【説明・注意書き】
◆中3の8月末。[日(自覚なし)→ ←←←(自覚あり)鳳]から[日×鳳]になる話。
◆R18、本番あり。露骨めのエロ小説です。
◆受けの自慰描写、受けの♡喘ぎあり。
◆受→攻の愛撫(主に手コキ・フェラ)多め。受け優位表現、攻め喘ぎ少々あり。
◆鳳くんがマゾ&淫乱っぽく、日吉くんは情緒不安定です。
◆暴力的な行為と、無理やりっぽい行為(どちらも攻→受)の描写があります。でも精神的には攻めがかわいそうな話です。
※※「日吉部長の代に氷帝は全国優勝できなかった(&決勝のS1で日吉くんが負けた)」設定になっています。
ハッピーエンドですがところどころ湿っぽいです。※※
Sweet×2 Summer Rain
甘い夏の匂い。十センチメートルほど開放された窓のすきまから蒸し暑い真夏の空気が漂ってきて、俺はふと足を止めた。窓ガラスのむこうでは、つやつやの葉をつけた常緑樹が雨に打たれて揺れていた。そういえば夕立の予報が出ていたなって思い出しながら窓を閉めたとき、背後でガチャリとドアの開く音がした。
とっさに振り返る。誰が部室に入ってきたのかは、足音だけでわかったけど。
「悪い」
と、日吉は濡れた顔をぬぐいながら俺を見た。
「俺のロッカーからタオル取ってきてくれ。夕立にやられて……」
「う、うん。ちょっと待ってね」
俺はロッカーまで走って大判のタオルを取り、日吉のもとに戻って彼の頭にそのタオルをのせた。濡れた髪を拭いたり肩を拭いたりしてあげたかったけど、日吉は自分で髪を拭きながらソファに座ってしまった。
「くそ。七時までは降らないって予報で言ってたのに……」
さっきまでデスクライトの明かりだけで書類整理をしていたから、部屋の中はうすぐらい。窓のむこうから入ってくる、光とも呼べないほどの弱い明るさが日吉を照らした。彼のユニフォームはシャツもハーフパンツも水を含み、腕や脚に張りついていた。暗い部室の中で、日吉の体は十日前より少し細くなっているように見えた。
もしかしたら十分に食事をとれていないのかもしれない。——全国大会で優勝できなかったのは自分の責任だ、って思いつめて。
細くて骨ばった腕を、脚を、指先を、濡れてぺたんとなった髪を俺は見下ろした。そうすると目の端や頬や、おなかの奥がじんと熱をもった。傷ついているのかもしれないその姿を目に焼きつけてまぶたを閉じたら、脳裏には眩しい夏の日差しの下で前だけを見すえていた彼のたくましい背中がみえた。痛いほどの光の中で、もう潰えてしまった夢を追いかけていた“日吉部長”。一歩下がったところから、いつもその背中を見つめていた自分。
明日には九月になって、新学期が始まる。永遠に終わらないような気がしていた夏も、過ぎてみれば短かった。
「……シャワー浴びてきたほうがいいんじゃないか? 濡れたままじゃ風邪ひいちゃうよ」
「ん……」
日吉はうわのそらで窓に目をやった。さあさあと穏やかに降る雨の音が静けさをごまかしてくれたけど、俺はそれでも沈黙に耐えられなくなってわざと荒々しくソファに飛び乗った。びくついて目を丸くした日吉の手からタオルを奪い取り、まだ水をしたたらせている彼の髪をわしわしと拭いてやる。
「おい、やめろ……」
「もーっ、せめて着替えてきなよ! ほんとに風邪ひくぞ?」
「わかったから、放せって」
「夏だからって油断してると、体温が奪われて免疫力も落ちちゃうし……」
「っ……うるせぇな、お前は親か!」
日吉は俺のおせっかいにうんざりしたように顔をしかめ、俺の手からタオルを奪い返そうとした。俺が口うるさい親みたいなら、日吉だって反抗期の子供みたいだった。俺がタオルを頭上に掲げると、日吉もムキになって食らいついてきた。
「おい、返せ!」
「返してあげるよ。日吉がちゃんと着替えてきたらね」
「俺だって着替えてくる。お前がそれを返しさえすれば」
いつもは俺のつまんない挑発に乗ったりする人じゃないのに、やっぱり今は気が立っているのかもしれない。普段と比べて明らかに冷静じゃない日吉の内心を思うと、痛々しくて胸が詰まった。そしたら日吉は俺のその一瞬のスキをつくように身を乗り出してきて、俺たちはタオルを引っぱりあいながらソファの座面に倒れ込んだ。
あおむけに倒された俺の上に、日吉の体がどさりと落ちてくる。ふたりの手から同時に投げ出されたタオルが宙を舞う。
「い、ってえ……」
「……」
「……あ……」
日吉は俺に乗っかったまま、気まずそうに続けた。
「……や、やりすぎた」
顔のすぐそばで発された声が、かすかな空気の流れとなって俺の耳をそっと撫でた。低い声域、ぬるい吐息。雨に濡れた日吉の体がぴったりくっついて、俺の体にまで水気がしみてくる。ハーフパンツをはいた膝と膝がぶつかって、日吉の硬い胸板につぶされた胸のなかで、俺の心臓はタイムリミット間近の爆弾を埋め込まれたみたいに激しく鼓動を打ち始める。
「悪い。今どくから……」
日吉が体を起こしかけた。瞬間、俺の内側で爆発が起こり——俺の両腕は日吉の背中を捕獲して、ぎゅうっと強い力で彼の上体を抱き戻していた。
「えっ……」
ありったけの力で抱きしめる。脚を脚にからめて捕まえて、かんたんには逃げられないように。
「お、おい。放せよ」
ソファがきしんでギッと音をたてた。両腕に力がこもるほど、涙腺がゆるんで涙が流れた。密着した日吉の体からは雨と汗と日吉の匂いがした。湿っぽくて青くてあったかい、甘い夏の匂い。俺は自分より少し低い彼の体温を感じながら、どうしようもなく苦しくなりながらその体を抱きしめ続けた。もっとそばに。もっと近く。——すでにこれ以上ないほど近くにいるのにそう思った。腕の中に収まった日吉の体はやっぱり細かったけど、こんなふうに抱きしめたのは初めてだから彼が本当に痩せてしまったのかどうかはわからなかった。
***
崇高な目標に向かっていても劣情は生まれてくる。チームメイト同士でも、友達同士でも、男同士でも。
テニス部の部長になってからの日吉は毎日度が過ぎるほどの努力をしていた。彼がみんなの前に立って部を率いるときのりりしい横顔や、部員のために奔走するときの真摯な瞳を、俺は副部長として誰より近くで見続けた。コートの中で己の力を磨いているときのひたむきな闘争心も、試合で勝ったときに目元ににじむ密やかな歓喜の光も、負けたときに心を覆う暗雲も。めまぐるしい日々のなかで、日吉という人の生命のきらめきがひとつずつ俺の心に焼きつけられていった。
好きにならないほうがおかしかった。たとえそれがチームメイトとして、友達として、男としてふさわしくない形の“好き”だとしても。
大会が終わってから天気は下り坂で、ゆうべも雨が降っていた。俺は雨音を聴きながらベッドに入り、目を閉じて、全国大会決勝戦の会場で見た日吉の姿を想った。刃物のような緊張を全身にみなぎらせ、きつく握った拳を両膝に置き、ぴんと背筋を伸ばしてベンチに座っていた日吉。瞳に宿った炎が、ただ勝利だけのために燃えていた……
……それはまごうかたなき事実の記憶だ。だけどふとどきな俺の脳は事実だけじゃ満足できなかったから、握り拳をつくっていた日吉の手が指をひらいて俺の服を脱がし、からだじゅうを這い回るのを想像してしまった。日吉の手にそうされているんだって自己暗示をかけながらパジャマを脱いで、自分の体のいろいろな部分を撫でまわした。
ずっとずっと我慢してきた行為だった。夏が終わるまでは——大会を終えるまでは健全なチームメイトでいようって決めていたのだ。夢を果たすまでは日吉に対してうしろめたいところのない自分でいたかったから、どんなに誘惑に負けそうになっても必死で踏みとどまってきた。
だけどもう夏は終わり。俺は今まで自分に禁じてきた空想を、ひと晩使ってうんと楽しんだ。長いあいだ押し殺し続けてきた欲望は、いちどタガが外れてしまうともう歯止めがきかなかった。妄想の中で俺は日吉に優しく愛撫され、身体のいたるところをねちっこいキスで濡らされて、尊厳を奪われるくらい手酷く犯された。決勝戦の直後のままユニフォーム姿の日吉は、まるで邪魔なシールでも剥がすみたいに粗雑に俺の体を扱って、鬱憤を晴らすみたいにひとりよがりに俺を犯すのだ。どうせ妄想なんだからもっと俺自身に都合のいい筋書きにしたってかまわないのに、俺の体は彼の慟哭をぶつけられることで気持ちよくなりたいって思ってしまった。俺の体を好き放題に痛めつけることで、やりきれない悲しみやいらだちを発散してくれたらいいのに、って。冷淡そうに見えて実のところ優しい現実の日吉がそんなことをするわけはないから、これは本当にばちあたりな夢だ。
禁忌の夢の甘美さにひたりながら、俺は自分の胸のふくらみや陰嚢をいやらしく揉み撫でる。男のくせに、って日吉は俺をののしる。その罵倒のとおり、俺は男のくせに日吉に組み敷かれ、男のくせに男性器を挿入されて、男のくせに凌辱されることで幸せになっている。怒りと自暴自棄のために勃起した日吉の硬いペニスが俺のナカを突き壊すように深く掘り、なんの遠慮もなく冒涜的な痛みを与えてくれる感触を想像するだけで、暴力的な甘さが背筋を駆け抜けてあっけなくイッてしまう。
「……っ、……ぁん……♡」
子供部屋の窓をたたく雨の音に、殺しきれなかった自分の喘ぎ声が混ざった。日吉に両脚を拘束され、後孔の奥の奥までペニスを突き込まれる感覚を想いながら俺は射精した。ティッシュで受けとめても間に合わないほどの精液があふれて右手を汚し、お尻の穴にさしたローションまみれの左手の中指には内側の粘膜の痙攣の激しさが伝わった。ペニスへの刺激でイったのか、ナカへの刺激でイったのか判然としなかった。
***
部室棟は冷房がきいていて快適だけど、この時季の強烈な湿気は完全に凌げるものじゃない。ふかふかのソファの上で日吉を抱きしめていたら、密着しているところから肌がじんわりと汗をかいてきた。べたべたしてムシムシしてふたりぶんの体温で暑くって、ちっとも快適じゃない。でも放せない。日吉は動揺で体をこわばらせているのに、俺の腕の中から逃げていこうとはしなかった。さっきよりも勢いを強めた雨は、ざあざあと激しい音で部屋を囲っていた。
「……どうしたんだよ、鳳」
沈黙の間にひとつ声が落ちて、また俺の耳をくすぐる。どうしようもない衝動のままに日吉を抱きしめる自分の目の端からはまだ涙が流れている。これは誰のための涙だろう? 自分のため? 日吉のため、っていうのは傲慢な気がする。あと一歩のところで掴めなかった光、その光に向かって走り続けた俺たちの時間、際限なく流した汗、新部長に指名された日吉の半身を照らしていた残照、一足先に正レギュラーになった俺を一瞥したときの彼の目つき、二人で跡部さんたちの試合を見てあこがれた日の記憶、もっと幼いころに初めて言葉を交わした瞬間の高揚、大切な友達を淫猥な妄想のために使って射精した昨夜の自分……いろんな想いと思い出が混ざり合って、ただ涙みたいに止まらなかった。
誰よりもそれを求めていた日吉に、最高の景色を見せてあげたかった。でも、もう叶わない。
「日吉、俺……」
「……な、なんだよ」
「俺——」
俺の上で日吉が身じろぐ。息をつく。ぎゅっと抱きしめてつなぎとめてみたって、ふたりで一人になれるわけじゃなかった。
「俺、日吉が好き」
日吉の動きが止まった。口に出してみると、それはまるきり背信の告白だった。同じ目標に向かうチームメイトでもなければ、同じ青春を分け合う友達でもなく、同じ責任を背負う男でもない。ただ彼に抱かれたい欲求をもてあました、罪深い人間であることの自白。
