識することができてしまった。安らかな眠りの中にあってなお精悍な目元も、睫毛の薄影が落ちた頬のなめらかさも、かすかに開かれた薄い唇の曲線の美しさも全部。

「……あ……」

 下腹に溜まり続けていた熱が突然、腰の奥をズンと衝いた。痛くて熱くてつらいのに、甘やかな心地よさが体の真ん中から末端へと波のように広がっていくのがわかった。その甘い波動が脳に押し寄せたところで、俺はようやく自分の体に何が起こっているのかをうっすらと理解した。

 ごくりと唾をのむ。俺は日吉を起こしてしまわないように気をつけながら、布団の中で右手を自分のお腹に持っていった。どきどきしながら手の位置を下げていくと、やがて慣れない感触にぶつかった。パジャマのズボンの向こう側から、不自然に隆起したものが薄い生地を押し上げていた。

「……うっ、わ……」

 布越しにも生温かさと硬さを感じた。ごく弱い力でそっとなでただけなのに、足の先から頭の先まで全身がぞくぞくして体が跳ねた。日吉はあいかわらず俺の前で寝息をたてていて、俺はこの状況に何を思えばいいのかもわからなかった。

 友達が寝ているベッドの中でこんな行為にふけるのは罰当たりなことだ、きっと。でも俺は自分の右手を止めることができなかった。こんなことの知識なんてほとんどなかったのに、ふれ続けていると次第に気持ちいい触り方も気持ちよくなれる場所も把握できてしまった。肩や腕や背中に日吉の腕の重みを感じながら、俺の手はいつしかズボンの内側にまで潜り込んでいた。

「はぁっ……」

 息と声がもれてしまう。甘い刺激に耐えかねてよじれる上体が、ごそごそと衣擦れの音を起こす。日吉の腕の中で、自分の体の反応はどんどん露骨になっていく。一刻も早くやめなきゃダメだと理性は警鐘を鳴らすのに、吐く息は荒れ、びくつく体はいよいよベッドを軋ませ始めた。自分でも聞いたことのないような自分の声が耳に入って、耐えきれないくらいの恥ずかしさがよけいに身を熱くした。

「……ぁ、あっ……」
「……何してんだよ、お前」
「っ……」

 息が止まった。そのまま心臓まで止まりそうだった。一瞬幻聴かと思ったけれど、いや幻聴だったらいいのにと思ったけれど、顔を上げたら日吉はいつも通りの冷静な目で俺を見下ろしていた。

「……」

 さっと血の気が引き、俺の心臓はさっきまでとは違う理由で早鐘を打ち始めた。暗くて狭い布団の中で、日吉は内心の読めない表情を浮かべていた。怒るわけでも呆れるわけでもなく、ただ少し不機嫌そうに口元を曲げながら。

「……ごっ、ごめんなさい!」

 俺は反射的に飛び起きて布団から出、背中が壁にくっつくまであとずさって日吉に頭を下げていた。恐怖で心臓が縮み上がった。怖くて目も開けられずにいると、やがて日吉が体を起こす気配がした。

「いや、べつに謝れとは言ってねえけど……」
「……」
「……おい、顔上げろよ。なんで俺のほうが困らされなきゃいけないんだよ?」
「ごっ、ごめん……」

 俺はおそるおそるまぶたを開け、顔を上げた。日吉はキャビネットに置いてあった眼鏡を取って掛けると、困惑顔で頬を掻いた。

 こんな状況、たしかに日吉だって手に余るだろう。これ以上困らせちゃいけないと思うのに、俺はどうしても口を開くことができなかった。頭の中が真っ白になって、取り繕うための嘘も弁解も出てこない。いつしか混乱が極まって涙になり、日吉はぎょっとしたように目を張った。——泣いて相手に迷惑をかけてしまうなんて、本当に最低だ。

「いや、お前……こんなことで泣くなよ。べつに怒ってるわけじゃねーし……」
「……ごめん……」
「だから謝らなくていいって……。なんつーか、俺も無神経だったかもしれないし」
「そんな。日吉はなにも悪くないよ」

 俺はあわてて言い返した。それから気まずい沈黙が流れ、やがて日吉がその静けさを割った。

「……その……。よっぽど溜まってたってことだろ。生理現象自体はどうしようもないが、せめてトイレとかで処理したほうがいいぞ」
「え……」

 俺は頭の中で日吉の言葉を二度三度と反芻した。それでも意味が取れずにいると、日吉は怪訝そうに眉を寄せた。

「なんだよ、その反応」
「え、えっと……。たまってた、って何?」
「え? ……いや、何って……」
「……」
「……だからっ、しばらく抜いてなかったんだろ!」

 日吉は俺の鈍さにいらだつように語気を強め、ちょっと顔を赤くした。「抜いてなかった」の意味もおぼろげにしかわからないけれど、これ以上質問したら本気で怒られそうだ。

「……えっと、その。俺こういうの初めてだから……。溜まってた? ってことではないと思う……」
「えっ」

 日吉は意外そうに目をまるくした。よく考えたらこんなことは正直に申告しなくてもよかったな、と遅れて気づいたけれど、口に出してしまったものはもう戻らなかった。

「初めてって……マジかよ。そのデカい体でか?」
「そっ、それとこれとは関係ないだろ!」

 体格のことを言われるとなんだか無性に恥ずかしくて、俺はつい声を荒らげてしまった。でも日吉は俺の大声なんてちっとも怖くないらしく、しばらくなにかを考え込むように沈黙したあと、妙に強い目で俺を見た。

「……じゃあ、なんで今なんだよ」
「え?」
「“初めて”が、なんで今になったんだ?」
「それは……」

 日吉は俺の目をじっと見続けた。それは俺の心の中をぜんぶ暴いてしまいそうな鋭いまなざしだったから、俺は怖くなって目をそらしてしまった。

「なんでって聞かれても、自分でもよくわかんないけど……」
「けど?」
「……なんか俺、日吉に触ったり触られたりするたびにドキドキしちゃって……。おんなじ布団の中で寝てたらもっとドキドキして、体が熱くなって……気づいたらこうなってた、っていうか」
「……」

 日吉の返事はなかった。そっと視線を戻すと、今度は日吉のほうが俺から目をそらし、片手で口元を押さえながら顔をしかめていた。いつもの仏頂面とは少し違う、どこか悩ましげな顔だった。

「……じゃあ」

 と、日吉はふたたび俺を向き直った。

「なんで俺なんだ」
「なんでって……」
「お前、俺以外に触ったり触られたりしても同じようになるのか。違うだろ?」
「……それは、違うと思うけど……」

 日吉以外の部員が相手なら、マッサージだって普通にこなせたのだ。実際の経験はないけれど、日吉以外の誰かだったら同じ布団で寝たってこんなふうにドキドキしたりはしないだろう。理由は自分でもよくわからない。わからないけれど、なぜか容易に想像できるんだった。

 日吉は歯がゆそうに唇を噛み、それから大きな息を吐き出した。呆れるようなため息だった。

「……お前、それってさ」
「な、なに?」
「そんなのどう考えても……」

 言葉はそこで途切れ、日吉はまたひとつ息をついた。

——いや、なんでもない」
「えっ」
「なんにせよ、要は俺のせいってことだろ、それ。だったら俺が責任とってやるよ」
「……えっ?」

 責任って何、とか聞いたらまた呆れられるだろうか——なんて考えている余裕もなく、日吉は俺のほうに身を乗り出して迫ってきた。日吉の膝が俺の左右の腿のあいだに割り込み、浴衣の袖から覗く右手は俺のみぞおちのあたりをなでた。その手が少しずつ位置を下げ、細い指先がパジャマ越しに性器をかすめた瞬間、俺のパニックは頂点に達した。

「……せっ、せきにん、って」
「初めてってことはやりかたも知らないんだろ? なら教えてやる」
「えっ、と……その、知識としては一応、知ってるような知らないような……」
「……中途半端な知識じゃ危険だぞ。ヘンなふうに触ったらケガをすることだってあるし……」
「えっ、そうなのか?」
「ああ、だから俺が教えてやるよ。……お前が嫌じゃなければ、だけど」

 どことなく気弱げに言い足してから、日吉は左手で俺の髪にふれた。髪をなでてくれるその手も、鼻先が触れ合うほどの至近距離から俺を見つめてくる目も優しかった。優しすぎて怖いくらいだ。やわらかな手つきで頭をなでられると、体が端からとろとろと溶けていきそうな気がした。

「……嫌じゃないよ」

 俺は考える間もなく答えていた。考える必要もなかった。日吉はなにか安堵したように表情を和らげ、指先で俺の横髪をぐしゃぐしゃやった。

「全然嫌じゃないし、日吉が教えてくれるの、なんかうれしいし……」
「……そうかよ」

 日吉はぶっきらぼうに言って体を引くと、ベッドの上で丸まっていた掛け布団をたたんですみによけ、空いたスペースに枕を置いた。俺はその枕に頭をのせ、日吉の隣であおむけに寝転がった。ドキドキしているのは俺だけかと思ったけれど、俺の顔を覗き込んでくる日吉の頬も赤かった。

「……その……。痛かったら言えよ」
「う、うん」

 日吉は俺の隣で横向きに寝そべると、また右手で俺の腿にふれた。細くて骨っぽいその手は、ゆっくりと円を描くように腿をなでながら上に上がってきた。そのまま体の中心を触られるのかと思ったけれど、日吉はその山を迂回して俺の腹に上がり、へそのまわりをあたためるようになでつけてから下へ戻った。そして硬くなったままの性器を優しくさすられた瞬間、火をつけられるみたいにお腹の奥が熱くなった。

「っ……」

 薄暗がりの中で、日吉の手がパジャマ越しに俺のそこをつかむ。全体をやわやわと揉み、捏ねるように圧迫して、指先でひっかくみたいにくすぐりながら先端へと上がってくる。どれも強い力ではないのに、ひとつひとつの刺激が俺に電気を流した。体がびりびりして、深いところから息が出て、腰が跳ねたり背中がのけぞったりした。日吉の綺麗な手が不埒な動き方をするのを見ていると、体だけじゃなく心までその手に弄ばれているような錯覚が起こった。