「……好き、って……」
反応を決めかねるみたいに、日吉はあいまいな声で言った。たぶん今この瞬間が、引き返せる最後のチャンスなんだろう。今ならまだ冗談だったことにもできる——それがわかったから、俺はかえって何もかも取り返しのつかないところまで壊してしまいたくなった。日吉のユニフォームの内側に両手を潜り込ませて、彼の素肌に直接ふれた。雨と汗で湿った背中を手のひらでさすって、ゆびさきで脇腹をなぞって、ごくわずかについている肉を押し撫でた。薄い肉を隔てて骨のかたちがわかった。
「ちょっ……」
日吉はさすがにうろたえた様子で顔を上げた。困らせているってわかるのに、日吉の肌にふれてしまったら俺はもうダメだった。手から伝わってくる日吉の硬さや柔らかさやあたたかさが脳を焼いて、体が熱くなって、欲求が止まらなくなってしまう。もっともっともっと触りたい、日吉の全部をたぐりよせて抱きしめて俺のものにしたいって欲求が。
「……日吉、すき」
「いや……ちょ、っと、待てって!」
「待てない」
「おっ、お前なぁ……」
待てない。ガマンできない。日吉の顔には困惑はあっても嫌悪はなかった——ように見えた——から、俺はその反応に甘えて日吉の体をまさぐり続けた。背中だけじゃなくて、半袖のシャツから伸びる日焼けした二の腕も、俺と同じハーフパンツを穿いた腿やお尻も、濡れてなおさらさらで指通りのいい髪も。どこにふれても俺の胸には幸福が注いだ。日吉の体はときどきビクンと跳ねながら、やがて諦めるみたいに脱力していった。力が抜けてくたりとした顔が俺の胸に落ち、俺は日吉の鼻が服越しに乳首をかすめる弱い刺激だけで勃起してしまった。
「お前、『好き』って……こういうことなのかよ」
「……うん」
「……」
「ごめんね。気持ち悪いよね」
「気持ち悪い、っつーか……」
日吉は語尾を言いよどみ、俺は追及する勇気が出なかった。当然に分かっていたことだけど、日吉は男である俺のことなんてもちろん好きじゃない。もしも俺が女の子に生まれていたら、少しは望みがあったんだろうか。こんなにデカくてガタイのいい男じゃなく、かわいらしくて慎ましい女の子だったら。俺は自分がそういう弱々しい存在になって、日吉に手をつないでもらったり、キスをしてもらったり、エッチなことをしてもらったりするのを想像した。日吉の腕の中にすっぽりと収まれるくらい小さくて華奢で、彼に欲情されるくらいかわいい女の子。——だけど女の子じゃ、副部長として日吉の隣に肩を並べることはできなかった。
どっちにしたって現実の俺は男で——それでも日吉が今こうやって身をあずけてくれているのは、おさななじみとしての情と、そしてやっぱり彼自身の傷心によるものなのかもしれない。それならそれでいい。俺のことを好きじゃなくても、「俺が日吉を好きな気持ち」にすがってくれるなら。傷ついたときだけでも、誰かの愛が必要だって日吉が思うなら俺はそばにいるから。
「日吉、肌すべすべ」
「……変態」
「……そうだね。ごめん」
「あ、いや……」
なめらかな腿を撫でまわしているうちに、日吉は鼻息を荒くしていった。呼吸のために上下する胸の動きが速くなり、腰から下がもぞもぞと泳ぎ始める。からみあった脚と脚の根元で、ぐにぐにと生硬い感触が俺の腿に押しつけられる。
「……日吉、ここ硬くなってる」
高潔な彼でも男として性欲はあるんだな、って考えるだけで脳がほてった。俺は片脚を動かして、ハーフパンツの生地のむこうに感じるその熱のかたまりを押し返した。日吉は羞恥の表情でぴくりと震え、対抗するように腿で俺の股をこすってきた。服の中で敏感になっている性器を小刻みに摩擦されて、ゆめみたいな痛みが全身をゾクゾクさせた。
「あ、っ……♡」
「お前も同じだろ。硬くしてんのは」
「だっ、て……俺は日吉のことが好きなんだもん。こんなにくっついてたら興奮しちゃうよ……」
「……」
「日吉は、やっぱり疲れてる?」
「え?」
「その、疲れてると勃ちやすいっていうからさ」
腰が勝手に上下に振れて、勃起した性器と性器が布越しにこすれあう。それ自体は淡い刺激でも、日吉とこんなことをしているって思うだけで俺はどうにかなりそうだった。そういえばいま誰かがこの部室に入ってきたら困るなぁという懸念が頭をよぎったけれど、日吉の膝にペニスをぐりぐりされる快感に流されて消えてしまった。
「べつに疲れてねえ」
と、日吉はふてくされるようにつぶやいた。
「ただ……ちょっと溜まってるだけで」
「たまってるの?」
「……しばらく我慢してたから……」
「しばらくって、どれくらい?」
「ええと、今日でちょうど二週間……」
「そっか……」
「って、なに言わせんだよ!」
日吉は顔を上げ、赤くなった頬を見せた。俺は日吉の下から抜け出し、彼の体をあおむけに寝かせてその上にまたがった。形勢逆転。日吉は目を張って俺を見上げた。
「こ、今度はなんだよ」
「俺、抜いてあげる」
「は?」
白いハーフパンツのまんなかにできた不自然なふくらみを、手のひらでそっと撫でまわす。日吉は信じられないものを見るような表情を浮かべて絶句した。だけど対照的に、彼のペニスは俺の手のなかでビクビクと饒舌な反応をみせた。
「男に触られるの、嫌だろうけど……しばらく目、閉じててよ」
「……」
「俺のこと見なければ……感触だけなら女の子にされてるのと変わんないよ。ね?」
「え、いや、」
「俺ぜんぶやってあげるから。日吉は寝てるだけでいいからさ」
「……鳳、お前、——ッ……」
服の上から両手でペニスを握って、優しく揺らすようにしごき始める。と——日吉は肩をびくつかせ、言いかけていた言葉をのみこんでしまった。せわしなくまばたきを繰り返していた彼の目は、やがて俺が言ったとおりにまぶたを閉じた。目を閉じてもらうのは自分から提案したことなのに、俺は胸をチクリと刺されるような痛みを感じずにはいられなかった。
「……日吉、すごいガチガチ」
「……」
「根元のとこ、さっきからずっとびくびくしてるし……」
「っ……いちいち説明するんじゃねーよ!」
「ごっ、ごめん」
俺は黙って両手を往復させた。日吉は右手で目元を覆いながら、俺の手の動きに反応して腰をよじったり、首をそらしたり、悩ましげに脚を開いたり閉じたりした。
「……これ脱がすね」
拒絶の反応はなかったから、俺は日吉のハーフパンツを脱がせてソファの背に掛けた。日吉が穿いているグレーの下着は、内側で勃起している性器に張りついてその輪郭を浮き彫りにしていた。綿らしき生地は彼が分泌した液体によって濡れていて、俺はその染みの大きさを見るだけでうっとりと夢心地になってしまう。
日吉は俺のことなんて好きじゃない。けど、俺の手で感じてくれている。
下着越しに彼の性器をつかむ。熱さと硬さが、さっきよりも鮮やかに手のひらに伝わってくる。手のなかで優しく揉んだり、ゆびさきでひっかいたり、ぎゅっと握ったり放したり……彼のプライドをもてあそぶように動く俺の掌中で、それはぴくぴくと暴れながら少しずつ大きくなっていく。せつなげに湿った日吉の吐息が雨音に混じって、清潔な官能のメロディを奏で始める。
「……はぁ、っ……」
藍色の影の中で、のどぼとけが汗をかいているのが見えた。快楽に揺られる日吉の姿はかわいくてかっこよくてすてきだったから、かわいい、とか、きもちいい? とか声をかけたくなった。でも日吉はきっとこんなときに男の声は聞きたくないだろうなと思って、俺は無言で手を動かし、彼のつまさきから下着を引き抜いた。
「……」
草いきれのような熱いにおい。赤く腫れたペニスは卑猥な角度で反り返り、先端から透明の粘液を噴いて亀頭をてらてらと怪しく光らせていた。その液を塗り広げるようにしてサオをしごくと、日吉は内腿をびくんと痙攣させた。
「……っ、うぅ」
喉の奥で発されたような、声ともいえないほどの弱い音。その音が徐々に強くなり、腿の痙攣も徐々に大きくなっていく。頬は赤く、指はふるえ、はしたなくそそりたった性器はとろとろの汗を流し続け……余裕を欠いていく彼の姿が俺のアタマを熱して溶かす。自分の中心に片手を置いたら、日吉のと同じくらい硬くなっているものの感触にぶつかった。
「……ごめん。俺もするね」
「え?」
ソファの上で日吉の腰にまたがったまま、俺は自分のハーフパンツと下着を脱いだ。日吉は目元を覆っていた手をどけて、みっともなく膨張している俺のペニスを見た。鋭い視線で刺されて、根元がドクンと脈打ち痛んだ。ゆるされないことなのに、俺はそれを握ってしごき始めてしまう。日吉の目の前で。
「んっ……、ぁ♡」
甘い震えの波が、下半身から脳へと押し寄せてくる。日吉は俺の恥部に視線を固定したまま、にらみつけるみたいにソコを見ていた。
「あ、ッ♡ ……ご、ごめんね、日吉……」
「なんで謝るんだよ」
「だって気持ち悪いだろ、俺のこんな……」
「……べつに誰もそんなこと言ってないだろ。勝手な被害妄想するな」
日吉はすねたようにプイと顔をそむけた。俺はまた「ごめん」と謝ってから、左手で自分の、右手で日吉のペニスを刺激し続けた。やがて日吉はまぶたを半分伏せ、とろんとした目になって弱い声をもらしはじめた。自分と日吉の両方に同時にふれていると、からだを襲う快感が自分のものなのか日吉のものなのかわからなくなってきて、あやふやな感覚の中で自分が日吉であるような気さえした。
「……ねぇ、日吉」
「なんだよ」
「どうやってさわってほしい? 言ってくれたら俺、なんでもしてあげる」
「なんでもって……」
「なんでも、だよ」
しゅこ、しゅこ、しゅこ、と一定のリズムで二本の男性器をしごく淫猥な音が、俺と日吉のあいだの沈黙をうめた。俺は日吉の上で腰を突き出して、自分のおちんちんのさきっぽを日吉のおちんちんのさきっぽにくっつけた。先端の穴同士をぐにぐにって押しつけ合ったら、ぱんぱんに膨張した肉色の亀頭と亀頭が、お互いの分泌した液をまとってぬるぬる滑った。
「やっ、ぁ……ん♡ やばい、これきもちいい……」
「っ……」
性器のなかでもいちばん敏感なところに、日吉のエッチな感触が、熱が、カタチが伝わる。とろとろの快感がたまんなくて腰がくねる。日吉もふにゃふにゃした顔になって気持ちよさそうに息をついていたから、俺のあたまのなかはますますハイになってしまった。
「ね……日吉って、いつもどういう妄想で抜いてるんだ?」
「なっ……なんでそんなこと、聞かれなきゃなんねーんだよ!」
「だから……俺ぜんぶ実際にやってあげる。なんでもしてあげるよ。俺、日吉のことが好きだから」
日吉は俺に視線を戻し、あっけにとられたようにまばたきを繰り返した。
「好きだから、って……。お前はそれでいいのかよ」
「どういう意味?」
「俺は何も答えられてないだろ。お前のこと好きとか、好きじゃないとか。それなのにこんな一方的に、俺にばっかり都合のいい状況で……」
「え……」
今度は俺が目をぱちぱちさせる番だった。日吉は申し訳なさそうに眉をよせ、罪悪感を噛み殺すみたいに唇を結んでいた。
「日吉、今の状況を自分に都合がいいって思ってくれるの? こんなの俺にこそ都合いいのに……」
俺のほうこそ一方的に日吉を襲っているようなものだ、こんなの。日吉は俺のことを好きじゃないのに俺に体をさわらせてくれて、俺の手で気持ちよくさえなってくれて、俺は彼のその扇情的な姿を見ながらオナニーまでしている。いったいこれが俺以外の誰に都合のいい状況だっていうんだろう?