「……ねっ、ねえ、日吉……」
「なんだよ」
「日吉はいつも、こうやって自分のを触ってるのか?」
「……お前、その質問はセクハラに該当するぞ」
「え、そんな……」

 日吉はちょっと怒った様子で俺のを握り、さっきよりも強い力で上下にしごきたてた。布が乱雑にこすれる強烈な刺激が、鋭い快感になって身を襲う。下着の中で、膨張した性器はひりひりと熱く疼きだしていた。

「あっ……ぁ、だめっ、痛い……」
「あ……悪い」

 日吉はあわてた様子で俺から手を離し、申し訳なさそうに眉を下げて俺を見た。普段はめったに見せない、心細げな表情だった。男同士なんだからもっと遠慮がなくたって構わないのに、日吉は本気で俺のことを気遣ってくれているらしい——そう思うと胸の奥が熱くなった。

「や、ごめん。日吉の手が痛いわけじゃなくて……。下、穿いてるのが窮屈で苦しくて」
「え」
「……服、脱いじゃってもいいかな」
「あ、ああ……いや、その、俺がやる」

 日吉はそう言って俺のパジャマのゴムに手をかけた。軽く腰を浮かせると、ズボンと下着が一緒に引き抜かれていった。

 露出した両脚のあいだで、上向きに反り返った性器は自分でも見たことのない形になっていた。いたたまれなくて目をそらしたけれど、日吉の視線は容赦なくそこを刺してきた。

「……日吉、あんまり見ないで」
「いや、見ないと触れねーだろ」
「そうだけど、……っ、あっ……♡」

 日吉の手で直接ふれられると、お腹の奥がムズムズしてヘンな声が出た。日吉は俺の性器のさきっぽを指の腹でさすりながら、いじわるな笑顔になって俺の目を覗き込んだ。

「女みたいな声出すな、お前」
「……日吉、女の子のそういう声、聞いたことあるの?」
「えっ……いや、あるわけないだろ。そういう意味で言ったんじゃねーよ」
「そっか、よかった……」
「……よかった、って……」

 日吉の手は俺の性器の根元を握り、俺の反応を窺うようにゆっくりと上下に動いた。ぱんぱんに張り詰めたそこは痛いくらい敏感で、日吉の手のやわらかいところも硬いところも、でっぱったところもくぼんだところも、手のひらのシワの一本一本すら感じ取って快感を生んだ。今までに味わったことのない気持ちよさがお腹から全身に広がって、体のいろんなところがびくびく跳ねてしまう。

「っ……ん、あっ、あ……♡」
「……その、ちゃんと気持ちいいか?」
「んっ……うん、気持ちいい、日吉の手……」
「べ、べつに誰の手でも同じだろ」
「同じじゃないよ……」

 日吉に触ったり触られたりするだけで、どうしてこんなにドキドキするんだろう。彼のきれいな手でなでられると、どうしようもなく幸せな気分で胸がいっぱいになった。

「あっ、あ、ぁ……♡」
「……お前、あんまり声出すと隣の部屋に聞こえるぞ」
「だって、これ……どうやったらガマンできるのかわかんない、からっ……」

 体の奥からせりあがってくる甘い震えが、息と声になって勝手に出ていってしまうのだ。俺を見下ろす日吉の髪の淡い光沢とか、瞳に宿った弱い光とか、浴衣の衿から覗く鎖骨や喉仏の男らしい起伏とか……そういうものが目に入るたびに快感はより深く、重たくなった。美しさが心を侵してくるみたいに。

「っ……ん、あッ……ぅ♡」
「だから、声……」
「んっ、ごめん……。で、でも日吉は? 日吉は自分でするとき、こうやって声出たりしないのか?」
「……出ねーよ。我慢できるだろ、普通に」
「そっか……俺、ちょっとヘンなのかな」
「いや、べつにヘンってわけじゃないが……」

 両手で口をふさいで声を抑えてみると、出口を失った快感が体の中で暴れ回った。日吉の手が動くたびに腹筋のあたりがひきつり、今まで意識したこともなかった深いところに破壊的な感覚が凝縮した。性器の根元から先端へと熱いものが昇ってきて、あふれ出し、日吉の手を濡らしてしまうのがわかった。薄目で窺うと、自分のそこはさっきよりもさらに赤く大きく腫れ上がっているように見えた。

「なんつーか……」

 と、日吉は俺と同じところを見ながらつぶやいた。

「やっぱデカいな、お前。まぁ背丈がそれだけあれば当然なのかもしれないが」
「っ……日吉、その発言はセクハラじゃないのかよ」

 羞恥で体がカッと熱をもち、多少の抗議を込めて言ったけれど返事はなかった。日吉の手は徐々に速くなり、シュッ、シュッ、と生々しい音をたてながら俺の性器をしごき続けた。ときどき根元ばかりを責められたり、さきっぽを集中的にいじめられたりした。日吉は俺をあやすみたいに優しくなでたり、そうかと思えばやや乱暴なくらいキツく握ったりしながら強烈な快感を送り込んできて、俺はその手の動きの全部にぞくぞくした。シーツの上で腰が泳ぎ、腿が揺れて、性器が際限なく熱を増すのを感じた。さっきはうやむやにされてしまったけれど、やっぱり日吉はいつもこんなふうに自分のを触っているんじゃないかって想像せずにはいられなかった。まじめで高潔な日吉でもそんなことをするんだって考えるだけで、興奮めいた感情で頭がほてった。ちっちゃい頃からずっとそばにいたはずの友達が、実は俺の知らないところでいつのまにか“男”になっていたんだなって。

「……日吉……」
「なんだよ」

 こんなこと何歳のころから知ってたの、なんて聞いたらまた怒られるだろうか。——そんなふうに考えていると、日吉はふいに身をかがめて俺の耳元に口を寄せてきた。

「ひゃっ……」

 耳たぶに吐息がかかる。ぞわっとするようなくすぐったさが、鳥肌になって背中に広がる。歯を食いしばって耐えていると、今度はやわらかな感触に耳たぶを挟まれた。日吉はあたたかい唇で俺の耳を食み、ちゅっと音をたててそこに吸いついた。俺の体の中では電撃的な快感が背筋を駆け抜けていった。

「っ、う……♡ 日吉、それっ……」
「……気持ち悪かったか?」
「え、全然……っていうか、むしろ気持ちいい……」
「……ふうん」

 日吉は俺の耳に唇をくっつけてしゃべり、そうされると俺の頭の中は日吉の声でいっぱいになって、重たいその響きに脳を溶かされてしまいそうだった。ちゅ、ちゅっ、と続いていく水音も意識をくらくらさせた。日吉は右手で俺の性器をしごきながら、しばらく俺の耳を吸ったり舐めたりしていた。体の真ん中と端っこから同時に未知の快感が襲ってきて、それはほとんど耐えがたい苦痛のようだった。

「はぁ、っ……ぁ、あっ♡ 日吉、だめ、これ……♡」
「……なあ、これ上も脱がしていいか」
「えっ……」

 いいとかだめだとか答える間もなく、日吉は俺のパジャマの襟に指をかけていた。そのまま一番上のボタンが外される。

「な、なんで?」
「なんでって……」

 日吉はそこで言葉を切り、いじけるみたいに目をそらした。

「べつに。嫌なんだったらいいよ」
「嫌なわけじゃないけど……」
「……」

 日吉は視線を戻してじっと俺の目を見た。俺が嘘をついていないかどうか問いただすような目つきだった。

「……いまどき珍しいよな、多分。合宿にこんな襟付きのパジャマを持ってくる中学生とか」
「え……それ、浴衣を持ってきてる日吉が言うことじゃないだろ」

 日吉は俺のパジャマのボタンを上からひとつずつ外していった。なにかを慈しむような、慎重で美しい指遣いだった。前身頃を開かれると、肌着をつけていなかった俺の皮膚にはひやりとした空気がふれた。

 日吉は手のひらで俺の上体をなでながら、俺の腹や胸や鎖骨に唇を落として回った。しっとりとした、やわらかい唇。肌のどこを押されても心地よくて、俺はうっとりとした気分になった。息が深くなり、皮膚にはりめぐらされた神経のすべてが日吉の感触を求め始める。もっともっと欲しくなってしまう。

「日吉、こっちも……」
「ん」

 片手をのばして日吉の頬をなでると、日吉はその手をとって甲に唇をくれた。それから俺が自分の首筋を指差せば首筋に、額を指差せば額に。ほっぺたのやわらかいところにも、まぶたの上や鼻の先にも。おでこに日吉の前髪の毛先が落ちて、くすぐったいのも気持ちよかった。

「……ね。日吉、さっき俺に“やりかた”を教えてくれるって言ってたよな」
「それが何だよ」
「その、……こういうことも“やりかた”に含まれるのか?」

 無知な俺には明確なことはわからないけれど、行為の手筈を教えるだけならこんなふうに優しくしてくれる必要はないんじゃないだろうか。——そう考えた俺の上で、日吉はぐっと言葉に詰まるみたいに口をつぐんだ。

 不可解な沈黙。日吉が次の言葉を発するまで、十秒はあっただろうか。

「……お前がそんな顔するからだろ」
「そんな顔? ……って、どんな?」
「俺に触られたい、って顔に書いてある……」

 日吉はそう言ってまた俺の頬に唇をくっつけた。自覚はなかったけれど、日吉が言うんだから俺は本当にそんな顔をしているのかもしれない。

 頬を押していた唇はやがて俺の口元に近づき、唇の手前で足踏みを始めた。俺はじれったくなって指先で自分の唇を指した。

「日吉、こっちもして」
「……」

 日吉は逡巡するように目を泳がせ、それから俺を見た。

「こっちって……。いいのか?」
「え……なんで?」

 日吉が何を気にしているのかわからなくて、俺は間抜けに聞き返してしまった。そしたら日吉はいつも以上に険しい顔になって、はぁっ……と大きな息をつき——次の瞬間、俺の上体は日吉の腕にぎゅっと抱きしめられていた。

 心地よい重みが胸をつぶす。耳のすぐ近くで、せつなげな吐息の音がする。

「……くそ。かわいいな、お前……」
「へっ……」

 今度は本当に幻聴だったのかもしれない。幻みたいに小さな声でささやかれたその言葉は、夢みたいに甘く響いて俺の心と体をとろけさせた。

「……日吉、今の」

 もういっかい言って——ってせがむより早く、唇がやわらかいもので覆われる。

「ん、っ……♡」

 自分のやわらかいところに日吉のやわらかいところがふれ、互いが互いを押し合った。あたたかい流れがからだじゅうに行きわたり、怖いほどの幸福感で胸がはちきれそうだった。体の中のごく小さい一部分を触れ合わせているだけなのに、全身こんなに気持ちいいなんてちょっとおかしい。

「……はぁ、っ……♡ ね、日吉……」
「なんだよ」
「その……これってファーストキスになるのかな」
「……」

 日吉は俺の上で呆れるように沈黙した。数秒後、「お前バカだろ」と直球の悪態が飛んできて、それなのに俺の胸は悪くない動揺で高鳴った。ときどきこんなふうに反応してしまうのは、ちっちゃい頃から日吉の憎まれ口に馴らされてきたせいかもしれない。

「してから気づいたのかよ?」
「……じゃあ、日吉はする前から気づいてたの?」
「あたりまえだろ」
「気づいてたのにしてくれたのか? ……日吉だって初めてだよな?」
「……それはそうだけど……」
「なんで?」

 なんで俺のためにそこまでしてくれるんだろう。そう思って聞いたけれど返事はなく、日吉は黙って俺の唇を奪った。二回目も三回目も四回目も、俺のキスの相手は日吉になった。口の悪さとはうらはらに優しい触れ方。その心地よさに身をゆだねていると、日吉はまた俺の性器を握ってしごきながら、俺の胸に舌を這わせ始めた。

 濡れた舌先が乳首の周囲をくすぐって回る。中心を強く吸われ、前歯で甘噛みするみたいに優しく挟まれる。上目でこっちを覗き込んでくる日吉と目が合う。——最初はくすぐったくてムズムズするだけだったけれど、いつしか甘いような痒いような気持ちよさが生じ始めていた。

「っ……ぁ、あ♡ ……ひよし、これきもちいい……」
「ん……。ちゃんとイけそうか?」
「……ん、ぅん……」

 日吉の言葉の意味はやっぱりおぼろげにしかわからなかった。でも日吉の手が動くたびに体の中身が揺さぶられ、なにか激しい波に押し流されそうになる。頭の芯がやられて視界が揺らぐ。たぶん、これがそういうことなんだろう。

「あっ、ぁ♡ あ、だめ……」
「……だめって?」
「っ……だめ、だめっ……」

 息が苦しい。腰の奥が痛い。体の中の力が全部、ぎゅーって体のまんなかに集まっていく。衝動的に腕が伸びて、日吉の体を潰すみたいに抱きしめてしまう。「痛っ」と声が聞こえ、俺はあわてて力を抜いた。

「ごっ、ごめん……」
「なんか、もう限界って感じだな」
「……日吉、もっかいキスして」

 熱い混乱の中で、ふわんとやわらかい感触が唇に降りてくる。瞬間、体に溜まっていた力が一気にほどけていった。

「っ、んッ……ぁ、あっ……!」

 急激な解放の感覚。怖くなって体に力を入れようとしても、気持ちよすぎて全然だめだ。腰に力が入らない。体が言うことを聞いてくれない。

「あぁ……っ♡」

 止まらない日吉の手が俺を煽る。脳の一点を貫かれるような快感とともに、こらえていたものがびゅっと噴き出していく。射精は何度かくりかえされてなかなか収まらず、いつまでも終わらないんじゃないかって不安になった。精液が飛び出していくたびに痙攣的な快感が襲いかかり、俺の体はずたずたに引き裂かれそうだった。

「日吉、だめ……手、とめて……!」
「ん……」

 日吉は手の動きを止めてくれたけど、感覚の激流は時間をかけて俺の体を打ち回した。全身のあちこちにしぶとい余波を流しながら、徐々に凪いでいく。

「……はぁ、っ……」

 体の中に残った震えが、呼吸と一緒に吐き出される。俺の体はひとしきり不随意に波打ったあと、だらりとゆるんでベッドに沈んだ。

 恍惚の余韻が全身を包む。眠気にも似たあたたかさに揺られながら目を開けると、涙でぼやけた視界の中で、日吉の浴衣の腰のあたりに白っぽい粘液が付着しているのが見えた。さっと血の気が引くのを感じながら、俺はあわてて身を起こした。

「日吉、それ」
「ん?」
「浴衣に付いてるの、俺のせいだよな……」

 指差して伝えると、日吉はそこを見てちょっとだけ目を張った。「ああ」と続いた相槌に叱責の響きはなく、俺はかえって罪悪感で胸が潰れそうになった。

「ごっ、ごめんっ! せっかくきれいな浴衣なのに汚しちゃって……!」
「や、べつに……」

 頭を下げる俺の前で、シュッとかすかな音がする。おそるおそる顔を上げたら、日吉は枕元のボックスから引き抜いたらしきティッシュペーパーで浴衣の生地をぬぐっていた。

「洗えばいいだけだ。ホテルの寝具を汚すよりよっぽどマシだろ」
「でも……」
「そんなことよりさ」

 日吉はティッシュペーパーを床のゴミ箱に放ると、険しい顔をしてこちらに迫ってきた。眼鏡のレンズの向こうから、強すぎる瞳が俺の目を刺してくる。

「な、なに?」
「……お前、俺のことが好きだったんだな?」
「えっ……」

 唐突な言葉に、俺はたぶん間抜けな顔をしてしまったと思う。日吉は裸のままの俺の下半身に掛け布団をのせながら、返事を促すように俺の目を見続けた。

「えっと……日吉は大事な友達だし、チームメイトだし。もちろん好きじゃないわけないけど……」
「そういう意味じゃねーよ。まさか本当にわかってないわけじゃないよな?」
「……いや、意味はわかるよ。でも」

 その手のことに疎い俺でも、日吉の問いの意味はさすがにわかる。わからないのは、その問いに対する自分の答えだった。

「……恋かどうか、ってことだよな?」
「まあ、そういうふうに表現してもいい」

 日吉は体を背後に引き、正座になって腕を組んだ。いつも道場で立ち居振る舞いから整えているだけあって、浴衣を着た日吉の端正な正座姿はあまりにもサマになっていた。

 浴衣姿だけじゃなくて、普段の練習で見せるしなやかな身のこなしも技のフォームも、日常生活での所作も全部、日吉のそれは常にきれいで美しいと思う。——だけど美に対する感嘆を恋と呼んでいいのかどうかはわからなかった。そっけないように見えて実は優しいところも、いじわるな言葉の裏に照れ混じりの気遣いが隠れているところも——ときどき本当にいじわるなところさえも大好きだけど、その“大好き”は友達への好意とは違うものなんだろうか? それもわからない。

「……ごめん。俺、よくわかんない」
「わかんないって……」

 自分の心のうちわけが自分でもわからない。その気持ちを正直に答えた俺の前で、日吉は渋い顔をした。「お前バカだろ」と、二回目の悪態が飛んでくる。

「俺の腕の中で勃起してサカってたのはどこのどいつだよ?」
「っ……そ、そんな言い方するなよ!」
「どんな言い方したって事実は事実だろ。だいたい好きでもない相手に対してあんなふうにキスをせがんだりしねーって、普通」
「それは……」

 そういえばさっきの自分はそんなことを言ってしまったな、って思い出すと羞恥で体が熱くなった。日吉は煮え切らない俺への苛立ちや呆れを隠さない声で、「本当に理解してないのか?」と続けた。

「……俺こういうこと考えるの苦手なんだよ。日吉だって知ってるだろ?」
「だからって、自分の気持ちまでわからないなんてことがあるかよ」
「だって……日吉のことは大好きだけど、それは友達なんだから当然のことだし。そもそも男同士だし……」
「そんなの今さらだろ。男にシゴかれて射精した男が何言ってんだ」
「だっ、だからそういう言い方するなって!」

 日吉の露骨な言葉がいたたまれなかった。でも本当にいたたまれないのは、その言葉が事実しか述べていないことだ。

 日吉は目を閉じてため息をついた。それからふたたびまぶたを開き、俺の目元に視線を戻す。

「……じゃあ聞き方を変える。自分の心がわからなくても、体のことなら単純な事実として判断できるだろ」
「からだのこと?」
「お前、俺に触られてどう感じた? 気持ちよかったとか気持ち悪かったとか」
「どうって……」

 日吉の手の感触を、唇のやわらかさを思い出す。それは記憶だけでも甘美な心地だった。

「……気持ちよかったよ。日吉、すっごい優しく触ってくれてたし」
「ふうん……」

 と言って、日吉は口の端を上げた。いつもの日吉の笑い方。俺を言い負かそうとするときの不敵な笑みだった。

「だったらその時点でもう答えは出てるだろ。もし相手が好きじゃないヤツだったら、あんなところまで触られて気持ちいいだの優しいだの思わねえよ」
「そ、そっか……?」
「それともお前は、好きでもない相手に見境なく体を触らせるようなヤツなのか?」
「おっ、俺はそんな人間じゃない!」
「そうだろ。好きな相手にしか触らせないだろ? で、俺には触らせた。つまり俺が好きだってことだ」

 日吉の物言いは冷静かつ断定的で、質問というより尋問をされているようだった。三段論法みたいに筋が通っているけれど、そもそも先に触ろうとしてきたのは日吉であって俺から触らせたわけではないし……とか、でも触られて気持ちよかったのはたしかに事実だし……とか、いろんな気持ちがぐるぐるしすぎてよけいにわけがわからなくなってしまう。

 結論を出せずにいると、日吉は「じゃあさ」と続けて正座を崩した。浴衣の身頃のすきまから、腿の白さがちらりと覗く。

「お前、もし俺がお前以外のヤツとさっきみたいなことをするとしたらどう思う?」
「え……」

 瞬間、俺の脳裏には日吉に密かに想いを寄せている女の子たちの姿が映った。それは以前実際に俺に相談を持ちかけてきた子だったり、自分の脳が勝手につくりだした幻だったりした。もしも日吉がさっき俺にしてくれたみたいに、彼女らの体に優しくふれたり唇を寄せたりしていたら——そう考えると俺の心は激痛で張り裂けそうになった。