「……俺に色々されるのって、日吉にとって“都合がいい”こと?」
「だって俺からは見返りもやれないのに、こんな……」
「見返りなんて……。俺は日吉にさわれて、日吉の気持ちよさそうな顔が見られるだけでうれしいよ。日吉、反応かわいいし」
「か、かわいくねーよ」
と言って赤面してから、日吉はまた「変態」とつぶやいた。だから俺はまた「ごめん」と返して、好きな人から叱られることの幸福に酔った。くっついたままのペニスを、二本まとめてしごきながら。
「でも……そんなふうに思ってくれるってことは、ちょっとは期待してもいいのかな」
「いや、それは……」
日吉はためらいがちに目を泳がせて、そっけない小声で「男同士だし」と付け足した。
胸のうちに暗雲が垂れ込めた。だけど俺の心は納得してもいた。日吉は俺とは違うのだ。彼は自分が“男”であることに至上の意味をみている人だから、そのアイデンティティを破綻させるような生き方はしない。たとえば俺みたいに、“男のくせに”男に恋をしたりとか。
「……そうだよね。俺、女の子に生まれてればよかったかな」
「……それじゃ、同じ部活には入ってなかったけどな」
「うん……」
もしも俺が女の子だったら、日吉とはチームメイトどころか友達にさえなっていなかった気がする。どちらか片方しか叶わないなんて残酷だ。友達になれても恋人にはなれない関係か、恋人にはなれたかもしれないけれど友達にはなれない関係か。俺は日吉と友達でいたいし、友達のまま恋人にもなってみたいのに。
「……で、日吉はどういうふうにされたいんだ?」
閑話休題。俺は憂鬱にとりあえずフタをして日吉に迫った。恋人になれなくても——心にふれられなくても体にふれることはできるのだ。
てのひらの肉で包んだ日吉の亀頭を、こねるようにねっとりと圧し回す。ほんのすこし爪を立てて、ゆびさきで裏筋をくすぐる。根元から陰嚢にかけて、繊細なところを優しく揉んでは放す。どこをどうされると日吉は気持ちいいのか、いっこずつ暴いていくように。
「ぁ、……っ」
「ね、どこがいちばん気持ちいい?」
「……べつに、気持ちいいとか……」
「そんな顔してるのに?」
日吉は意地を張ったけど、しつこく触り続けていたら表情も声もすっかりとろけてしまった。ペニスだって、もう血管が浮くほど膨張して痛々しいくらいだ。
「日吉、このままイけそう?」
「え……」
「もう限界って感じだから……。そろそろ出さないとつらいかなって」
「……」
日吉はほうけたような顔をして、切れ切れの息に胸を上下させながら、濡れた目で力なく俺を見た。
「……お前、ほんとかよ。なんでもするって」
「うん!」
俺はうれしくなって即答した。日吉が俺に欲望を託そうとしてくれているってだけで胸がいっぱいになったけど、日吉は気まずそうに目をそらし、二の足を踏むように黙り込んでしまった。
「日吉、してほしいことがあるのか?」
「……や、でも……」
「なんでも言ってよ。……女の子にしてもらうほどは気持ちよくないと思うけど、俺が相手なら遠慮しなくて済むだろ?」
俺は日吉に覆いかぶさって彼の顔を上向かせ、期待と躊躇のあいだで揺れているその目を覗き込んだ。日吉は優しい人だから、この子だけは、って心に決めた女の子に対して無理を強いるようなことは絶対にしないだろう。でも俺が相手なら——「好きな人」ではない男が相手なら、うしろめたい欲望だって罪悪感なくぶつけられるんじゃないだろうか。
日吉は俺の目を覗き返した。痛みをこらえるような表情をしていた。
「お前、そこまで卑屈にならなくてもいいだろ」
「卑屈……かな? 俺、日吉がイくとこ見たいだけだから……むしろ利己的だよ」
「……そこ、降りてくれるか」
「え? ……うん」
日吉は視線の動きで床を指し、俺は彼の指示に従って床に降りた。俺がカーペットに膝をつくと、日吉はソファの上で上体を起こし、両脚を広げて左右から俺の体を挟むように床に投げ出した。
王様の椅子の前でひざまずく従者みたいだ。俺の眼前には熱い血をみなぎらせた男性器がそびえ、日吉は俺の後頭部に手を置いた。手は俺をいざなうように優しく髪をなでた。何も言われなくても何を求められているのかはわかったから、俺は舌をのばして彼のペニスをぺろりと舐めた。
「……」
さっきから感じていたオスの体臭が、ぐっと濃くなって鼻先に迫る。やまない雨の湿気にとけこんで、俺の理性をピンク色のもやで包む。
いくら好きな相手のものでも抵抗がある、って人もいるだろう。でも俺は日吉のそれを舐めたり吸ったりすると、甘い幸福感で胸がいっぱいになった。もっと食べたい、って食欲にも似た欲求が際限なく湧いてきて、口の中に唾液があふれた。すぼめた舌先でゆっくり亀頭の割れめをなぞり、さきっぽの穴をぐりぐりってえぐると、日吉は悶絶するように体をひきつらせた。
「っ、あ……ぁ」
「日吉、こういうの好きなんだ?」
「……悪い……」
と、日吉は蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「なんで謝るの?」
片手で根元を支えながら、俺は彼の男性器のあちこちを舐め回した。エラの張った亀頭も、微妙なカーブで反ったサオも、間近で見るとその色や質感が細部までよくわかった。舌先には日吉のそこにあるいろんな輪郭の感触が伝わった。表面に浮き出た血管のふくらみとか、裏筋の凹凸とか、ずっしりと重くなった陰嚢のやわらかいシワとか。視覚で感じて触覚で感じて、そのうえ味もにおいも音も日吉のそれでいっぱいになって、俺はお腹の奥がキュンと痛むのを感じた。いま目の前にある彼のペニスが俺を犯してくれたらいいのに——って渇望。
「……俺ずっと舐めてみたかったんだよ。日吉のおちんちん」
「なっ、なに言ってんだよお前……」
「ごめんね、こんな友達で。……っていうか友達じゃないよね、こんなの」
最高の友達になりたい相手と、官能の手綱を握られて愛されたい相手。どっちも“大好き”って気持ちの結果なんだから、両者が一致しているのは何も不自然じゃないって俺は思う……けど、ふつうはそうじゃないらしい。
俺は日吉の剛直が自分のナカに入ってくる痛みを想像しながら、片手をお尻に持っていった。日吉の体液が付着した中指で、くぽくぽと後孔を突く。そのまま日吉の陰嚢を優しく舐め、軽く吸う。日吉は甘い息をついて膝をびくんと跳ねさせる。
「んっ……」
根元から先端までをまっすぐに舐め上げて、さきっぽにチュッてキスして、亀頭をぱくりとくわえこむ。くちのなかで揉むようにしゃぶったら、唾液がぐちゅぐちゅと下品な音をたてた。
「あ、あッ、ぁ……」
「日吉、声かわいい」
「……っるさい、かわいくない!」
俺の髪をつかんでいる日吉の手の力が、ぐっと強くなる。頭皮をひっぱられる痛みに痺れながら、俺は日吉の膝に手をついて頭を上下に動かした。可能な限り奥まで、日吉のペニスを口に入れる。めいっぱい吸いつきながら先端に戻る。日吉が気持ちよくなってくれたらいいなって気持ちでストロークを繰り返していたら、彼の手はいつしか脱力して俺の頭を撫で始めた。そっと労るような、いつくしむような優しい手つきで。
「……俺、感謝してるんだ、鳳には」
かすれた声が降ってきた。上目でうかがうと、日吉の赤い顔が苦しげにゆがめられているのが見えた。
「んっ、ぅ……。どうしたんだよ、急に」
頭から頬へ滑った手のひらは、くすぐったい感触を残して俺から離れてしまった。日吉は苦い目をして言った。
「もしお前がいなかったら、俺には部長なんて務まらなかったと思う」
「……そんなことない」
急に何を言いだすんだろうって思いながら、俺は反射的に否定していた。らしくないほど弱気になっている今の日吉をよけいに追い込むようなことは言っちゃいけない、って思ったのだ。——だけど同時に、俺は自分の胸が満足で熱くなるのも感じていた。
テニス部の副部長として、自分なりに身を削り続けた日々の苦労が思い出された。それはあくまでも部の未来のために、みんなを率いる“部長”のために、そして自分自身の成長のために積み重ねた健全な努力だった……けれど、日吉のことを好きになってしまった俺にとっては、どうしたって“好きな人への奉仕”でも、あった。それが愚かな公私混同だとわかっていても。
だから、よこしまな心が彼の言葉を喜んでいる。日吉はやっぱり俺がいないとダメなんだ、って。無垢だった頃から、俺はずっとその感情に酔わされてこの気高い幼馴染の隣を歩いてきた。
「……俺はほんのちょっとサポートをしただけだよ。自分を卑下するわけじゃないけど、ほかの誰かにだってできたことだったと思う」
「違う」
力強く言いきって、日吉は赤い顔を左右に振った。
「ほかのやつじゃダメだった。俺は鳳じゃなきゃダメだ」
「……」
「それなのに俺、よりによってこんなことさせて。最低だってわかってるのに、体が言うこと聞かねえ……」
「……そんな。それとこれとは別の話だし、そもそも俺自身がやりたくてやってるんだし」
好きな人から必要とされていることの嬉しさと、それでも俺の“好き”と日吉の“好き”が出会うことはないって現実の悲しさ。その両方が混じって、俺の胸のなかはぐちゃぐちゃになった。いっそもう好きじゃないと思えればラクなのに、俺の舌と唇はまた吸い寄せられるように彼のペニスをしゃぶり始めてしまった。
サオの部分を両手で愛撫しながら、亀頭を口にふくんで集中的に舐め回す。おっきなグミみたいな感触が、くちのなかを熱い質量でいっぱいに満たす。じっくりゆっくりねちっこくねぶり回す刺激と、舌先だけでぺろぺろって小刻みになぞる軽い刺激で緩急をつけて舐めるうちに、日吉の息がどんどん速く、せつなくなっていく。
体のあちこちを痙攣させながら快楽に耐えていた日吉は、やがて我慢がきかなくなったみたいに荒々しく俺の頭をつかみ、まるで道具か何かのように無遠慮に動かし始めた。
「ゔ、っ……」
喉の奥に日吉のペニスが刺さる。呼吸が止まる。頭を上下に揺さぶられて、意識がぐらぐらして、息苦しいところまでガツガツと突かれる苦痛が熱い涙をあふれさす。
「はぁッ……あ、ぁ……」
日吉は俺の頭を引き寄せるたびに勢いよく腰を突き出し、俺の喉には強烈な痛みがぶつけられた。めまいがして視界がぼやけた。「ぐ」とか「ゔ」とか、濁音ばかりのうめき声が止まらなかった。
狼藉をはたらいているはずの日吉の声は、だけど俺のそれ以上に苦しそうだ。猛烈な罪悪感と、それをなぎ倒していく圧倒的な快楽とのあいだで心を引き裂かれているような、痛々しい苦悶の響き。俺はその涙まじりの声を聞きながら、日吉が俺への乱暴を通して他人を性的に支配することの快感を覚えてしまってくれたらいいなって考えていた。
「ッ……あ゙、もう……っ」
「んっ……!」
喉に三発、ひときわ大きな衝撃がきた。痛すぎて気を失うかと思った。でも俺の体は意識を保ったまま、四発目で日吉が俺の奥にペニスをぐっと押し込んで射精するのを感じていた。
「……あッ……」
うわずった声。喉の粘膜に注がれる熱と、痛みのさなかで遠く感じる夕立の音。甘い夏の匂い。
日吉はしばらく俺の頭を鷲掴みにしたまま固まっていた。俺の顔からは涙とか鼻水とか唾液とか汗とか、体液という体液がとめどなく噴き出し、やがて口の端から日吉の精液も流れ出た。喉の奥は好き放題に荒らされていた。さすがに苦しくなって片手で日吉のお腹を押し返すと、日吉は泣きそうな声で謝罪のようなことをつぶやいて弱々しく身をひいた。俺はソファにぐったりと沈んでいく日吉の前で咳き込みながら、イく瞬間の彼の顔を見られなかったことに気づいて惜しい気持ちになった。
くちのなかに残った精液を、舌先で掻き集める。どろりとしてなまぬるい感触がまとわりついてくる。二週間も我慢していたというだけあって、濃いし量も多かった。
「……ん……」
精液を飲みこんで顔を上げると、日吉は涙目で俺を見下ろしていた。頬は鮮やかに紅潮し、表情は陶酔の余韻でとろけたまま。
「……ほんとに、悪かった」
日吉はかすれた声でそう言って手をのばし、俺の顔に付着した体液をぬぐってくれた。俺は立ち上がってソファに膝をつき、お返しに日吉の目元の涙をぬぐってやった。日吉は荒い息に肩を上下させながら、充血した目で俺を見た。
「痛かっただろ。あんな強引なの……」
「……さっきも言ったけどさ、俺自身がやりたくてやったことだから。なんでもするって言ったのも俺だし、日吉はなんにも気にすることないよ」
「……俺、二年前の夏に」
「へ?」
唐突な言葉に手が止まる。もう夜の色になりかけた部屋の中で、日吉は遠い目をして雨の窓を見つめていた。
「お前の背が伸び始めたころに……。上級生から因縁つけられたこと、あっただろ。一年のくせに図体がでかくて生意気だ、とかって」
「ああ……覚えてるよ。日吉がかばってくれたときだよね?」
「あのとき思ったんだ。こいつのことは俺が見ておいてやらなきゃダメなんだな、って」
「……」
「理不尽な言いがかりにもろくに言い返せてないお前を見て……俺すげーイライラして、だけど傷ついてほしくないとも思った。なのに結局、誰より俺自身が鳳を傷つけてる。心も体も」
ズ、とすすり泣きの水音がした。恍惚のなごりは薄れ、日吉は不全感にとらわれたような表情を浮かべていた。
暗雲に曇った顔。俺はその雲を吹き飛ばしてあげたいような、同時にそこから大雨が降る景色を見てみたいような、分裂した気持ちに襲われた。
日吉の心が晴れるのはどっちだろう? どっちだとしても俺は日吉を癒やしてあげたいって思う、俺のつくる場所で。
「……日吉、キスしていい?」
「え……」
と、日吉は逡巡の気配をみせた。
「や、その……口にはしないから。おでことかほっぺとか。だめ?」
日吉が微かに表情を和らげたのを確かめて、俺は彼の頬に唇を寄せた。汗と涙のせいでしょっぱい味がした。額も、首筋も、耳も。俺は日吉の乱れた横髪をゆびさきで梳きながら、彼の耳元に何度もくちづけた。
「んっ……」
「ねぇ、さっきの気持ちよかった?」
「……」
「……あんまり良くなかったかな」
「いや、良かった、けど……」
「ほんと? うれしい。俺いつでもやってあげるから、またしてほしくなったら言ってね」
「……お前、もうお人よしを通り越してアホだろ……」
「いいじゃん。日吉が聡明だから、俺はちょっと抜けてるくらいでちょうどいいよ」
「聡明って、俺はべつに……」
日吉は呆れたように苦笑し、俺はその表情を見て幾分ほっとした。少しは気持ちが晴れたかな、って。
「……それに俺、日吉に傷つけられたなんて思ってないからな。勝手に片想いして、勝手に欲情してるだけだもん」
「いや、それは……」
「たとえ本当に傷つけられたって、俺はきっと日吉のこと好きなままだよ。……そうじゃない程度の『好き』なら、こんなことする前に諦められてた」
「……鳳、お前——」
日吉の視線が不安定に宙を泳ぐ。やがて言葉を探すよう、ためらいがちに唇を動かし——だけどその唇は結局、声を発しないまま閉じられるだけだった。やっぱり口にもキスしたかったなぁと後ろ髪を引かれながら、俺は日吉の上体をそっと抱きしめていた。
「日吉、だいすき……ごめんね」
頬の高いところが熱をもち、目の裏を焼いた。腕の中に収めたぬくもりがいとしすぎるせいで。
「……謝る必要ないだろ」
「だって日吉は迷惑だろ? 男からこんなこと言われても」
雲があるなら晴らしてあげたいし、傷があるなら癒やしてあげたい。抱きしめて優しくしたいのに、俺の中に肉欲というノイズがあるせいで——そして俺が男であるせいで、俺が日吉に捧げる抱擁はきっと彼にとって“気持ち悪い”ものにしかならない。
それが悲しかった。自分の想いが報われないことよりも、自分の手では彼を癒やすことはできないという無力さが。
「そんなことない」
日吉は静かな声で言った。
「……たしかに男同士じゃ、俺は…………けど、自分のことをここまで想ってくれるヤツのこと、男だから迷惑だなんて考えるほど薄情な人間でもない」
「……」
目のまわりが急激に熱くなり、やばい、と思ったときにはもう涙があふれていた。さっき物理的な痛みを受けて体が流したのとは違う、心が流す涙だった。
肩を震わせてしゃくりあげる俺の背に、日吉の腕が回される。そっと抱き返される優しい心地だけで、俺の心は決壊してしまった。
「日吉……」
「……なんだよ」
日吉がくれるのより強い力で、彼の体をぎゅっと抱き返す。肋骨や背骨のでっぱりが、やけに硬く手に伝わる。
やっぱり痩せてしまったんだろう。全国大会の決勝戦から今日まで、たった十日間のあいだに。
「……俺たちが優勝できなかったの、日吉の責任なんかじゃないよ……」
涙でぐしゃぐしゃに濁った言葉は最後、雨音にまぎれて消えた。瞬間——腕の中で日吉の体が、神経が、凍てつくのが感じ取れた。
「……は?」
日吉は怒気のこもった声で、嘲るように言った。
彼の逆鱗がここにあるって、俺はもちろんわかっていた。わかっていてふれたのだ。俺は日吉に優しくしてあげたい——だけど同時に、彼の傷をむきだしにしてしまいたい。だって、心を傷つけることなく心にふれることなんてできるだろうか?