「そっ、それはやだ!」
「へえ? なんでだよ」
「……俺だけにしてほしい。俺だけがいい。どうしても……」
「ふーん……」

 日吉はまた不敵に笑った。

「でもさ、実際は俺がお前以外の誰とああいうことをしたって俺の勝手だよな」
「それは……」
「ああいうの、普通は付き合ってる相手としかしないことだろ? でも俺たちは付き合ってるわけじゃない。だからお前に俺の行動を制限する権利はない」

 整然とした言葉が俺の不安を煽る。まるで日吉の手が頭の中に入ってきて、俺の思考のピースを直接つかんで動かしているみたいだった。日吉は俺よりも俺の気持ちをわかっていて、その進むべき方向へ誘導してくれている、みたいな。

「でもお前はそれが不満なんだろ?」
「う、うん」
「じゃあ、お前はどうしたいんだ」
「……俺は……」

 俺の目線より少し低いところから、日吉は俺の目を覗き込んだ。薄暗がりの中でも彼の目は鋭く光り、なめらかな髪には天使みたいな輪っかができていた。

「……日吉、俺と付き合ってくれる?」

 俺にはもう他の言葉は残されていなかった。だって日吉が他の人とあんなことをするなんて絶対にイヤだ。相手が女の子でも、俺以外の男の誰かでも。

 日吉はフッと短く鼻を鳴らして笑った。

「まぁ、お前がどうしてもって言うなら付き合ってやってもいい」

 日吉のしたり顔とともに、いくつもの記憶が押し寄せてくる。俺は過去にも日吉から、「そこまで言うなら一緒に行ってやってもいい」とか「そんなに必死になるなら頼まれてやってもいい」とか、何度も言われたことがあるのだ。そういう言い回しを選ぶときの日吉は決まって内心では乗り気みたいで、かすかに上を向いた口の端や、ふとしたときに細められる目なんかに上機嫌が表れていた。

 いま俺の目の前にいる日吉は、あのときと同じ顔をしている。思い出のなかで、浮かれ気味の内心を隠そうとして隠せていないのと同じ顔。——だけど俺はもちろん、今の彼の内心までもが当時と同じだなんて思うことはできなかった。

「……俺は『どうしても』だけど、日吉が嫌だと思うなら無理強いはしたくないよ」

 日吉のあの優しい手つきが他の誰かのものになってしまうなんて絶対にイヤだ。けど、大切な友達に嫌な思いをさせるのはもっとイヤだった。そう考えた俺の前で、日吉は口をへの字に曲げた。さっきまでのしたり顔は消えていた。

「べつに嫌だとは言ってないだろ」
「……ほんとに?」
「お前、俺がこんなことで嘘をつく男だと思うのか?」
「思わない、けど……」

 日吉は時々いじわるになることもあるけど、本気で人の気持ちを愚弄するようなことは言わない。だから、俺と付き合うのが嫌じゃないって言葉も嘘ではないんだろう。

 長年日吉のそばに居続けてきた俺にはそれがわかる。わかるけど、状況に感情が追いつかないのだった。だって日吉とは今までずっと友達同士で、自分の恋心らしきものを指摘されたのはつい数分前なのに、いきなり“付き合う”ことになるなんて。展開が早すぎて思考がついていかない。

「ほんとにいいの? 男同士なのに……っていうか、俺なのに」
「なんだよ。妙に卑屈だな」
「だって日吉、小学生のときに『結婚するならおしとやかで和服の似合う子がいい』みたいなこと言ってたじゃん」
「っ……いつの話だよ、それ! ガキの頃の戯れ言を蒸し返すんじゃねえ」
「ごっ、ごめん」

 日吉は照れた様子で宙をにらみつけた。その仕草がかわいくて、俺の心臓はギュッとなった。

「……日吉、こっち向いて」

 首を動かした日吉の頬を持って、唇に唇を寄せる。一瞬だけふれあって離れたら、日吉はまだ照れたままの顔をしていた。

「……な、なんだよ急に」
「付き合うならしてもいいのかなって思って……。ごめん、嫌だった?」
「べつにそうは言ってねーけど……」
「じゃあ、もっとしてもいい?」

 日吉はかすかに唇を動かし、でも言葉は発しなかった。少し待ってみても拒絶の返事はなかったから、俺はまた日吉に近づいて彼の頬や唇に唇をくっつけた。日吉の言ったとおり俺は自分でも自分の心がよくわからないけれど、自分の体が日吉の体にふれていると気持ちいいってことははっきりと感じ取れた。

「日吉、唇やわらかいな」
「……そりゃ硬いわけないだろ」
「それはそうだけど……」

 俺が唇を押しつけたり離したりしていると、日吉もタイミングを合わせて押し返してくれる。くりかえしているうちに体があたたかくもどかしくなってきて、もっともっとふれあいたい気持ちがあふれすぎて、勢い余った俺は日吉の体を背後に押し倒していた。

 文句を言われるかと思ったけれど、背中からマットレスに倒れ込んだ日吉はただ動揺らしき顔をして俺を見上げるだけだった。だから俺はその上に覆い被さってキスを続けた。表面をくっつけあうだけじゃなくて、途中から唇を舐めたり舌を絡め合ったりもした。次第に俺も日吉も呼吸が荒くなり、日吉の拳が抗議のように肩を叩いてきたところで俺はようやく唇を離した。

「っ、は……。……なげーよ、お前……」

 かすれた声を絞り出すように言いながら、日吉は手の甲で口元をぬぐった。

「ごめん。気持ちよくてつい……」
「ったく……息、止められるかと思ったぞ」
「……じゃあ、別のとこにする」
「えっ?」

 もっと日吉に触りたい。だけどこんなときにどんなふうにすればいいのか俺は知らないから、さっき日吉が俺にしてくれた触り方をまねすることにした。

 指先で日吉の髪をかきわけて、毛束の間から覗いた薄い耳に唇を落とす。と、日吉は俺の下で体を震わせた。

「っ……おい、やめろって……」
「日吉、耳が赤くなってる」
「な、なってねーよ! つーか耳元でそんな声出すんじゃねえ」
「声? ……日吉、俺の声好きじゃない?」
「そういう意味じゃ、ない……けどっ……」
「ねぇ、そんな声ってどんな声? この声もだめ?」
「……」

 日吉は両手で顔を隠して黙ってしまった。そのなめらかな髪をなでると、手のひらに心地よさが伝わった。

 片手で髪にふれながら、唇で日吉の耳を挟む。さっき日吉がしてくれたのを思い出しながら食んで、吸いついて、端をそっと舐める。日吉は顔を隠したままだったけれど、俺の耳には徐々に荒くなっていく鼻息の音が届いていた。

「日吉、きもちいい?」
「……」
「あ、こうやって指で触るほうがいいかな」
「……っ、……」
「ね、日吉……」

 返事がないのがじれったくて、俺は日吉の顔を覆っている手を強引にはがしてしまった。日吉はうろたえるように目を張った。その目の表面は潤み、頬は上気して赤くなっているのが薄闇の中でも見てとれた。

「日吉、そんな顔するんだ。かわいい……」
「……っるせえ、かわいくねーよ! だいたいお前、そんなにデカいのになんで中三にもなって声変わりだけ来ないんだよ!?」
「えっ……なにその怒り方」

 日吉は不機嫌な幼児みたいに唇をぎゅっと結び、いつも以上に険しい目つきで俺をにらみつけていた。でも、ほっぺたが真っ赤になっているせいで迫力は全然ない。

「俺、背が伸びたときに声も変わったよ? まあ日吉ほど低くはならなかったけど……」

 日吉は小学校高学年の頃にはすでに声変わりが始まっていた。大人の男の人みたいな響きのその声に、当時の俺はちょっと憧れていたと思う。日吉は話す内容もおとなびていた——今考えるとマセていた——から、なおさらかっこよく見えたものだ。

「嘘つけ。いつまでも小学生みたいな声しやがって」
「そんなことで怒られても……。っていうか日吉、俺の声のことなんて気にしてたんだ?」
「……いや、べつに」

 ぶっきらぼうに言って、日吉は俺から目をそらした。

「……たしかに男としてはちょっと高めだと思うけどさ。日吉は低い声のほうが好き?」
「だから、そういう話じゃねーって……」
「じゃあ、その……。もしかして俺の声、好きだと思ってくれてる?」

 問いかけた瞬間、日吉は露骨に図星の顔になった。いつも素直じゃない日吉だけど、だからといって嘘が上手な人ではないのだ。

「うれしい……。俺も好きだよ、日吉の声」

 日吉の体にのしかかって、さっきとは反対の耳に、首筋にキスを落とす。しばらく続けていると、腰のあたりに不自然な感触を感じた。

 日吉の下腹部に手を持っていく。浴衣の生地の向こうから、ぬくい隆起が手のひらにぶつかった。

「日吉もここ硬くなってる……」
「っ……さ、触んな……」

 日吉はそう言って腰を引いた。あまり本気の抵抗には見えない、弱々しい動きだったけれど。

「ねえ、これって俺のせい? 俺が触ったりキスしたりしたから?」
「……知るかよ。ただの生理現象だろ」
「そっか」

 俺のせいならよかったのに、って思う。そんな気持ちになるってことは、俺はやっぱり日吉のことが好きなんだろうか。

「でも俺、日吉のこと気持ちよくしてあげたい」
「え」
「日吉が俺にやってくれたみたいに、俺も日吉にしてあげたい……」

 “俺のせい”じゃなくても——心までは手に入れられなくても、せめて体だけは俺のことを感じてほしい。

 浴衣の布越しに、硬くなった性器をそっとなでる。手のひらに日吉の輪郭が伝わってきてドキドキする。何度もさすり続けていると、日吉はやがてもぞもぞと腰を揺らしながら、ぎこちない息を吐き出した。

「……っ、はぁ……っ」
「日吉、俺の手でも気持ちいい?」

 返事はなかった。でも日吉の顔からは力が抜け、ふにゃふにゃした表情になっていた。日吉のこんなに甘い顔、今まで見たことがない。俺のほうまで溶けてしまいそうだった。

「……ね、これ脱がせちゃうね?」

 腰の帯をほどくだけだから、浴衣を脱がすのは簡単だった。藍色の身頃を開くと、日吉はガーゼみたいな素材の白い肌着をつけていた。肌襦袢ってヤツだろうか。

「浴衣の下ってこういうの着るんだね。かわいい」
「なんだそれ。バカにしてんのか?」
「え、なんでだよ。ほめてるのに」

 体の線に沿った細身のシルエットだから、無駄なく鍛えられて引き締まった腕も、たくましいのにきれいなくびれのある腰も形がよくわかる。——膝上丈のスパッツみたいな肌着の中で隆起をつくっている性器の凹凸も。

 手をのばして優しくつかむ。熱気と水気が伝わってくる。

「……日吉、痛くない?」
「ん」
「手、動かしていい?」
「ん……」
「ここ触ってもへいき?」
「……いっ、いちいち聞くなよ。好きにすればいいだろ」
「ごめん……じゃあほんとに好きにしちゃうね?」

 日吉のそれを握った手を、ゆっくり前後に動かしてみる。俺の手が一往復するたび、日吉の腿の付け根がピクンと痙攣する。短い吐息が聞こえる。シュッ、シュッ、と規則的に鳴る衣擦れの音と、苦しげに押し殺された日吉の不安定な呼吸の音が狭い部屋に響く。

「息、苦しい?」
「ちが、う……」
「……あの、これも脱がすな」

 日吉はあいかわらず頬を赤くしたまま、どことなくこわばった顔つきでベッドに横たわっていた。半袖の肌着についている紐をほどいて前を開けると、唇がふるえて細い息が出ていく。呼吸のために上下している胸に指先でふれた瞬間、前髪の下で眉が跳ねる。

「日吉、もしかして緊張してる?」
「してない」
「……えっと、嫌だったらすぐ言ってね。遠慮しなくていいから」
「わかってる……つーか、俺はお前相手に遠慮なんかしない」
「うん……」

 たしかにそのとおりだ。今も昔も、日吉の物言いには遠慮も容赦もない。我を通すのが不得手な俺とは正反対で、いつだって自分の意思を譲ったりしない。

 だから今、日吉が抵抗したり嫌がったりしないのは、俺にこんなふうに触られるのが少なくとも嫌ではないってことなんだろう。——そう思うと胸の中がじんとして熱くなった。

 日吉の横で身をかがめて、その胸元に唇をくっつける。それから鎖骨に、首筋に……さっき日吉が俺にやってくれたみたいに、いろんなところにくちづけて回る。袖で隠れている腕や肩にもキスしたくなったから、浴衣も肌着も完全に脱がせてしまった。上半身裸の姿なんて部活の着替えでいくらでも見たことがあるはずなのに、こんな状況だとドキドキさせられてしょうがなかった。

「日吉、体きれい」

 昔は俺も日吉も同じような体つきだったけど、今の日吉は俺よりひとまわり以上小さくて、でもちゃんと力強くて、それなのに線が細くて華奢にも見える。なんだかおさななじみの男友達じゃなくて、知らない男の人みたいだ。

「なんだよ、きれいって。男に対する褒め言葉じゃないだろ」
「えー? そんなことないよ。男らしいことときれいであることは両立するだろ」
「……いや、それはそうだけど……。お前、自分がちょっとデカいからって余裕ぶりやがって……」

 ぶつぶつと小声でぼやいて、日吉は不服そうに唇を噛んだ。

「俺はべつに、ただ背が高いだけだし……。余裕って何?」
「……なんでもねーよ! 人の服脱がして無駄話してんじゃねえ」
「日吉が先に文句言ったんじゃん……」

 理不尽なことを言われている気がするのに、妙にムキになっている日吉の様子がかわいらしくも感じてしまう。もしかしたら日吉は俺より背が低いことを気にしていたりするんだろうか? でも、そんなことを聞いたらまた怒られそうだ。

「無駄話せずに早く触れ、って意味?」
「そっ、そういうことじゃない……」
「日吉、照れてる? かわいい」
「だからかわいいとか……っ、ぁ……」

 首筋に軽く吸いつくと、日吉はビクンと震えて弱い声を出した。いつもよりずっと高くて弱々しい、せつなげな声だった。

「そんな声出すんだ、日吉」
「いや今のは違っ……幻聴だ!」
「え~……ほんとに幻聴だったら日吉がそんな必死に否定するわけないよ」
「っ……」

 日吉は言葉に詰まったように沈黙し、片手で口元を覆ってしまった。

 その仕草が俺に火をつけた。余裕を奪われたときの日吉の顔をもっと見たくなってしまった。だから俺は日吉の片手をつかんでシーツに押しつけ、彼の体のあちこちにキスを落とし続けた。胸元を下がって乳首を口に含んだとき、日吉は身じろいでくぐもった声を上げた。

「ぅ……んっ……」
「日吉、ここ気持ちいい?」
「……違う」
「ふーん……」

 さっきの日吉の舌遣いを思い出しながら、かすかにふくらんだ乳首を舐め回す。ちゅっと音をたてて吸ってみる。

「っ、やめっ……」

 上目で窺ってみたら、日吉は目をうるませて俺をにらみつけていた。限界寸前で涙をこらえているようなその目を見ると、頭の中がぞくぞくしてたまらなかった。

 日吉はさっき、自分の体が気持ちいいと感じることをそのまま俺の体の上に再現してくれていたのかもしれない。そうであれば俺も同じだけのものを——いや、それ以上のものを日吉に返してあげたい。

「鳳……手、放せ」
「やだ」
「っざけんな——ぁ、ンッ……」

 硬くなってきた乳首を舌先で転がしたり、前歯で甘噛みしたりするたびに、日吉は声を殺そうと必死になった。ぎゅっと閉じられた目のふちからあふれた涙が、紅潮した頬に流れ落ちる。片手を噛んで刺激に耐えているのが見える。

「声、我慢しなくていいよ? 俺もっと聞きたい」
「我慢なんか……してないっ……」
「日吉、嘘つくのヘタだな」
「……お前にだけは言われたくない!」

 手を噛み続けていたら歯形が残ってしまいそうだな、って心配になった。だけどここで退く気にもなれなかった。片方の乳首に唇や舌を這わせながら他方を指先で触ってみると、日吉の体の反応が大きくなるのがわかった。

 じたばたともがいて逃げようとする。俺はその体を押さえつけ、逃げられないようにして刺激を送り続ける。いったい自分の中のどこからこんな強引さが生まれてくるんだろうかと、自分でも不可解に思うほどだった。日吉の体のきれいなところ、かわいいところ、かっこいいところ、美しいところ……その全部を暴きたい衝動がこみあげて頭がくらくらしていた。

 左右の乳首を一緒に責め続けていたら、ふいに腿に硬いものが食い込んできた。視線を動かすと、さっきよりも大きくなった日吉の性器の隆起が見えた。無意識なのか意識的なのか、日吉の腰は自分からその熱を俺の脚にこすりつけるみたいに動いていた。——“扇情的”って言葉の意味を、俺は生まれて初めて理解したような気がする。

 口の中に湧いた唾液をごくりと飲み下す。胸の突起に吸いついたまま、片手で日吉のまんなかを握り、その輪郭に沿って上下にしごく。

「あッ、ぁ……!」

 日吉は不意をつかれたように高い声をもらした。背中が反って上体が跳ね、俺の手のひらには肌着の向こうの性器の脈動が伝わってきた。

「やっぱりかわいいな、声」
「……かわいくない!」
「えー、かわいいよ。日吉の声、俺より1オクターブは低いなって小学生の頃から思ってたけど……そんなに高い声も出るんだね。もっと聞かせて?」
「ぜっ……たい、聞かせねえ」

 日吉は切れ切れの声で言い捨てた。そんなに言うならこっちだって絶対ぜったい聞いてやる——そういう気持ちになって、俺はいっそう燃えてしまった。

 体を起こして、日吉の肌着のゴムをつかむ。片腕で腰を持ち上げながら、内側の下着と一緒に脱がせてしまう。日吉は焦った様子で飛び起き、露出した性器を隠すように腰を引いたけれど、その体をふたたび押し倒してしまうことなんて今の俺には簡単だった。

 本気の口喧嘩をしたら日吉には絶対勝てないけれど、腕っぷしなら俺のほうが強い。だから俺の腕力は彼の心をねじふせてしまう可能性だってある。——だけど。

「……日吉、俺なんかに遠慮はしないんだよね。ほんとに嫌だったらそう言ってくれてるよね?」

 俺は日吉を見下ろしながら問いかけた。日吉はしばらく視線を泳がせてから、おずおずと俺の目を見返した。

 何秒かの沈黙。やがて日吉は観念するようにつぶやいた。

「……そうだよ。嫌ではねえよ」
「そっか。よかった」
「って、いちいち言わなきゃわかんないのか、お前は」
「うん……ごめんね」

 自分の強引な力が日吉に無理を強いていたらどうしよう、って不安が胸をよぎったのも少しだけ事実だ。でも本当の本当は、嫌じゃないって日吉に言わせたかったのだ。素直じゃない日吉が本心を白状させられるときの顔を見たかったから。

 ふてくされたような日吉の顔に近づく。さらさらの前髪を上げて額にくちづける。普段は髪に隠れているおでこが見えると、日吉はぐっと幼い雰囲気になる。

「……日吉かわいい。大好き」
「大好き、って……」

 考えるでもなく口にした言葉が耳に入って、俺は自分の気持ちを知った。本当はずっと前から知っていたんだってことにも、そこで気がついた。俺はずっと日吉に恋をしていて、その恋心を心より体が先に自覚していたのだ。他の人には普通にできたただのマッサージを、日吉にだけはただのマッサージとしてできなくなってしまうくらい。普通にふれられなくなってしまうくらいに。