「俺の責任に決まってるだろ!」
日吉はそう叫んで俺を突き飛ばした。あおむけに倒される瞬間、後頭部がソファの肘掛けにぶつかって鈍い痛みを生んだ。鋭利な切っ先をあらわにした日吉の絶望は、だけど闇を裂く眩しい閃光のようでもあった。
「日吉のせいじゃない……!」
「俺のせいだよ。俺が——」
日吉は俺に馬乗りになり、血走った眼から鋭い視線で俺を貫いた。
「俺が弱かったんだ。部長としても、ひとりの選手としても。だから、負けた……」
「違う」
「違わねえよ!」
雨か汗か、日吉の髪から水滴が落ちて俺の額を濡らした。日吉は俺の胸倉をつかんで引っぱり、俺は首を絞められるような痛みに襲われた。さっき日吉の射精を受けとめた喉が、今度は強烈な窒息感に悲鳴を上げる。
「ゔぅ、っ……」
「お前が俺のことをどういう意味で好きでいたって勝手だ。だけど慰めで取り入ろうなんて考えるなら、俺はお前を軽蔑する」
「っ……そ、そんなんじゃ……」
ない、って俺は言い切れなかった。実際、俺は日吉の傷心につけこんで自分の下心を満たしたようなものなのだ。
悲しみの涙と痛みの涙がいっしょになってぼろぼろとこぼれた。それなのに、俺の胸は歓喜によって高鳴り始めてもいた。
むきだしになった日吉の傷口に、今なら手が届く。彼がそれを俺の前で無防備にさらしてくれたことが、俺はどうしようもなくうれしかった。
「オーダーが甘かったとか、部活全体のチームワークの問題とか……どう言い繕ったって、最後に俺が勝ってさえいれば優勝できたんだ。それが事実だろ!」
「それは——」
「それに!」
日吉は俺の髪をつかみ、俺の頭部をソファの座面に打ちつけた。殴られるのかと身構えたけれど、日吉の握り拳は俺の眼前で止まっていた。
暗い部屋のなかで、怒りに満ちた拳がわなわなと震えている。俺はそれが自分に振り下ろされる場面を想像してしまう。甘い戦慄が、背筋を駆け上がる。
「お前だけは、俺に優しくするなよ」
日吉は苦りきった表情で言った。
「優しさなんて必要ないだろ。お前の弱さは俺の弱さで、俺の弱さはお前の弱さで、連帯責任みたいなもので。同じ目標を達成するためには慰め合うんじゃなくて、同じ痛みに向き合って乗り越えていかなきゃいけなくて……そういう半身みたいな存在でいてくれると思ったから、俺はお前を副部長として認めてたんだ。それなのに」
日吉はそこで言葉を切った。それなのにお前は俺を裏切った——って、聞かなくても彼の言いたいことはわかった。
日吉の言葉は正しい。正しすぎるくらいだ。
「……でも俺は日吉に優しくしたいよ。ごめんね」
右手をのばして、まだ震えている日吉の拳にふれる。そっと包み込むと、日吉は涙の気配で目元をひきつらせた。
「なんでだよ。俺はチームメイトとして、お前のこと……!」
「俺も自分が間違ってるって思う。チームメイトとして……それに友達としても、男としても。甘やかすとか優しくするとか、正しくないよな」
「……そう思うなら、なんで」
「だって……」
日吉の言葉は正しくて強くて、男らしい。だけど俺は、それだけじゃ足りない。
「……俺、日吉にとってチームメイトでも友達でも男でもない存在にだってなりたいんだよ。日吉のことが好きで、いっぱい触りたくて、日吉に……だっ、抱かれたい、って思ってるから……」
正しくて強くて男らしい日吉だって、それだけで走り続けていたらきっといつか息が切れて倒れてしまう。俺はそのとき、日吉が正しさも強さも男らしさも投げ出して一方的に寄りかかれる場所でありたいのだ。たとえば毎日シビアな世界でがんばっているお父さんが、家に帰ったら現実のしがらみを何もかも忘れて奥さんに思いきり甘えてしまうみたいに。——われながら古くさいイメージだと思うけど、憧れる心はどうにもならない。やせちゃった日吉にごはんをいっぱい食べさせてあげて、お風呂で身体をすみずみまで洗ってあげて、ひとつのベッドで官能を分けあって眠る——“副部長”としての自分じゃ叶わない夢は、俺の頭の中で絶望的に眩しく輝いている。
「なんだそれ。理解できねー……」
日吉は拳をほどき、俺の右手を振り払った。
「好きだからって軟弱になる必要はないだろ。むしろお前は俺のことを責めてくれたっていいくらいだ、副部長として」
「……うん。日吉にはわかんないよね」
常に向上心で生きているストイックな日吉には、きっと理解できない。好きな人を甘やかしてふにゃふにゃにふやけさせちゃいたいとか、自分が男であることを侵犯されてみたいとか。そんな“軟弱”な欲望とは無縁な人だからこそ、俺は日吉を好きになったのだ。
「でも俺は日吉とは違うから。傷ついてる日吉を責めるなんてことはできないし、俺に全部吐き出してラクになるならそうしてほしいって思う……正しくなくても、誠実じゃなくても」
それで日吉が救われるなら不実でもいい——そんな考え方も、日吉には呑み込めないものだろうけど。
「……なんだよ、男でもない存在って」
日吉は表情をゆがめ、悲鳴を上げるように言った。混乱の中から助けを求めるような声だった。
「意味わかんねえ。俺は鳳をそんな目で見たこと、誓って一度も……」
「……日吉、また勃ってる」
俺の腰に馬乗りになった日吉の下腹部で、彼の性器はまた膨張し上を向き始めていた。さっき振り払われた右手で先端を握ると、日吉はびくりと身じろいだ。
「一回じゃ足りなかった? 二週間も我慢してたんだもんね」
「いや、これは……」
「もう一回しよっか。手でも口でも、好きなほうでやってあげる」
まだ少し精液が残っている亀頭に指をからませて、くちゅくちゅとくすぐるようになでまわす。さっき俺を痛めつけたペニスが、俺の手の中でまた硬くなっていく。日吉のくちびるから熱っぽい息が落ちる。はぁ……って空気に溶けるような甘い響きで。
「……俺に触られるの、きもちいい?」
「違うっ……」
と否定して、日吉は片手で顔を隠した。
「ただの生理現象だ、こんなの。お前だから気持ちいい、とかじゃない……俺はお前をそんな目で見たこと、一度も……」
「わかってるよ。日吉は俺のことなんか好きじゃないけど、エッチな触り方されたら相手が俺でも否応なく体が反応しちゃうって……俺はそれだけでもうれしい」
チッ、と舌打ちの音がした。日吉は苛立ったように眉を寄せていた。
「俺のこと“なんか”って、なんでそんな卑屈な言い方するんだよ。お前のそういうところがイラつくんだよ……」
「えー……そんなこと言われても、日吉が俺のことなんか全然好きじゃないのは事実じゃん。もちろん友達としては好いてくれてるけどさ」
「……全然好きじゃない、とか」
言葉はそこで途切れ、吐息まじりのうわずった声だけが続いた。俺の手は日吉の体液で濡れてきていた。
「……ねぇ日吉、シャツ脱がしてもいい?」
「は? ……なんでだよ」
「おなかとか胸とか、いろんなとこ触ってあげたいから……」
それに裸が見たいから。と心の中で付け足して、俺は上体を起こした。
座ったまま向かい合うかっこうで、日吉のシャツの裾を持ち上げる。うっすら割れた腹筋とおへその窪みが、美しい陰影をもって薄闇に浮かび上がる。
「……お前も脱ぐんだったらいい」
「え?」
なんで? って思った瞬間、日吉は俺のユニフォームを脱がせにかかってきた。シャツの生地をめくられて、露出したおなかにひやりと空気がふれる。
「なっ、なんでだよ。俺が脱いだって意味ないじゃん」
「意味っつーか……俺だけ脱がされるのは不公平だろ」
「いや、でも……」
混乱しているうちに日吉の腕がのびてきて、俺はあっというまにジャージの上着とシャツを剥ぎ取られてしまった。裸に靴下とネックレスだけの状態にされた俺の前で、日吉は俺のユニフォームを床に放り、自分のシャツも脱いで投げ捨てた。
「これで満足か?」
「ま、満足……だけど」
下心でいっぱいの俺はともかく、どうして日吉が俺の服を脱がしたりするんだろう——そういう疑問が湧いたけど、一糸まとわぬ日吉の半身を見たらそれどころじゃなくなってしまった。
なだらかな筋肉の盛り上がりをみせる二の腕に、くっきりと日焼けの線ができている。いつもユニフォームで隠れている部分だけ皮膚が白くなっていて、彼の秘密をのぞき見てしまったみたいでドキドキした。屋外で練習や試合をするときはみんな日焼け止めを塗っているけど、それでも強烈な日差しに太刀打ちできないくらい今年は猛暑だったのだ。
「……焼けてるね」
「お前も同じだろ」
「ん……」
中指の先を、日吉の鎖骨の端にのせる。骨の形にそって内側にすべり、胸の坂をのぼって、おなかのほうに下りていく。
日吉は線が細いタイプに見えるけど、毎日鍛えているから実はたくましい。胸筋はしっかりとふくらんでいるし、おなかも割れているし、下腹部やふとももには色っぽい筋が刻まれている。この端正な上半身とか、かすかに光沢のあるなめらかな肌とか、引き締まった脚とかを、日吉のクラスのみんなが水泳の授業で目の当たりにできてしまうってことがねたましくなるくらいだ。
……だけど日吉の上体を這う俺の指先には、時々こころもとない感触もぶつかった。左右の胸の下の皮膚に浮き上がった、肋骨のデコボコ。以前はここまでくっきりとは浮き出ていなかったって、更衣室で彼と一緒になるたびにその体を盗み見ていた俺にはわかってしまう。
「日吉、ちょっと痩せたよな」
「……そうか? 気のせいだろ」
「ちゃんと三食しっかり食べてる? 暑いからってさっぱりしたものばかりにすると栄養が偏るし、カロリーも足りなくなって——」
「いや、だからお前は親かって」
日吉はあきれたように言った。でも本気で俺をうっとうしがっているのではなく、強引に茶化そうとしている声音なのが痛々しかった。
「俺ほんとに心配なんだよ。日吉のこと」
「おおげさだ。……たしかに痩せたかもしれないけど、ただの夏バテだし」
「うそつき……」
肋骨のカーブを一本ずつ、ゆびさきでなぞる。背中を丸めてそこにキスすると、日吉はくすぐったそうに身を震わせた。
「……日吉は十分すぎるほど努力してたよ。部長としても選手としても」
「はっ」
日吉は自嘲の声を出した。
「十分じゃなかったんだよ。勝てなかったんだから」
「そんなことないのに」
「……」
「もちろん俺も優勝したいと思ってた。でもそれだけじゃなくて……日吉といっしょに練習したり、部活の計画立てたり、いろんなこと話し合ったり。優勝のために積み重ねた時間そのものだって、かけがえのない思い出だよ」
ひとつの目標に向かってひとつのチームを動かすためには、まずその先頭に立つ俺たちが心をひとつにしなければならなかった。そのためにお互いの思いをぶつけあって、時には摩擦を起こしたこともあったけれど、衝突を乗り越えるたびに日吉の心に近づけている実感があった。
この部室で幾度となく行われた放課後の作戦会議や、帰り道での雑談、みちくさ、合宿中に二人だけで打ち合った早朝の練習、一年前には手が届かなかった全国大会決勝戦のコート……ただのおさななじみでいるだけじゃ見られなかった景色の数々は、俺にとってきっと一生の思い出だ。——日吉への片思い、という私情を抜きにしても。
それは絶対に嘘偽りのない本心だけど、口に出してみるといかにも陳腐な文句になった。道徳の教科書に書いてある、うすっぺらいお題目みたいに。
「俺は部活を、思い出作りのためにやってたわけじゃない」
日吉は吐き捨てるように言った。
「……俺は日吉に、元気になってほしいんだよ」
友達が傷ついているのは悲しいし、好きな人には幸せでいてほしい。それだけの単純な気持ちなのに、この無力さはなんだろう。
「お前はいいよな。勝ったんだから」
と、日吉は自暴自棄がちの声でつぶやいた。
「自分のせいで負けたって考える必要ないから、そんな能天気でいられるんだろ」
「……俺は自分の勝ちなんて……」
俺は手のひらを日吉の上体にぺたりとつけて、骨や筋肉の上を撫で回った。俺の舌は感情の彷徨のままに動き、取り返しのつかない言葉を発しようとしていた。だから、日吉にふれられるのはこれが最後かもしれない。
「もしもそれで日吉が勝てるなら、俺は自分が負けたってよかった。譲れるなら譲ってあげたい、って思う……」
チームメイトとして、友達として、男として——そしてスポーツマンとして、許されないことを言ってしまった。好きな人の裸を見て満たされている今の俺は、やっぱりそのどれである資格もないのだ。
日吉は目を見開いて俺を見た。怒ってくれてよかったし、今度こそ殴ってくれたってよかったのに、そこにあるのは怒るためのエネルギーさえも持たない瞳だった。
「鳳、お前はさ……その言葉で俺が慰められるとか励まされるとか、そんなふうに考えるほど俺のことを知らないわけじゃないだろ」
俺は黙ってうなずいた。
「だったら、なんでそんなこと言うんだよ」
「ん……なんでかな」
俺は日吉の弱さもいとしいから。日吉が要らないものは全部引き受けたいし、俺が分け与えられるものなら全部あげたいから。いちど堕ちて這い上がるほうが、立ち止まって動けなくなるよりはいいと思うから。日吉のことが好きだから……俺の頭の中に浮かぶ“理由”は、ひとつだって日吉を納得させられない。だから呑み込む。呑み込んで、俺は右手を日吉の下腹部へと滑らせた。薄めに生えた陰毛が、やさしいくすぐったさで指先を包んだ。
日吉はいま傷ついて悲しんで消沈しているはずだけど、性器はふつうに勃ったままだった。思春期男子の旺盛すぎる性欲に感謝しながら、俺はそれを握った。手のひらの肉で軽い圧迫をくりかえすと、付け根がビクンと脈打って、腰まで震えた。日吉が俺の腿に乗っかってくれているおかげで、彼の反応は俺の体にダイレクトに伝わる。
「おい、鳳……」
「……下校のチャイム、もうすぐ鳴っちゃうよ。日吉、このまんまじゃ帰れないだろ?」
傷口を晒させても結局、かたくなな日吉の心はひらけない。だから今の彼に近づくためには体を落としてしまうしかない。——こんなふうに考える俺って最低だろうか?