「日吉の言ったとおりだったみたい。俺、日吉のことが好き」
「……」

 むきだしになった日吉の性器は硬くて熱く、先端からはねっとりとした液体が漏れ出していた。俺はその全体をしごいたり、指先で先端をなでたりしながらキスの位置を下げていった。おでこからほっぺた、胸、みぞおち、と飛び移るように。うっすらと割れた腹筋のひとつひとつに唇をつけていくと、日吉の下腹はひきつるようにびくびく跳ね、同時に性器の根元が脈打った。

「……っ、くッ……」

 また両手で口をふさいでしまった日吉の喉から、うめき声のような音が聞こえる。ぎりぎりまで押し殺されたその声も男らしくて色っぽくてかっこいいけれど、もっと我慢がきかないくらい気持ちよくなってほしいとも思ってしまう。

 お腹に吸いつきながら性器をしごいたり、そのまま片手をのばして乳首をくすぐってみたり、ふとももや膝やつまさきにいっぱいキスを落としてみたり。知識がないなりにいろいろ考えて試してみても、日吉の攻略は難しかった。刺激を送るたびに体をよじったり震わせたりはしてくれるけど、さっきみたいにかわいい声は聞かせてくれないのだ。

 ふとももの内側に舌を這わせると、汗のしょっぱい味がする。そのまま腿の付け根へとすべらせていった舌が、ふいに性器の根元をかすめた——その瞬間、

「あッ……」

 と、とびきり甘い声が飛んだ。

 反射的に顔を上げる。日吉はまるでいたずらを見咎められた子供みたいに、気まずそうな表情で目をそらした。

「日吉、今の気持ちよかった?」
「……いや、その……」

 日吉がはっきり否定しないってことは、つまり肯定なんじゃないだろうか。そう考えて、俺はまた同じところに口をつけた。ひらべったくした舌でぺろんと舐め上げたら、日吉はやっぱり「あ……」と細い声をもらした。

 かすかに震えながら溶けて消えていきそうな響きが、俺の頭の中をぐるぐるに掻き回す。もっともっと聞きたくなって、俺はそこを舐め続けた。根元だけじゃなく下から上まで全部、舌先で何度も何度もなぞり上げる。

「んっ……あ、ぁ……♡」
「声かわいい……。日吉、さっきは声なんて普通に我慢できるとか言ってたくせに」
「……っるさい! つーかお前、何やってんだよ!?」

 日吉は真っ赤な顔をして、せっぱつまった様子で声を荒らげた。困惑や焦りや動揺や、あらゆるパニックの感情がこすれ合って摩擦熱で火を出しているような表情だった。

「何って言われても……。日吉が気持ちよさそうだったから」
「っ……いや、そんなとこ舐めたら汚いだろ……」
「え? でも日吉、さっきお風呂入ったばっかりじゃん」
「そういう問題じゃねーよ!」
「うーん……」

 日吉の性器の根元を持って、その先っぽに口をつける。亀頭を舐め回すと苦いようなしょっぱいような粘液が舌にからみついたけど、そのまま飲み込んでしまっても汚いとは感じなかった。

「だっ……だから、もうやめろって……」
「……俺、日吉のだったら嫌じゃない。だから続けるな?」
「いや、ちょっと待っ……ぁ、ダメだって……♡」
「ダメって声じゃないよ、それ」

 俺の手の中で、日吉のそれはさっきよりも大きく膨張しているように見えた。表面に薄く浮き上がっている血管のシルエットも、俺の唾液で濡れた部分の光沢も、桃の実みたいな先端の色も……間近で見ていると無性に顔が熱くなり、口の中にはどっと唾液が湧いた。

 こんなこと初めての経験なのに、まるで本能にプログラムされていたみたいに、食欲にも似た欲求が体の奥から湧き上がってくる。だから俺は飴を舐めるみたいにそれを味わった。表面にキスをして、上も下も右も左も全部くまなく舐め尽くして、亀頭のくびれや割れ目を舌先でなぞった。その先に開いている小さな穴をそっとつついたら、日吉は悶えるように首を反らして喘いだ。

「やッ、あ♡ あ♡ あぁ……」
「日吉、ここ弱い? ……こっちはどう?」
「よ、よわくない……っ、あ……♡」
「あんまり声出すと隣の部屋に聞こえちゃうよ? って、さっきは日吉が言ってたのにね」
「……っ」

 いろんなところを舐め続けていると、だんだん弱点らしきポイントがわかってきた。亀頭のカサの裏側とか、裏筋の上のほうの膨らんでいるところとか。上手なやりかたなんてわからないけれど、気持ちを込めて優しく、丁寧に、何度もふれる。そうしていると日吉は声も表情もとろとろに溶けていき、俺の胸には熱い幸福感が注ぐ。もっともっと気持ちよくしてあげたい、って思う。

「ぁ……っあ……♡」
「……ね、どうやったらもっと気持ちいい?」
「え……は?」
「ここ舐めてほしいとか、どこをどう触ってほしいとか、教えてくれたらうれしいなって……。俺、こういうの全然知らないからさ」

 保健体育の授業で習った内容が頭に入っていても、それとこれとは全然話が違う。俺は男だけの場で猥談になっても三分の一くらいは意味がわからないし、わからない部分をわかるようになろうともしてこなかった。だけどもし日吉を気持ちよくしてあげられることにつながるなら、もうちょっと知識をつけておけばよかったって今になって思う。

 日吉は余裕のない顔で俺を見返し、彼自身の性器に目をやった。それから不自然にまばたきをくりかえし、逡巡の沈黙をたっぷり十秒くらい消費したあと、

「お前にそんなこと、させたくない」

 と、弱々しい声でつぶやいた。

「……じゃあ他の人にはさせたいの?」
「そ、そういう意味じゃねーよ!」
「ふふ、わかってるよ。で、俺にさせたくないことってどんなこと? 俺はそれ、日吉にしてあげたい」
「……何言ってんだ、お前……」

 日吉はまるで信じられないものに相対するみたいに俺を見ながら、上体を起こしてあとずさった。彼の背後にはもうベッドのヘッドボードと壁しかない。逃げているつもりで自ら逃げ場を狭めていることにも気づかない日吉の混乱を思うと、いとしさで知らずしらず口角が上がった。

 日吉のほうに体を近づける。背後の壁に手をついて、もっと逃げ道をなくしてしまう。

「“させたくない”って、“してほしい”ことがあるときの言葉だろ?」
「……いや、違う……」
「ほんとに違うなら、最初から『してほしいことなんてない』って言えばよかったんだよ。素直じゃないのに正直だよな、日吉って」
「……」

 日吉は唇を噛んでうなだれた。長い前髪が目元を隠してしまっても、悔しそうに曲げられた口元や赤い頬が彼の切迫を物語っていた。

 勃ったままの彼の性器を、指先でそっとなでる。中指の先で裏筋をなぞって上がり、さきっぽや陰嚢を五本の指でくすぐる。深くうつむいた日吉の肩がピクリと跳ねる。

「……や、やめろ」
「やめるよ。日吉が本当は俺に何をしてほしいのか、ちゃんと教えてくれたらね」
「やめろって!」

 日吉は俺の手首を強く握りしめ、顔を上げて俺をにらみつけた。本気の拒絶だった。

「……ごめん。嫌だった?」
「そうじゃなくてっ……」

 俺の手首をつかんでいる手から少しずつ力が抜け、俺の目を見据えている瞳からは少しずつ怒気が抜けていく。怒りがすっかり抜け落ちてしまうと、あとにはなぜか苦しげな色が残っていた。

「おかしいだろ、お前」

 と、日吉は泣きそうな声を出した。

「おかしいって……」
「今日まで自分で触ったこともなかったっていうくせに、なんで急に俺のためにそんな無茶苦茶なことができるんだよ?」

 泣きそうだった声が、最後には本当に涙声になっていた。でも俺は何が日吉に涙を流させているのか、何が彼をそんなに悲しくさせているのかわからない。

「なんでって、だって日吉が俺の手で感じてくれるのがうれしいし、反応も顔も声もかわいいから見てると幸せだし……。そういうの全部、日吉のことが好きだから、だよ」

 日吉の涙の理由もわからないし、こんなわかりきったことを今さら説明しなきゃいけない理由もわからない。困惑する俺の前で日吉は、

「『好き』って何だよ。それ本当にお前の気持ちか?」

 と、ますます不可解なことを言い出した。

「な……なに言ってるんだよ。本当に決まってるだろ」
「本当か?」
「本当だよ」
「本当に本当か?」
「本当だよ……日吉、なんでそんなこと言うの? 俺より日吉のほうがおかしいよ。俺は日吉のことが好きなはずだって、あんなに強く断言してたのは日吉のほうじゃないか」

 さっきはあんなに自信満々だったし、実際すべてが日吉の言葉の通りだったのに、今の日吉はまるで別人みたいだ。

「俺、日吉がああやって教えてくれたから自分の気持ちに気づけたんだよ?」

 日吉は俺自身すら知らなかった俺の気持ちを知っていて、それを言葉と体温で俺に教えてくれたのだ。それなのに、どうして今になって全部否定するようなことを言うんだろう。

「……あんなの、半分は誘導尋問だろ」

 日吉は吐き捨てるように言った。

「最初から俺が仕向けてたんだよ。会話の流れでお前が俺に『付き合ってほしい』って言いたくなるように。……俺のことが好きだって思うように」
「仕向けてたって……。俺、たしかに日吉の言葉で初めて自分の気持ちに気づいたけど、それはあくまでもきっかけだよ。付き合ってほしいって言ったのも好きだと思ったのも、俺自身の意思だ」
「だから、そんなの洗脳みたいなもんだろ。お前は純真……っていうか単純だから、それが本当に自分の本心だと思い込んでるんだよ」

 聞けば聞くほど日吉の言葉はわけがわからなかった。日吉にふれられるだけで細胞全部が喜ぶように体が震え、日吉にふれるだけで全身が燃えるように熱くなる、こんな気持ちが本心でないなら何だろう。それに、日吉はどうしてこんなことにこんなにこだわっているんだろう?

「……日吉、なんでそんなこと言うの?」

 俺はさっきと同じ言葉をくりかえすことしかできなかった。

「洗脳なんかじゃない。俺、ほんとはずっと日吉のことが好きで、でも自覚できてなくて。それを日吉が気づかせてくれたんだよ」
「……いや、まあ実際お前は俺のことが好きだと思う。けど、いくらなんでもここまでじゃないだろ」

 日吉は冷淡な声でそう言った。そっと視線を動かしてみると、膝を立てて座っている日吉の脚の間で、性器がさっきよりいくらか萎えてしまっているのが見えた。せっかくあんなに気持ちよさそうにしてくれてたのに、って残念に感じたけれど、今は手出しできそうな状況じゃない。

「ここまで、って?」
「……まさかお前があんなことまでしてくると思わなかったんだよ。俺はただちゃんと自覚してほしいと思っただけで、先のことなんて考えてなくて……。でも俺が軽率だった。お前のお人よしを甘く見てた」

 ——どうしよう、本当に意味がわからない。

 日吉の言葉はやっぱり一語ごとに俺の混乱を深めた。その意味を理解できない俺がヘンなのか、あるいは日吉のほうが支離滅裂なのか、それすら見当がつかない。

「ごめん……俺、日吉が言ってること全然わかんない。お人よしって何?」
「だから……」

 日吉は痛みに耐えるような顔で、自分の膝のあたりを見下ろしていた。俺は日吉のつらそうな顔が見たかったわけじゃないのに、どうしてこんなことになっているんだろう。

「俺のためにそんなに無理しなくていい。『自分がしてもらった分お返ししなきゃ』なんてお前が考える必要ないんだよ、俺が勝手に始めたことなんだから……。ふつう男同士でこんなの、気持ち悪いって思うだろ。ましてや、その……な、舐めたりするとかさ」

 どこから反論すればいいのか迷うくらい、それは的外れなことしか述べていない言葉だった。日吉と俺は正反対といえるくらい違うタイプの人間で、お互いの考えに意表をつかれることはよくあるけれど、ここまでの意思疎通不全は初めてだ。

「……俺、『お返ししなきゃ』とか考えたわけじゃないよ。義務感なんかじゃなくて、ただ日吉の体にふれられるのが幸せでしょうがなくて……。だから気持ち悪いなんて思うわけないし、日吉が始めたことっていうのも違わないか? もとはといえば俺の行動が発端だったんだから」

 こんなことになっているのは全部、日吉の腕の中でひとり勝手に欲情していた俺が原因なのだ。

 俺なりに言葉を尽くして、日吉の言葉の反論ポイントを一つずつ潰せただろうか。日吉は「それはそうだけど……」とつぶやいたきり黙り込んでしまった。

「俺はひとつも無理なんかしてないのに、日吉はなんでそんなふうに思ったんだ?」
「いや、だって……。いくら好きな相手でも、あんなことまで抵抗なくできるわけないだろ。それもついさっきまで精通すらしてなかったようなヤツが」
「そっ、そういう言い方はやめてほしいんだけど……。できるわけないって言われても、できたのが事実なんだし」

 抵抗を感じるどころか、むしろもっと強く深くその味を知りたいって願ってしまうくらいだ。自分でも面食らうほど爆発的なこの欲求が、どうして日吉に伝わってくれないんだろう。

「ねえ、結局さ。さっき俺の手を止めたのって、俺に無理させたくないっていうのが理由?」
「……そうだけど」

 と答えて、日吉は気まずそうに目を伏せた。本当は心優しいのに悪いフリをしている反抗期の男の子が、その“本性”を暴かれてしまったかのように。——「かのように」ではなく、実際にそれそのものだったかもしれない。

「だったら何も問題ないよ、俺は全然無理なんかしてないんだから。だからさっきの続き、していいよな?」
「……無理してないって、本当かよ」
「本当だよ」
「本当に?」
「日吉、疑り深いなあ。俺が嘘ついてるように見える?」

 日吉は少し沈黙してから、無言のまま首を横に振った。俺だって決して嘘が得意なほうではないのだ。

「そもそも俺、そんなことで無理したりするほどお人よしじゃないし」
「いや……お前、それはお前自身のお人よしを甘く見てるぞ」
「え~、そんなことないと思うけど……。仮にそうだったとしても、日吉の前では違うよ。日吉が俺に遠慮しないのと同じで、俺だって日吉には遠慮なんかしないよ?」
「……わかったよ。もういい」

 日吉は降参するようにため息をついた。だから俺は彼の裸の肩を抱き寄せて、その唇に唇をくっつけた。覚えたばかりのキスなのに、その感触はまるで生まれる前から知っていたみたいに心地よく俺の身に溶け込んだ。

「俺、日吉とキスするのすっごい気持ちいい……。日吉は?」
「……俺も」

 と、日吉は蚊の鳴くような小声でつぶやいた。顔も目も赤く、俺は彼の照れをかわいく感じすぎて胸がどうにかなりそうだった。

「こっちも触るね」
「ん……」

 キスをしたまま日吉の性器にふれ、痛くならないよう力加減に注意しながら上下にしごく。俺の手の中で、その正直な器官はあっというまに硬さと熱さを取り戻していった。日吉は時々かぼそい息をつき、その唇の震えが俺の唇をくすぐった。

 手のひらで先端を包んで捏ねるようになでると、小動物みたいにピクピク跳ねる。俺の手はなまぬるい粘液で濡れてくる。

「ね、ちゃんと気持ちいい?」
「……」

 日吉は何も言わなかった——けれど、荒い呼吸に体を上下させながら俺にしがみついてきた。それは言葉よりずっと饒舌な返事だった。

「日吉、かわいい」
「……お前はしつこい」
「俺にかわいいって言われるの嫌?」
「い……嫌とかの問題じゃなくて、そもそも単純に事実に反してる……っ、……」

 日吉の心の動揺が、日吉の体の痙攣が俺を熱し続けた。俺は日吉の両脚を開かせてその間で身をかがめ、赤く膨れた彼の屹立を口に含んだ。先端を舌先で優しく舐め回してから、さっきより深いところまで口の中に入れてみる。

「……っ、う、ぁ……♡」

 日吉の膝がビクリと跳ねる。上目で窺うと、日吉はヘッドボードに背中を預け、目を閉じて眉間に深いシワを刻んでいた。快楽に耐えるその表情は彼の顔立ちのりりしい美しさを際立たせ、俺の心まで快楽でうっとりさせた。さっきまで自分の気持ちを自覚していなかったことが信じられないくらい、この玲瓏な友人に対するいとしさで胸がいっぱいになっていた。

 歯を立てないように気をつけて日吉を舐める。亀頭をまるごと口に含んでしゃぶりながら、根元のほうを手でしごく。日吉の熱は俺の口の中で力強く脈動し、舌や粘膜を小刻みに打ってくる。

「あッ、あ、ぁ……ん♡ んんっ……♡」
「……んっ……」

 日吉の腰が振れた拍子に、性器が口の奥深くまで侵入してくる。喉を圧迫されるような刺激に苦しくなったけれど、その苦しささえどこかうれしかった。

 ガチガチになったそれを口いっぱいに吸い、舌を極限まで伸ばして舐め回す。びくん、びくん、と日吉の体が不規則に跳ねる。

「はぁ、っ……♡ やっ、ぁ、あ、だめ……」

 日吉の息はどんどん速くなり、声の間隔も詰まっていった。片手をのばして乳首にふれると、ひっきりなしにビクつく体の反応がますます激しさを増す。

「っ……あ、だめ、やだ、ッ……」

 口の中で性器をかわいがり、指先で乳首を弾くたび、頭上からは「だめ」とか「やめろ」とか拒絶の言葉が降ってきた。だけどその声は甘すぎて何の説得力もなかった。いつもの日吉の声に砂糖をたっぷりまぶして生クリームや卵液と混ぜ、とろとろに溶けるまでお鍋であっためたような声。俺も一緒に混ざり合ってみたい——そんなふうに思ってしまうほど甘美な響きだった。

「……鳳、もう出る、から……」
「ん……」

 唾液や体液によってぐちゃぐちゃになった口の中で、日吉のものがぐっと硬くなる。片手で握りしめている根元が断続的に痙攣して、経験の乏しい俺にさえ、限界寸前の状態であることがわかる。

「も、もう放せ……」
「……」
「……っ、放せって! 放さねえと本気で絶交するぞ!」
「……んん……」

 さすがに絶交はヤだなぁと思って口を離した瞬間、日吉はひときわ高い声をもらしてのけぞった。

 体を起こしかけた俺の眼前で、痛々しいほどに腫れ上がった性器の先から白いものが放たれる。反射的に目をつぶったら、ぽたぽたとなまあたたかい感触が額や頬に落ちてきた。

「……ぁ……」

 と弱い声を発したきり日吉は黙り、あとには荒く乱れた呼吸の音だけが続いた。目を開けると、日吉はぐったりした様子でヘッドボードにもたれかかり、汗ばんだ胸を上下させながら、手足の指の先をピクピクと細かく痙攣させていた。体の自由を奪われてしまったような日吉のその姿は、言い知れない陶酔感になって俺の身を包み込んだ。日吉のお尻の下でぐしゃぐしゃになってしまっている浴衣には、ところどころに乳白色の精液が落ちていた。

「……日吉、気持ちよかった?」

 問いかけると日吉は顔を上げ、俺を見て固まった。次の瞬間、弾かれたように体を翻して枕元のティッシュペーパーを取る。

 自分では気づかなかったけれど、髪にも精液がかかっていたらしい。日吉がそれを必死に拭き取ろうとするものだから、髪の毛が引っぱられて少し痛かった。日吉はひとしきり俺の髪や顔を拭ったあと、まるで日吉じゃないみたいに弱気な顔をして俺を覗き込んできた。

「……悪い……。髪にかかったの、全部は拭き取りきれない……」
「いいよ、そんなの。あとでシャワー浴びればいいだけだし……ホテルの寝具を汚しちゃうより全然よかったじゃん」
「いや、でも……。その、目に入ったりしなかったか?」
「ん、全然だいじょうぶ。だからそんな顔しないでよ、ほとんど俺が無理やりしたようなものなんだし」

 もし“絶交”なんて強烈な言葉を使われなかったら、俺はたぶん最後まで強行突破していただろう。多少強引になってでも日吉のかわいい姿を見たかった。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ。