「っ……も、もういい、自分でやるから。俺、お前に触られてると……」
「……気持ち悪い?」
「違う」
と答えて、日吉は丁寧なくらいゆっくりと首を横に振った。
「気持ち悪いとか思わない……けど、怖い」
「怖い?」
「自分がだめになる気がする……」
日吉の声は語尾にかけて細り、線香花火みたいに落ちて消えた。だけどよく見ると、混乱にゆれる瞳の奥にはまだ火種が残っているみたいだった。
その火が、つながった視線を通って俺のなかに燃え移る。小さな火種からみるみるうちに燃え広がって、期待の炎で心を焼いていく。
「いいじゃん。だめになっても」
俺は日吉の耳元に唇をよせ、自分の言葉が彼にとってうんと甘く聞こえることを自覚しながらささやいた。
俺の体は抗う間もなく圧倒的な力に包まれ、激しい痛みとともに背後に叩きつけられていた。
***
あのときは、まだ「日吉くん」って呼んでいた。
中学生になって初めての夏休みを迎える直前の、期末試験返却日のことだった。全教科の試験の返却が終わり、帰りのホームルームも終わると、俺は日吉のクラスに行って彼を連れ出した。部活が始まるまでの空き時間に、一緒にお昼を食べようと思ったのだ。
その日は俺も日吉もお弁当を持っていなかった。カフェテリアは満席だったから、売店で食べものを買って中庭のベンチで昼食をとった。七月なかばの暑い日だったけど、空は曇っていて日差しは弱かった。中庭は背の低いハナミズキの木で囲われ、レンガでつくられた花壇には水色の花が咲いていた。
「日吉くん、試験の結果どうだった?」
「よかった」
と、日吉はまるで謙遜せずに答えた。
自分の隣で梅のおにぎりを咀嚼する彼の姿がやけに小さく見えて、ちょっぴりさびしくなったのを覚えている。そのころ急激に背が伸び始めていた俺とは違って、日吉はまだ小学生みたいに小柄だったのだ。
「よかったって、どれくらい?」
「数学と英語は百点。技術で九十一点だったのがくやしいけど……あとは全部、九十五点以上だった」
「えっ、すごい……」
俺はまばたきしながら日吉を見下ろした。中等部に上がって、試験の難易度も幼稚舎時代よりずっと上がったのを痛感していた頃だ。俺も成績は悪くないほうだけど、九十一点をくやしがる日吉のレベルには全然及ばなかった。
だけど日吉は得意がる様子もなく、「まあな」と淡白な相槌を打つだけだった。
「でも全教科合計、俺より高いやつもクラスにいたし。俺なんてまだまだだ」
「えー、十分すごいよ。日吉くんに比べたらボクなんて……」
「いや、鳳はべつにいいだろ。試験の成績とか」
「……そうなの?」
親でも家族でもない日吉がなんでそんなことを決めるんだろう、って思った。だけどそれは不愉快な感情ではなく、俺の胸のうちになんとなくあったかい手触りを残すものだった。
「だって、なんか……テストの数字で測れる感じじゃなくないか? お前の……個性、みたいなのって」
「……」
俺はどう反応すればいいのかわからなかった。日吉からそんなふうに思われていたことが意外で、言葉が見つからなかったのだ。
「でも、俺は……」
「『俺は』?」
「……知ってるか? 跡部部長って、試験のたびに全教科首席なんだぞ」
「へー……そうなんだ」
「だから俺はトップじゃないと意味ない。二学期の中間でリベンジする」
「そ、そっか……」
軽い混乱の余韻を抱えながら、俺は売店のサンドイッチを食べ進めた。絶妙な味付けのたまごサラダがたっぷり詰まった人気商品だったけど、そのときはあんまり味がしなかった。
日吉の勝ち気と向上心は、出会った頃からずっと知っている。だけど中等部に進学し、テニス部に入ってから輪をかけて峻烈になった彼のその心性に、俺はいささか戸惑ってもいた。音楽や美術など、日吉の言うとおり定量化が難しい分野に身をおく自分と彼との違いを寂しく感じていたのかもしれないし、テニスだけでなく学業においてまで彼の心を支配してしまうほどの存在に嫉妬していたのかもしれない。——跡部さん相手にそんなことを思うなんて、いま考えるととんでもない思い上がりなんだけど。
「……じゃ、そろそろ行くか」
「うん」
昼食を食べ終え、部室棟へ向かおうとしたときだった。ふいに水滴の感触が頬をかすめたかと思うと、雨はあっというまにどしゃ降りになって頭上から俺たちを打ち始めた。
「くそっ、急にすげーな……。おい、走るぞ鳳!」
「うっ、うん!」
ヤバいとか冷たいとか騒ぎながら、俺たちは驟雨の中を全力疾走した。服も荷物もびしょ濡れになったけど、俺はちょっとした非日常のハプニングを日吉と共有している状況をこっそり楽しんでもいた。——部室棟の前で、向かい側から駆けてきた上級生とぶつかって彼を転ばせてしまうまでは。
一学年上の、テニス部の先輩だった。彼は俺の肩に頭をぶつけてアスファルトの地面に転倒し、俺は血の気がひく思いでその傍らに膝をついた。
先輩でもそうじゃなくても、自分のせいで誰かに痛い思いをさせてしまうなんて俺には耐えられない。申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら謝ると、彼は上目で俺を見てチッと舌を打った。決して故意ではないのにそんな反応をされるなんて、とショックを受けたけれど、故意でなくても俺に前方不注意の非があったことは事実だ。本当にごめんなさい、と重ねて謝りながら、俺はその人に右手を差し出した。
「立てますか?」
短い沈黙のあと、上級生は俺に向けて手をのばし——次の瞬間、俺の手首には激痛が走った。
「痛っ……!」
強い力で手首をひねられ、とっさに身をひいたせいで、今度は俺のほうが地面に尻餅をついた。だけど、本当に痛いのは体じゃなかった。
上級生は立ち上がって俺を非難し始めていた。一年のくせに図体がでかくて生意気だとか、内心で上級生を見下しているからこんなことになるんだとか、攻撃的な言葉がいくつも降ってきて雨と一緒に俺を打った。
「……ご、ごめんなさい……」
俺はただ謝ることしかできなかった。転ばせてしまった罪悪感と罵倒されたショックのせいで、それがいわれのない中傷だと冷静に判断することもできなくなっていたのだ。立ち上がってちゃんと謝り直そうと思ったけど、腰が抜けて体が動かなかった。
「ごめんなさいって、お前——」
「あの、すみません」
と彼の言葉を遮ったのは、俺じゃなくて日吉の声だった。
「先輩、先月の部内試合で鳳に負けてた人ですか?」
一瞬、場が静まり返って雨音が支配した。俺は多分ぽかんと間抜けな顔をして、上級生の背後に立つ日吉のことを見上げていたと思う。
上級生は日吉を振り返り、今度は彼に詰め寄った。
「いい度胸してるな、お前」
「度胸? ……俺は質問をしてるだけですけど」
「は?」
「あなたは先月、あいつに負けましたか? イエスかノーかで答えてください」
「……てめぇ」
上級生は日吉の胸倉をつかんで拳を振り上げた。今度こそ本当に血の気がひいて反射的に目を閉じたけど、日吉が殴られるような音は聞こえてこなかった。おそるおそるまぶたを上げたら、上級生は舌打ちとともに日吉から手を放し、彼を罵倒しながら部室棟とは反対の方向へ去っていった。
痛みとは違う作用で胸が締めつけられ、悲しさとは違う理由で泣きながら俺はよろよろと立ち上がった。日吉はもう部室棟の軒下に移動して雨を逃れていた。
「……ごめんね、日吉くん」
隣に行って頭を下げると、日吉は呆れ口調で「なんで謝るんだよ」と言った。
「だって、ボクのせいで日吉くんにまで怖い思いさせちゃって……」
「あんなの怖くねーよ、俺は。弱虫のお前と一緒にするな」
「よわむしじゃない……」
そう否定しながらも、俺は足がすくんでその場にしゃがみこんでしまうのを我慢できなかった。少し間があって、日吉も俺の横に腰を落とした。
「つーか、鳳のせいじゃないだろ。あんな逆恨みをするほうが幼稚でバカなだけだ」
そう言ってから、日吉はためらいがちに付け加えた。
「……だから、こんなことで泣くな」
「なっ、泣いてないよ。雨に濡れただけで……」
「お前、俺に嘘つく気か?」
日吉はきわめて的確に俺の弱点を刺し、俺は黙ってうなだれるしかなくなった。手の甲で涙や鼻水をぬぐう自分に、日吉の視線が注がれているのを感じながら。
「……ボク、怖かったから泣いたわけじゃないよ」
「え?」
「日吉くんがかばってくれて、胸の中がわーってなっちゃって……うまく言えないけど、怖かったんじゃなくてうれしかったんだと思う」
「かばったとか、俺はべつに……。ただあいつにムカついたから言い負かしたくなっただけだ」
「うん……それでもボクはうれしかった。ありがと、日吉くん」
俺は涙ぐんだまま顔を上げ、日吉に向かって笑いかけた。そしたら日吉はなぜか動揺ぎみに視線を泳がせて、プイと目をそらしてしまった。
日吉はそのまま焦ったように立ち上がると、不自然に荒っぽい声で叫んだ。
「……お前っ、もうやめろよ、それ!」
「それ?」
「自分のことを『ボク』とか、小学生じゃねーんだからさ。そんなんだからナメられるんだよ、体はデカいくせに」
「えー……そうなのかな」
「これからは『俺』にしろ。命令だからな」
親でも家族でもない日吉がなんでそんなことを決めるんだろう——って、やっぱり思った。そしてそれは、やっぱり嫌な疑問ではないのだった。
「『俺』かぁ……ちょっと恥ずかしいけど、変えてみようかな。子供っぽいとかナメられるとか、正直よくわかんないけど……」
俺は日吉の隣で立ち上がった。いつのまにか足のすくみは消えていた。
「……そっちのほうがいいって日吉くんが思うなら、俺はそれがいいや」
「……」
「ごめんね、日吉くんまで付き合わせちゃって。早くシャワー浴びて着替えなきゃね」
俺たちはようやく部室棟の中に入った。廊下を濡らしてしまうのが申し訳なくて靴箱の前でシャツの裾を絞ったけど、雨水は際限なく垂れてきて終わりが見えなかった。俺がそうしているあいだ、日吉は不機嫌そうに俺の手元をじっと見つめていた。
「……日吉くん、怒ってる?」
「えっ」
「なんか目が怖いから……」
「……怒ってない、けど!」
と声を張り上げて、日吉は唇を噛んだ。次の言葉を待って、二秒。
「……お前、それも禁止だ。俺のこと『日吉くん』って呼ぶな。『日吉』って呼び捨てにしろ」
「え……日吉くん、俺にこうやって呼ばれるの嫌だった?」
「嫌、とかじゃねーけど……ガキっぽいだろ」
「でも日吉くん、さっきクラスの子から『くん』で呼ばれてたよね?」
「さ、さっきのは女子だろ。お前は男なんだから『くん』はやめろ」
「え~、そういうの男女差別っていうんじゃないの?」
「ちげーよ! 俺はただ、お前と……」
そこでいったん言い淀んでから、日吉は続けた。
「……鳳と対等でいたいだけだ。男同士として」
「対等? 『くん』だと対等じゃないの?」
「……」
日吉は黙り込み、さっさと靴を履き替えて早足で廊下を歩き始めてしまった。俺はあわててその背を追い、彼の一歩あとについてシャワールームに向かった。いつもの階段をのぼりながら、日吉、って呼びかけると、日吉はそっけない声で「なんだよ」と答えた。——俺のほうを振り返らないまま。
「呼んでみただけ」
「あっそ」
階段が終わると高低差が消えて、日吉は俺よりずっと小さくなってしまう。まだ肉のついていない、こどもの背中が雨で濡れていて、俺は自分がさびしさでも嫉妬でもない喪失感にとらわれていくのを感じていた。
***
人間が言葉を規定するんじゃなくて、言葉が人間を規定する——とかって、なにかの授業の雑談タイム中に先生が話していた気がする。俺たちは自分の意思で言葉を操っているつもりでいるけれど、実のところ口に出す言葉こそが自分の意思を決定づけている、みたいな話だったはずだ。
話し言葉の中の「ボク」を「俺」に変えたことで、俺はたしかに変わったと思う。どこがどう変わったのかうまく説明はできないけど、自分の心の輪郭が新しく規定し直された感じだ。そして俺に言葉を変えるよう命じたのは日吉だから、俺は日吉に心を変えられたことになる。
「……日吉、痛いよ」
ソファの上で日吉に突き倒されてから、もう何十秒が経過しただろうか。日吉は両手で俺の肩を押さえつけて、怖い顔をしたまま。憎しみにも似た暗い炎を宿す瞳で、なにも言わずに俺をにらみつけている。裸の状態で突き飛ばされた俺の背中には、ひりひりと焼けるような痛みが広がっていた。
「……痛いってば……」
「っるせえ……」
と、日吉は俺なんかより百倍痛そうな声で言った。
「自業自得だろ。お前がさんざん……」
「さんざん?」
「……さんざん煽るから! 俺はただ、お前と対等でいたいだけだったのに」
「対等?」
二年前にも聞いた言葉だなって思いながら、俺は聞き返した。
「日吉、それ前にも言ってたよな。対等って何?」
「お前が否定したものだ」
日吉は冷酷な声で言い、俺は鳥肌が立つのを感じた。それが恐怖によるものなのか、ゆがんだ喜びによるものなのかは判然としなかった。ただ、彼のことを初めて「日吉」って呼び捨てにした日に喪失した何かが、俺と日吉のあいだに戻ってきたような気がした。
日吉はモノを扱うように俺の両脚を持ち上げると、いきりたったペニスの先を俺の腿の付け根に押しつけた。そのまま腰を進めて、後孔の上へ。ぬるい体液をまとった亀頭でグッと圧迫されて、俺のそこははしたなくヒクついた。さすがにここまでの展開は予想していなかったから脳は驚いたけど、体は日吉から与えられる凌辱の気配をただ喜んでいた。
「……日吉、だめだよ、それは」
俺は屋根ごしの雨音に負けるくらいかぼそい声で言った。もう何を言ったって日吉の火は消えないってわかったから、できるかぎりおびえた響きに聞こえるように、弱々しく、言った。日吉は「黙れ!」と叫んで平手で俺の腿を叩いた。——彼自身が叩かれるような顔をして。
叩かれたところから、にぶい痛みが全身に広がっていく。俺は奇妙にここちよいその感覚を堪能しながら日吉の顔を見上げる。あの日、「お前は男なんだから『くん』はやめろ」って俺に命令した日吉の、自由を奪われてやけにキレイな顔を。
「お前が言ったんだろ。俺に抱かれたいって」
「そうだけど……でも俺まだ中学生だし、初めてだし、そこまでは心の準備が……」
「だったら言うなよ、あんなこと!」
さっき手で触っていたときより硬くなった日吉のペニスが、ずるん、って俺の割れ目の上を滑る。粘液をまとったその熱い凶器で何度も何度もこすりあげられて、俺はじれったい快感で殺されそうになってくる。犯行予告のような刺激が意識を溶かし、危うい恍惚になって全身を震わせる。
「はぁ、っ……♡」
深いところから息が出た。言い訳のしようがないくらい、欲情がだだもれになった吐息。
「……俺だって好きなんだ。お前のこと」
日吉はそう言って泣いた。落ちた涙がひとつぶ、俺の腿を流れていく。
「こんなこと言うの、ガラじゃねーけどさ……本当に大事な友達だと思ってるし、戦友だとも思ってる。鳳が副部長じゃなかったら俺はきっとすぐに潰れてたし、そうじゃなくても……部活での立場とか関係なく、純粋に一緒にいて楽しい相手だって。たまにイラつくこともあるけど、ここまで好きなのはお前だけだって昔からずっと思ってるんだよ……」
日吉は心情をどっと吐き出すように語った。言葉だけ聞けば、それはまるきり告白のようだった。だけど日吉は、
「……男友達として」
と付け足して、俺に現実を思い知らせることを忘れなかった。
「対等な男友達として、負けた俺を叱ってくれればよかったのに。お前がそうしないから……それどころか友達であることも男であることも否定するから、今こんなことになってる。自分でもワケわかんねえ……」
普段はめったに見せない泣き顔をさらす日吉の下で、俺は彼への恋心を初めて自覚した日のことを思い出していた。そのときの自分は、不思議なほど迷ったり悩んだりしなかった。日吉と親しくなってから自分が彼に対して抱き続けてきた感情の正体を知ることができて、思い悩むどころかすっきりとした気分だったのだ——ただ自分の想いが叶わないことを悟って絶望はしたけれど。
俺はたぶん、日吉が思ってくれるような“男友達”じゃ、なかった。最初からずっと。
「……ごめんね、ちゃんと友達でいられなくて。ぜんぶ俺のせいだね」
俺はそう答えて、自分の腿をつかんでいる日吉の手をなでた。するとそれが引き金になったみたいに、日吉は顔をゆがませて俺の後孔にペニスを突き立てた。
「——そうだよ。全部お前が悪い!」
涙まじりの叫びと同時に、日吉の剛直が俺のナカに叩き込まれる。その刹那だけ感じた本能的な恐怖が一瞬で消えてしまったことに俺は落胆を覚える。もっとずっと味わっていたかった、って。
「痛っ……」
痛がる演技をしようと決めていた。だけど演技をするまでもなかった。
痛い。挿れられたところが、それどころか身体そのものがまっぷたつに引き裂かれて出血しているんじゃないかって思うくらいに。演技なんてしなくても涙があふれ、呼吸は乱れて、脂汗がにじんだ。全身の毛穴が締め上げられるようにして体毛が逆立った。日吉のペニスを埋め込まれた部分の周囲の筋肉がひきつって、経験したことのない違和感を生んだ。
「いたい……痛いよ、日吉、やだ……」
気を失いそうになるほど苦しい。それなのに、日吉のおちんちんが自分の中に入っているって状況を客観視した脳が苦痛を端から端まで幸福に変換していく。永遠に叶わないとあきらめていた夢が、いま叶ってる。
「っ……自業自得だって言ったろ。先に望んだのはお前のほうなんだよ、俺じゃなくて!」
日吉は自分に言い聞かせるように大声で言ってから、容赦なく腰を動かし始めた。
初めての刺激にまだ戸惑っている俺のナカを、日吉の猛々しい男性器が蹂躙していく。手加減なく奥まで穿ち、粘膜をずぶんと掻いて退く——そしてまた力強い一突き。まるで身体全部を巨大な熱の棒でこすられるような痛みが、俺の下半身を甘く痺れさせる。痛い、はずなのにどうしようもなく気持ちいい。自慰のときに妄想したのよりはるかに狂おしい、生命ごと切り刻まれるような悦楽。
「ッ……ぁ、あ、だめ、日吉……っ」
ずっぷ、ずっぷ、ずっぷ、と前後する日吉のペニスが自分の中を征服していくのを感じながら、俺は「だめ」とか「やだ」とかわめいてみせた——自分の意思を無視されて無理やり犯されている、って思ったほうが気持ちよかったから。だけどいつまでも止まらない強烈なピストンでナカを突きほぐされ、暴力みたいに体を押し潰され続けるうちに、そんな演技をする余裕もなくなってしまう。日吉の腰遣いのリズムに合わせてただ動物的な声が出、日吉の腕に押さえつけられた上体がみっともなく反って悲鳴を上げる。悦びに悶える。
「あっ♡ あ♡ あぁ……ッ♡」
「……クソ、なんで無理やり犯されてよがってるんだよ。この淫乱」
苛立ちのこもった声で吐き捨てて、日吉はひときわ強く腰を打ちつけてきた。殴られるような衝撃が脳髄を襲い、目の裏側に星が飛ぶ。自分のナカがぎゅうっ……と収縮して、日吉のペニスを締めつけるのがわかる。
「……っ♡」
「ぅ、あ……ッ」
頭上からせつなげな声が落ちてくる。日吉は顔を真っ赤にして、まだ涙を流しながら俺を犯していた。
日吉がペニスを往復させるたびに、彼の下腹部についた腹筋がなまめかしくふくらんだりへこんだり、いやらしい動きをみせる。二年前の華奢な子供のそれとは違う、細くても男らしい肉をつけたカラダが、俺をむさぼるみたいに必死に腰を振っている。日吉自身にも制御できない獣欲をぶつけられているって思うだけで、俺のナカはきゅんきゅんと疼いて快感を引き寄せてしまう。おそろしいくらいに。
「はっ……ぁ♡ あんっ♡ きもちいいよ、日吉っ……♡」
「ッ……だから、なんで強姦されて喜ぶんだ!」
「ごめんなさい……っ♡」
だって日吉が好きだから——って答える余裕もない。日吉は俺の上に倒れ込んできて、にわかに抽送のペースを上げた。お互いの吐息がかかるくらい、キスできるくらい顔と顔が近づいたけど、日吉の唇を奪ってしまうことはできなかった。
俺が欲しがっていいのは、体だけ。心まで求めるなんて、そんなぜいたくはゆるされない。
「ひよし……っ、日吉もきもちいい? イきそう?」
「……っるせぇ……」
「ぁ、あ……ッ♡ ……ね、日吉、ナカに出していいからね。俺、女の子じゃないから妊娠しないし……っ♡」
「うるせえって!」
日吉は胸板で俺の上半身を潰し、ぐっと体重をかけて俺の動きを封じながら、杭を打つように俺のナカを突き続けた。わざわざ逃げられないようにされなくたって俺は逃げないけど、力ずくで押さえ込まれるとぞくぞくして興奮が増した。俺の後孔の中は侵略者であったはずの日吉のペニスの動きやカタチにすっかり馴らされ、拡げられて、もう痛みと快感を峻別することもできなくなっていた。
はぁ、はぁ、って至近距離で聞こえる日吉の吐息がどんどん速く、苦しげに詰まっていく。それと連動するようにペニスのストロークも速くなる。長い距離を往復するのではなく、奥のほうを小刻みに押し込むような動き。
自分の指じゃ届かない場所だから、いままで触ったことも触られたこともないはずだ。それなのに俺の体は感じすぎてしまう。日吉のおちんちんのでっぱった部分で気持ちいいポイントをゴリゴリってえぐられて、さきっぽの丸いところで何度も何度も奥を突き崩されて、体ごと殴られるみたいに腰を叩きつけられて……俺は女の子じゃないし妊娠しないけど、日吉のせいで女の子にされてしまったような錯覚が起こる。いっそのこと彼の精子で妊娠させられちゃう体だったらよかったのに、って罪深い夢までが後孔の痛みを鮮やかに彩る。
「あ、ッ……♡ ひよし、もうだめ、俺もうイっちゃいそう……」
「知るかよ。勝手にイけ」
「やだぁ、おれ日吉といっしょがいい……」
俺は腕を伸ばして日吉の背中を抱きしめた。それから彼の肩や腰やお尻や腿を撫でた。下半身をなでまわすと日吉のピストンの力が強まり、きもちよさそうな声がいくつも飛んだ。日吉が俺を犯しながら気持ちよくなってくれているなんて、俺にとって最高の状況だった。やがて日吉の腕が俺の背を抱き返し、くっついた体と体が互いの汗で滑った。乳首と乳首がこすれてびりびりした。日吉は俺の首筋に前歯をたてて噛みついた。
「痛っ……♡」
鉄っぽいにおいが、つんと鼻をつく。噛まれたところから血が流れ出したのかもしれない。
「くそ……なんなんだよ。結局どっちなんだ」
「どっち、って……」
「男じゃないって言ったり、女じゃないって言ったり!」
日吉はパニックめいた咆哮をあげた。至近距離から鼓膜を震わされる衝撃のなかで、日吉の錯乱と同じくらい俺の頭も混沌としていた。
「んっ♡ ……どっちかな、よくわかんない……」
「無責任な——」
「ごめん……っ♡」
「俺はお前を、こんな……、っ!」
射精感からとっさに身を引こうとしたんだろうか——日吉が焦ったように上体を起こして俺から離れかけた瞬間、俺は反射的に両脚を伸ばして彼の腰に巻きつけていた。ありったけの脚力で、日吉の下半身をぎゅっと拘束する。俺のナカの日吉のペニスが、さっきより深いところまで刺さる。俺は両手で日吉の肘を固く握りしめ、日吉は狼狽と快感の入りまじった顔で俺を見下ろした。
「おい、放せ——放せよ!」
「なんで? やだ、もっと挿れててほしい」
「っ……もう出る、から! このまま続けてたら自分で止められなくなる、俺……」
日吉は泣きそうな顔で言った。心細げで悲しそうでかわいそうな顔だ——夏祭りの人混みの中でお母さんとはぐれて迷子になってしまった幼児みたいに。
「……日吉、だいすき」
鳥肌が全身を覆っていた。日吉を恋う気持ちが一気に膨張して心臓が張り裂けそうで痛くて熱くて、もしかしたら本当に張り裂けたのかもしれなかった。
この恋は俺の宿命だ。破滅的な激情に駆られ、混乱と狂気に支配されながらも最後には踏みとどまって俺を守ろうとしてくれる人のこと、好きにならないほうがおかしかった。
「お前、なに言って……」
「とめなくていいよ。このまま出していいよ……さっき言ったじゃん、おれ女の子じゃないから大丈夫だよ」
「……だから、それ」