 俺はティッシュを取って日吉の性器や腿についた精液を拭い、日吉はしばらくマラソンの直後みたいに息を整えていた。それからふいに俺を見たかと思うと、視線をすっと下方に動かした。

「……また勃ってんな、お前」
「え」

 自分の中心でたぎる血を意識するが早いか、体を背後に押し倒される。あおむけに倒れた俺の上に覆い被さってきた日吉は、もう俺がよく知っている日吉の顔をしていた。強気で、不敵で、そして瞳にひたむきな闘志をみなぎらせている。

「……ごめん。俺、日吉のこと触ってて興奮しちゃったのかな」
「なんで謝るんだよ。べつに怒ったわけじゃないだろ」
「だって。日吉にそういう目で見られると、俺……」

 続きを言うより先に、日吉の唇が俺の口をふさいだ。くちづけは強くて重く、そして実は俺の息を止めることが目的なんじゃないかって思うほど長くて深かった。

 負けず嫌いな日吉は、俺なんかに余裕を奪われ主導権をとられてしまったことが我慢ならないのかもしれない。そうだとすれば、俺は今から彼の下剋上のターゲットにされるに違いない。

 日吉は片手で俺の頬をなでた。やっぱり優しくて、やわらかな触り方だった。でもその優しい手のひらの皮膚の向こうに激しい衝動がひそんでいるのかもしれないと思ったら、俺の背筋は這うような寒気にぞくぞくさせられてたまらなかった。

「……日吉、顔こわい」
「あ? 失礼だな」
「そういう意味じゃないよ……」

 日吉のまなざしが俺の真ん中を刺し貫く。胸がズキンと痛む。痛みは俺の中で甘く輝く。まだ終わりそうにない夜の中で、俺を見下ろす清冽な瞳の奥に小さな炎が宿っている。

   ***   

 目がさめると、ベッドの中に日吉はいなかった。

 起き上がって耳をすます。ダイニングスペースのほうから物音がする。俺は服を着て寝室を出、ユニットバスの洗面スペースで顔を洗ったり歯磨きをしたり髪を整えたりしてからダイニングに出ていった。早朝の光の中で、日吉は椅子に座って文庫本を読んでいた。

 淡い光が日吉の体に落ち、その髪を繊細にきらめかせる。昨日とは違う浴衣の藤色を鮮やかに際立たせ、手足や頬を白くなめらかに照らし出している。こんな光景を朝イチで見られるなんて贅沢だと感嘆してしまうくらい、それは美しい姿だった。

 女の子が見たらきっとたまらないんだろう——と昨日の自分は考えたけれど、「女の子が見たら」なんて、自分の本心を仮託した言い訳に過ぎなかったのだと今はわかる。女の子じゃなくて、他の誰でもなくて、俺自身がこの人のことをどうしようもなく魅力的に感じていたという、ただそれだけの単純な話だったのだ。

「……日吉、おはよう」
「ああ、おはよう」

 日吉は文庫本から目を上げた。目が合った瞬間、ゆうべの一連の出来事が脳裏によみがえって顔を熱くした。

「えっと……日吉、早くから起きてたのか? ちゃんと眠れた?」
「いや、起きたのは三十分前だから。ちゃんと寝たよ」
「そっか」
「……」
「……」

 ぎこちない沈黙。俺だけじゃなく、日吉も気まずそうに頬を染めていた。普段は冷静な日吉でもこんなふうに戸惑うんだって思ったら、彼の秘密を覗き見てしまったようなうれしさも胸の奥に芽吹いた。

「……あの。俺、下の自販機に飲み物買いに行こうと思ってて。日吉もなにか飲む?」
「ん……じゃあ、ペットボトルの緑茶」
「わかった。すぐ買ってくるね」

 部屋を出てエレベーターに乗り、下階に向かう。五時過ぎのホテルの中は静かで、自動販売機コーナーも無人だった。日吉のリクエストの緑茶を確保し、自分用に何を買おうか考えていると、小さな足音が近づいてくるのが聞こえた。

「……あっ、副部長」

 五畳ほどの狭いスペースに入ってきたのは、きのう部屋の手配ミスの件で俺に頭を下げていた一年生だった。「おはようございます!」と、あいかわらず大きな声が静かな空間に響き渡る。

「おはよう。早起きだな」
「はい、なんとなく目が覚めちゃって……。あの」

 と、彼は不安そうに俺の目を覗き込んできた。

「副部長、きのうは結局どこで寝たんですか?」
「ああ、日吉の部屋に泊めてもらったよ。敷き布団も借りられたから全然快適だったし、本当にもう気にしないでね」
「そうだったんですか……」

 小柄な一年生が一生懸命に顔を上向けて話してくれるので、俺はつい腰を折ってしまいそうになる。幼い子の前でするような仕草だから、かえって失礼な気がして思いとどまったけれど。

「あの、副部長」
「ん?」
「俺きのうは気づいてなかったんですけど、俺の部屋、メンバー三人なのにベッドが五台もあるんですよ。だから今夜はそこで寝てもらえませんか?」
「うーん……。そう言ってもらえるのはありがたいけど、三年がいたら窮屈だろ? せっかく一年生同士で打ち解けられる機会なのにさ」
「全然そんなことないです!」

 一年生はきっぱりと断言して俺を見た。

「他の二人も鳳さんと話してみたいって言ってました。俺も同じです。いろいろ教えてもらいたいです!」
「そ、そう?」

 でも他の部屋に行ったら今夜は日吉といっしょに寝られないのか——という考えが頭をよぎり、次の瞬間、俺はあわててその気持ちを打ち消した。俺はテニス部の副部長なのに、副部長としての立場より自分の欲望を優先しようとするなんて情けないにもほどがある。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「そんな、こっちこそありがとう。——ところで、なにか買いにきたのか?」
「あ……はい。牛乳でも飲もうかと思って」

 四台設置された自動販売機の中にはペットボトル以外の飲料を売っているものもあり、その最上段にレトロな瓶入りの牛乳が並んでいた。普通のプレーンな牛乳に加えて、コーヒー牛乳、いちご牛乳、フルーツ牛乳と種類も豊富だ。

「こんなに色々あるんだね、珍しい。どれ飲むの?」
「えっと、右上のレモン牛乳にしようかと」

 俺は自動販売機に小銭を入れ、レモン牛乳のボタンを押した。取り出し口に降りてきた瓶を取って渡すと、一年生はぽかんとした顔でそれを受け取った。

「えっ……いただいちゃっていいんですか?」
「うん。俺からのお礼」
「お礼? いや、でも部屋の件はもともと俺のミスですし」
「ううん、そうじゃなくて……」

 もしも無事に部屋が取れていたら日吉のあんな顔を見ることはできなかったんだから、俺は彼にいくら感謝しても足りないくらいなのだ。もちろん、そんなこと口には出せないけれど。

「……とにかくお礼! じゃ、今日も頑張ろうな」
「はっ、はい……」

 とまどっている一年生を尻目に廊下へ出る。エレベーターに向かって歩き始めると、「ごちそうさまです!」と元気に叫ぶ声が背中を追いかけてきた。

   ***   

 合宿は慌ただしくもつつがなく進行し、あっというまに最終日の夕方になった。

 すべての練習メニューを終え、五台の大型バスに分かれて乗り込むと、ほとんどの部員はぐったりした様子で寝入ってしまった。一日目の朝、往路のバスはレクリエーションで盛り上がっていたけれど、二泊三日の強化合宿を経た今はさすがにみんな体力が残っていないみたいだ。

 バスは高速道路に乗って東京をめざす。数十分ほど渋滞に巻き込まれたものの、日が落ち始める頃には抜け出して快走を始めた。

 俺たちが座っているシートは最前列の二人掛け。日吉は窓際の席で、他の部員と同じようにうたたねをしている。——窓際の席なのに、窓ではなく俺に寄りかかる体勢で。

 トンネルに入り、バスの中は暗闇に包まれた。俺は肩にくっついた日吉の頬の感触を感じながら、一昨日の夜の出来事を思い返していた。あのときは混乱と興奮が強すぎて冷静な判断ができなかったことも、時間をおいた今なら多少は客観的に考えられるような気がした。

 考え事をしているとふいにバスが大きく揺れ、その衝撃で日吉も目をさました。俺の半身から体を離し、まだ眠そうに目元をこすっている。

「日吉、おはよ」
「ん……」

 あいまいな声で答えて、小さなあくびをひとつ。そのまま腕を組んで二度寝に入ろうとする日吉に、俺は横から声をかけた。

「あのさ、日吉」
「……なんだよ」
「おとといの夜のことなんだけど……」

 トンネルの中は反射による騒音が大きく、よほどの大声でもなければ他の部員に話を聞かれる心配はなさそうだった。日吉の目の動きに先を促され、俺は言葉を続ける。

「日吉、あのとき俺に言ったよな? 好きでもない相手だったら触られて気持ちいいなんて感じないはずだし、そもそも好きな相手じゃなきゃ体を触らせたりしないはずだって」
「……それが?」
「そう言った後、日吉は俺に体を触らせてくれて……俺の気のせいじゃなければ、ちゃんと気持ちよくなってくれてたよね?」
「……」

 日吉はしばらく沈黙した。それから、「何が言いたいんだ」と、凄むような視線が飛んでくる。

「えっと、その……。勘違いだったら恥ずかしいんだけど。……もしかしたら日吉も、俺のこと好きだったりしたのかなって」

 あのときの日吉の言葉と態度とを照らし合わせたらそういう結論になるんじゃないかって、俺がそう気づいたのは今朝のことだった。

 トンネルを走るバスの中で、日吉はピクリと眉を震わせて窓のほうを向いた——次の瞬間、暗闇の中で鏡のようになった窓ガラスには、急所をつかれてしまったときの日吉の顔が映っていた。困惑のような、照れのようないじらしい表情が。ずっと見ていたいと思ったところでバスはトンネルを抜け、その像は夕焼け色の景色の中に溶けて見えなくなってしまった。

 トンネルの騒音が消えて静まり返ったバスの中に、オレンジ色の夕日がさしてくる。その暖かい光を浴びながら、日吉はちょっとだけ泣きそうな声でつぶやいた。

「気づくの遅えよ、バカ」

[24.03.12]


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