結局どっちなんだ——って悲鳴を上げるかわりに、日吉は迷子の顔のまま腰を揺さぶってきた。凄まじい本能を制御できないように、何度も。
「ぁ……ひよし、っ……♡ 俺もうどっちでもいいから、日吉が決めて……」
「は?」
「男じゃないのも女の子じゃないのも、どっちでもいい……だから、日吉の好きなほうにして。……ね? 日吉くん」
日吉の動きが止まった。俺の粘膜の内部で彼のペニスが激しく脈打つのを感じた。涙でぐちゃぐちゃになって血走った日吉の目に、ばかみたいに屈託なく笑う自分の顔が映っていた。日吉は何も言わず、俺のネックレスをつかんで力任せに引っぱった。
首を絞めようとしたのかもしれない。だけど力が強すぎたせいで紐は引きちぎられ、十字架のペンダントトップは勢いよく弾け飛んだ。うすぐらい部室の中で宙に浮き上がって落ちる、その一瞬に反射させたどこかの光の微かなきらめきだけを残して。
***
日吉は結局、俺の中で射精した。俺は限界まで膨張した彼のペニスによって重たく貫かれ、穴の中を満たしていく精液の噴出を感じながらイった。俺の四肢は筋肉の持てる力すべてを使って日吉の体を抱きしめていた。日吉の性器をくわえこんだ下半身は、彼の体液を注ぎ込まれながらビクン、ビクンって痙攣して暴れた。続けざまに絶頂の波がきて全身を打ち回し、血液に火をつけられたみたいに体が燃えて、この狂乱がいつまでも終わらなかったらどうしようって怖くなった。
「ぁ、あッ……痛っ……」
俺のナカが日吉のペニスを逃がすまいとばかりにキツく締め上げたせいで、日吉は荒い吐息のあいだに苦悶の声を出した。
「……っ♡ ごめん、日吉……ッ♡」
俺のそこはぎゅうぎゅうと日吉に吸い付いた。心だけじゃなく体まで、彼に向かって好きだ好きだと悲鳴を上げていた。日吉は俺の肩をしっかりと抱き、俺の肉に爪をくいこませた。俺たちのふるえは頂点に達し、ふたりいっしょに溶けて沈んだ。さっきタオルを取り合って倒れたときと同じように、日吉の体が俺の上に落ちてきた。
「……はぁ、っ……」
深い呼吸に胸を上下させる俺の上で、日吉の上体も同じように動いていた。俺はその背を抱きしめたまま、狂濤から凪へと向かっていく肉体の弛緩のここちよさに意識をあずけた。うたたねのようなぬくもりに包まれて、俺たちの呼吸のリズムは揃ったりずれたりしながらだんだん遅くなり、いつしか安らいだ。
「……日吉」
日吉はじっと固まって答えなかった。
「俺すっごい気持ちよかった……。ありがとう」
雨はまだ窓を打っていた。日吉は無言のまま体を起こし、俺の中からペニスを引き抜いた。
「んっ……♡」
ぬるい精液にまみれた日吉のペニスが、ずりゅん、って俺の粘膜をコスりながら抜けていく。カリの凹凸が気持ちいいところにひっかかって、鎮まったはずの性感があっというまに熱を持ち直す。先端まで全部が抜けてしまうと、俺の中の空洞は彼の質量と熱を求める強烈なせつなさによってムズムズと疼き始めた。
「ねぇ、日吉……」
もういっかい——ってねだろうとしたけど、日吉は俺の上から降り、ソファからも降りてしまった。裸のまま暗がりの中をさまよった彼はふいにしゃがみこみ、なにかを拾うような動作をしてから戻ってきた。
「……悪い。これ」
悄然としてうなだれる日吉の手には、さっき壊されてしまったネックレスの紐と十字架が握られていた。
「新しいの買って弁償する。……別のもので代替できるようなモノじゃないだろうけど、ほかにどうしようもないから……」
「えっ……いや、そんな」
俺はあわてて上体を起こし、日吉の手からネックレスの残骸を受けとった。日吉は俺の隣に腰を落とすと、深い息をついて放心するように手足を投げ出した。
「いいよ、弁償なんて。本体は無事なんだし」
「……」
「紐だって、ちょうど新しいのに交換しようと思ってたんだ。これもう古くて……だから気にしないで」
「……」
「日吉……」
憔悴した様子で口を閉ざす日吉の沈黙のあいだに雨の水音が聞こえ、やがて雨じゃない水音も聞こえ始めた。はなをすする音。しゃっくりのように喉が鳴る音。涙こそ流していないけど、日吉はまた泣いていた。俺はどうしたらいいのかわからなくなって視線を上げたり下げたりし、日吉のペニスがまだ濡れているのを見つけてソファの脇のガラステーブルからティッシュを一枚取った。上体をかがめて日吉にティッシュをあてがったところで、
「悪い」
って、さっきと同じ言葉が耳に落ちてきた。
「ネックレスがどうとか、そんな問題じゃない……。俺、お前に対して最低なこと、しちまった。とりかえしのつかないこと」
手を止めて日吉の顔を覗き込む。日吉も、俺の顔を見下ろしていた。
「最低だ、俺。男として……人間として」
「ちょ、ちょっと待って」
俺はさっきの何倍もあわてて日吉の言葉を遮った。
「日吉はなにも悪くないよ、俺の自業自得なんだから。全部俺が悪いんだって、さっき日吉自身が言ったじゃないか」
「あんなの鵜呑みにするなよ、バカ」
日吉は怒りをあらわにして言った。俺へのいらだちが半分、自分自身への憤りが半分って感じの声だった。
「さっきはどうかしてたんだ、俺。頭も体も暴走するのを止められなくて、へりくつでお前に責任転嫁して、お前が抵抗してるのに、無理やり……!」
「いや、へりくつっていうか……ほんとに全部俺が悪いんだよ。俺が日吉の気持ちにつけこんで煽ったんだもん」
「……それでも越えちゃいけない一線はあるだろ。実際抵抗してたじゃねーか、お前」
「あ、あれは……」
俺は日吉から目をそらしてうつむいた。やわらかくなったペニスの上の精液をティッシュで拭きとると、日吉のお腹がぴくりと引きつった。
「——あれは演技だから」
「は?」
「抵抗してるのに無理やりやられちゃう、っていう状況に興奮したかっただけ、だから……」
「……」
沈黙。日吉の顔を見なくても、さっきとは意味の違う沈黙だって容易に感じ取れた。
「いや、なんでだよ」
おずおずと顔を上げる。日吉の表情は自己嫌悪から困惑に切り替わっていたので、俺はいくらか安堵した。
「俺、日吉にひどいことされたいって思ってるから」
「……」
「心も体も両方、ふみにじってほしくて……だめにしてほしくて。だから全部すっごいドキドキしたし、うれしかったし、気持ちよかった……」
「……」
日吉はドン引きの顔で絶句していた。さすがに羞恥心が襲ってきたけれど、日吉に罪悪感を抱かせてしまうよりはずっといい。
「……なんだそれ。マジで変態か、お前」
「あっ、あくまでも好きな人限定だからな? 日吉以外の人にはこんなこと思わないし……俺がこんなふうになっちゃったの、もともとは日吉のせいだし」
「俺のせい?」
「ちっちゃいころから日吉にいじわるされてきたせいだよ。日吉がいじわるなのに優しいせいで……」
日吉は俺に遠慮なくいじわるをするし、冷淡にするし、悪態もつく。それなのに俺が他の人からいじわるをされたり冷淡にされたり悪態をつかれたりすると、必ず本気で怒って俺を助けてくれるのだ。そうやって何年もかけて彼の飴と鞭に躾けられてきた俺は、飴はもちろん鞭だって大好きになってしまった。
「それこそ責任転嫁だろ……」
日吉は呆れ声でつぶやいた。そのまま俺へのドン引きで罪悪感を上書きしてくれればいいと思ったけれど、彼はふっと遠い目をしてため息をつき、また表情を曇らせてしまった。
「……だけど結局、俺が最低だったことに変わりはない。あの瞬間、俺自身はお前が本気で抵抗してるって認識してたんだ。それなのに自分を抑えられなかったんだから」
「でも俺は嫌じゃなかったんだよ? それどころか幸せだったのに……」
「この際、お前の意思は関係ない」
と一刀両断して、日吉は苦々しげに両手を握った。握り拳の表面に、骨と血管のシルエットが浮かび上がる。
「これは俺の倫理の問題だ。目の前で嫌がってる相手の意思を無視して自分の欲望を強いてしまった、っていう俺の過ちが問題で……その結果としてお前がよろこんだとか興奮したとか、そんなのは二の次の話でしかない」
「えぇ~……なんか本末転倒だよ、それ」
「転倒なんてしてない。まず俺の自制心が未熟だった……それが根源的な問題だ」
「……ふぅん」
日吉の理屈は理解できなくもないけど、ちょっと自分に厳しすぎる気がした。もちろん俺は日吉がそういう人だからこそ惚れたわけだけど——とはいえ事の次第を遡れば、先に自分の欲望に負けて相手の体を好き勝手にもてあそんだのはむしろ俺のほうなのだ。
「日吉、まじめだなー……」
日吉はいかにも自省的な厳しい顔をして、じっと宙をにらみつけていた。俺はまたティッシュで日吉のペニスをぬぐった。ティッシュだけじゃうまく拭ききれなかったから、体を丸めてそこに舌をつけた。
「な、なにやってんだよ」
「ん……汚れちゃったの、きれいにしてあげようと思って」
「いや、そんなことしなくていい……っ」
精液は苦くてまずかった。でも日吉のだと思うとぜんぜん嫌じゃなかった。猫がやるみたいに舌先でぺろぺろ舐め回していると、日吉のおちんちんはピクピクって跳ねながら勃っていき、あっというまに硬さを取り戻した。いかに自己批判精神旺盛な日吉でも、中三男子にとって二週間の禁欲は正気を奪ってしまう拷問なんだろう。
「日吉、もう二回も出したのに……まだ全然足りないみたいだな」
「……こ、これこそお前が煽るから……」
「ねぇ、もう一回しよう? 俺もう嫌がる演技とかしないからさ。それなら日吉だって気兼ねなくできるだろ」
「……いや、でも」
日吉は往生際悪くためらってみせたけど、ペニスの裏筋をひと舐めしたらあっけなく陥落してしまった。俺がそこを舐めたり食べたりしゃぶったりしているあいだ、日吉はずっと俺の頭を撫でてくれていた。ときどきその手に力がこもり、撫でられるのではなく押さえつけられる状態になるのもたまらなかった。俺は日吉のペニスがびんびんになったところで身を起こし、ソファに座る彼の腿に乗っかった。
正面から向かい合うかっこうで腰を下ろしていき、手探りで位置を調整しながら後孔を日吉のペニスの先に近づける。片手で自分の尻たぶをひっぱって穴を拡げたら、さっき入れられた精液がとろりと逆流してきて内腿を濡らした。
「……あっ♡」
ぬぷっ……と亀頭がナカに入り、狭い道を押し拡げながらせり上がってくる。寝転んだ状態で上から挿れられるのとは違う圧迫感が、せつなさにうずいていたその空洞をみっちりと塞いでくれる。
「……い、痛くないのか」
「ん、だいじょうぶ……。動いていい?」
「あ、ああ……」
俺は日吉の首に腕を巻きつけてぎゅっと抱きながら腰を動かした。上下に動いたり前後にグラインドしたり、ぐるんと回転をかけてみたり。日吉のペニスは俺の中で跳ね回り、いろんな角度でいろんなところを突いて俺の体に絶え間なく快感を送り込んだ。日吉は息を弾ませながらじっとしていたけれど、やがて両手で俺の腰をグッと押さえて下から腰を打ち込んできた。
「はッ……ぁん、だめ♡」
「悪い、もう限界……」
さっきはあんなに強引だった日吉が、申し訳なさそうに眉を下げていた。でも申し訳なさそうなのは表情だけで、腰遣いはやっぱり強引だった。下から手加減なくガツガツと突き上げられて、俺の体は逃げ場のない快楽にあえいだ。重力のおかげで日吉のペニスは根元までずっぽりと俺の中にハマり込み、しびれるような快感で内臓まで震わせた。日吉は途中から片手で俺のペニスにもふれてきて、前と後ろの両方から襲ってくる刺激に俺は身もだえた。日吉の硬い手が俺のそれを素早くしごき、勃起させ、日吉のペニスは俺の体内を一定のテンポで突き続けた。
「ひよし、だめ、それ一緒にしたらっ……ぁ♡」
俺は日吉にすがりついたまま、あっけなく射精させられ、同時に日吉のペニスも爆ぜた。
「あぁ……っ♡」
勢いよくほとばしる熱い精液を、ドクドクと注ぎ込まれる感覚。三回目なのに日吉の射精はさっきより長く、俺のナカは彼の生命を搾り取るように収縮した。後ろと前とで同時にイって、俺が放った精液は日吉の上体を汚した。
「はぁ……♡ 日吉、量すっごい……」
「……っせえ、お前もだろ……」
「俺はまだいっかいめ……だもんっ♡ 日吉は、もう、三回目……♡」
イジワルな声音をつくって耳元でささやくと、日吉は俺のペニスのさきっぽをぐにゅぐにゅとこねまわすことで反撃してきた。瞬間、蜜のような快感が腰をかけめぐって俺はまたイかされた。
「あッ♡ あ♡ ……ねぇ、日吉……っ」
「なんだよ」
「俺……」
絶頂の痙攣が鎮まり始めた後孔の中で、まだ芯をとどめている日吉のペニスがゆるやかに前後する。ぐちゅ、ぐちゅ、って俺の中をたしなめるように掻く。イきすぎて痛いくらい鋭敏になった体に、穏やかで甘い官能がじんわりと優しく広がっていく。
「俺もうどっちでもいい、けどっ……女の子でもそうじゃなくても、日吉の精子で妊娠させられてみたかった、って思う……」
「何……言ってんだ、お前」
「日吉の赤ちゃん、産んでみたかったなって……」
「……」
いつか日吉と誰かのあいだに子供が生まれたとき、俺はちゃんと祝福の気持ちでその子に会えるんだろうか——そんな絶望的なイメージが脳裏をよぎったけど、快楽の渦にのまれてすぐ消えた。
「お前、なんつーか……」
「ぅん?」
「……好きすぎるだろ、俺のこと」
「うん……」
俺たちはしばらく繋がったままでいた。お互いの体を触り合っていたらまた熱がぶり返し、でもソファは汗でべたべたになっていたので壁際に移動した。俺は立ったまま窓枠につかまり、背後にいる日吉に腰を突き出した状態で犯された。途中で下校のチャイムが鳴ったけど無視した。窓の外の雨の景色の中に、傘をさして帰っていく生徒たちの姿が見えていた。
うしろから突かれていると日吉の顔が見えなくて怖くて、興奮した。でも日吉はさっきの罪悪感を引きずっているのか、やけに優しかった。俺の腰を両腕でそっと抱き、ぬとっ、ぬとっ、ぬとっ、と屈強ながらも甘やかな力加減で俺のナカをゆっくりゆっくり掘り返していった。——たっぷり時間をかけてじわじわ追い詰められていくようで、かえって悶絶しそうだったけど。
日吉は俺にどこが気持ちいいのかって訊き、俺の返答によって腰遣いを変えたりもした。もっと奥、もっと手前、あとちょっと右……って正直に答えるたび、日吉のペニスが俺の性感帯を正確に狙い撃った。だから俺は前立腺で五回もイかされた。何度も思考がトんで感覚がマヒして体がおかしくなりそうで、もうやめてって泣いたけど日吉は俺を解放してくれなかった。
「日吉、俺もうヘンになっちゃうよ……」
「いや最初からヘンだよ、お前」
「そんなこと、ない……っ♡」
汗だくの体から水滴が飛ぶ。パン、パン、パン、って肉のぶつかる音が続く。俺のお尻は日吉の腰に打たれてひしゃげたり、戻ったり、潰れたり。脚はがくがく震えて、体幹にも力が入んなくて、窓枠にすがりついて耐えるのがやっとの状態だった。日吉はピストンを続けたまま背後から俺のお腹や胸をまさぐり、乳首をとらえて指先でぐりぐりといじめ倒した。
「あっ♡ あぁん♡ やだぁ、日吉っ……♡」
「やだって反応じゃねーだろ、それ……」
「やッ……ぁ、ほんとにだめ、もう……っ♡」
左右の乳首を執拗にこねまわされる。気持ちよすぎて怖くなって逃げようとしても、逃げられない。その刺激だけでもヤバいのに、日吉の唇が背中やうなじや耳まで責めてくるから俺はホントにどうにかなりそうだった。うしろから耳たぶを舐められ、甘噛みされ、あたまのなかがエッチな水音でいっぱいになって、脳を支配されるんじゃないかって恐怖で背骨がおののいた。日吉はあいかわらず俺の弱点を狙い撃ちにしながら、ラストスパートをかけるように律動を速めた。
「……鳳、俺さ——」
声が。息がかかる。熱く耳に。
日吉は俺の耳元でなにかをささやいた。だけど日吉の吐き出すものを受け止め続けた俺はとうとう壊れてしまい、彼の言葉を聞き取れないまま夢へと堕ちていった。
***
全国大会で優勝した夢をみた。悲しい夢だった。
表彰台とか優勝旗とか、わかりやすく劇的な場面が出てきたわけではない。ただ決勝戦の日の夜に日吉と肩を並べていつもの帰り道を歩いているだけの、短い夢。
俺も日吉も、たわいのないことばかりしゃべっている。大会の昼食で出てきたケータリングのお弁当がおいしくなかったとか、暑すぎてどこかの学校のベンチで制汗スプレーの缶が爆発したらしいとか、明日から大急ぎで夏休みの宿題の残りを片付けなきゃいけないのがユーウツだとか。試合でのお互いの戦いぶりについて、勝利について、そして部長・副部長として二人で積み重ねてきた努力とその結実について万感をもって語り合ったっていいはずなのに、そういうことはひとつも話題にのぼらないのだ。
日吉の頭上には小さな王冠がある。まだ装飾のついていない、金だけでできたシンプルなかんむりだ。俺たちがとりとめのない雑談を交わすたびに、その応酬のひとつひとつが色とりどりの宝石に変身して王冠にくっつき、王者となった日吉の栄光を彩っていく。たわむれの軽口も、とるにたらない相槌も、俺と日吉のちっちゃな交感の数々がすべて祝福のための輝きになる。だけど俺たち自身は、そんなことには気づかないまま。幼い頃から幾度となく繰り返してきた二人の日常の続きを、いつもより少しだけ上機嫌な足どりで歩いていく。ときどき俺の言葉に皮肉を返しては満足そうに口の端を上げる、いじわるで優しくてかわいくてかっこいい王様の頭にのせられた小さなかんむりが、夜道の中でひっそりと誇らしげに光を放っている。
そういう、夢だった。
***
意識がさめたとき、俺はソファの上に寝かされていた。しかも服まで着せられて。
顔面蒼白になってこちらを覗き込んでいる日吉と目が合う。日吉が俺をここまで運んでくれたのか、俺より小柄なのにすごいな……って、半醒半睡の頭がぼんやりと思考する。またしても泣きそうな顔をしていた日吉は、安堵したように表情をゆるめて長い息を吐き出した。
「このまま死なせたらどうしようかと思った……」
頼りない声を出す日吉の右手に、スマホが握られているのが見えた。ディスプレイには119番に電話をかけようとしていたらしき画面が映っていて、俺はつい噴き出してしまう。
「な、なに笑ってんだよ」
「だって日吉、いきなり救急車はおおげさだよ」
「うるせー……こっちは笑い事じゃなかったんだよ」
「ふふ、心配してくれてありがと。俺、何分くらい寝てた?」
「寝てたっていうか……」
と言って、日吉はスマホに目を落とした。
「十分も経ってないけど。寝てたんじゃなくて失神してただろ」
ソファの上でゆっくりと身を起こす。体のあちこちに痛みと疲労が残っていたけど、どちらも快い消耗の感覚だった。壁の時計を見ると、針は下校時刻の三十分後をさしていた。
「その、大丈夫か。どっか痛かったり……」
「ん、まぁ痛いけど……」
「もし立つのがキツいなら、俺が背負って——」
「もー、だからおおげさだって! ぜんぜん大丈夫だよ、ほらっ」
不安そうな日吉の前で、俺はそれこそおおげさなくらい元気っぽい所作で立ち上がってみせた。日吉は懐疑の目で俺を見上げ、でも追及はせずに引き下がった。
「……ならいい。荷物まとめろ、帰るぞ」
「うん」
日吉の指示に従って、部室に広げたままだった私物を回収していく。A4のファイルとペンケース、水筒、それから雨傘。帰る準備が整ったとき、日吉はドアの前で俺を振り返った。
「……さっきは悪かった。俺、やっぱり加減がきかなくて……」
「謝らなくていいよ。したいって先に言ったのは俺だし、気持ちよかったし」
部室から出、日吉の一歩あとについて廊下を進む。下校時刻を過ぎているんだからあたりまえだけど、部室棟の中はひとけがなくてしんとしていた。さっきより弱くなった雨音のなかに、俺たちの足音がひたひたと響いた。
いつもの階段を下りながら、俺は日吉の背中に問いかけた。
「日吉も気持ちよかった?」
「……ああ」
と、日吉はめずらしく素直にうなずいた。
***
もう日没の時間なのに外はむしあつくて、サウナのような熱気が体を包んだ。昇降口で傘を開くと、日吉は俺の横で「あっ」と短い声を出した。
「俺、傘持ってないんだった」
「あれ? 日吉、いつも置き傘してるじゃん」
「きのうクラスのやつに貸して、返してもらうの忘れてて……」
「そっか。じゃあ入っていきなよ」
「悪い。助かる」
俺たちは二人で一本の傘に入って帰路をたどった。相合傘みたい、って当然考えたけど口には出さなかった。セックスをしたって、俺は日吉の恋人ではない。
歩いているあいだに雨は弱くなったり強くなったり、不安定に傘を鳴らした。天の神様がシャワーで地球を揺らしているみたいだった。だだだだだだだと傘を打つその水音を聞きながら、俺は急にこの帰り道が終わるのが怖くなってきた。
中学生なのに、友達なのに、男同士なのにセックスなんてことをしてしまって、俺と日吉は明日からどうなるんだろう。明日また部活で普通に顔を合わせて、昨日までのように普通に言葉を交わして、昨日までのような普通の友達に戻るなんてことがはたしてできるんだろうか? 俺は昨日も明日も日吉が好きだし、日吉も友達として俺を好いてはくれるだろう。だけど、今日の出来事をなかったことにはできない。さっきはとにかく夢中だったから先のことなんて何も考えられなかったけど、もしかすると俺はとりかえしのつかないことをしでかしてしまったのかもしれない。長い時間をかけて築いてきた俺と日吉の関係を、一日にして洗い流してしまうような。それならいっそこの大雨で地球上の何もかもを洗い流して宇宙の海に沈めてください神様——って祈ったけど、俺の十字架は壊れちゃったから神様には届かない気がした。
「……ねぇ、コンビニ寄っていい? 俺アイス食べたい」
明日がくるのが怖い。今日が終わるのが怖い。だけどどうすればいいのかはわからないから、俺にできるのはせいぜいこの帰り道を引き延ばすことくらいだった。
「ああ、構わないぞ」
日吉は傘の中でうなずいた。実際に空腹でもあったから、俺はコンビニに入って本当にアイスを買った。「ラクトアイス」じゃなくて、ちゃんと「アイスクリーム」って書いてある、生クリームたっぷりのバニラアイスだ。日吉はおかかのおにぎりを買っていた。カロリー低いなって思ったけど、食べないよりはいい。
イートインスペースは満席だったから、近くの公園の東屋で雨宿りして食べた。東屋といっても、小さな屋根の下に古びた木のベンチが一つ置いてあるだけの狭いスペースだけど。
日吉は几帳面な指遣いでおにぎりの包装を剥き、だけど口には運ばないまま、どこか遠くを見つめていた。
「……日吉、今日のお昼ってなに食べた?」
「え? えーと……ざるそばと冷奴とゆで卵、だったな」
「ゆで卵って、何個?」
「一個だけど……」
「じゃあ朝ごはんは?」
「普通に白米と味噌汁と焼き魚とおひたし……って何の問診だよ、これ」
頭の中で、それぞれのメニューの三大栄養素量と熱量を概算する。PFCバランスは悪くないけど、熱量は1000キロカロリーに達するかどうかも怪しいラインだった。俺たちの年齢で日吉くらいの体格と活動量なら、一日に3000キロカロリー程度は摂るべきなのに。
「毎日ハードに運動してるのに、食事量がそんなんじゃ痩せちゃうはずだよ。もっと食べなきゃ」
「だからお前は親かって」
呆れ顔で本日三回目のツッコミを入れてから、日吉はふいに真剣な面持ちになった。
「……ちゃんと食うよ、もう。心配かけて悪かった」
なにか吹っ切れたようなつぶやきのあと、日吉はおにぎりを食べ始めた。彼は運動部男子にしては食が細いし、一口ごとにきちんと時間をかけて咀嚼する人だから、食べっぷりはよくない。俺はその様子を横目で見ながらアイスを開け、木のスプーンですくって食べた。つめたいバニラの甘さが舌先にのるだけで、疲れた体の全細胞が喜ぶような多幸感が広がった。
日吉は黙々とおにぎりを食べ進め、やがて完食して「ごちそうさま」と手を合わせた。
「なぁ、鳳」
「うん?」
「お前、高等部でもテニス部に入る気でいるか?」
「……」
うんともううんとも答えられず、俺はただ日吉を見た。
日吉は十日前と同じ姿をしていた。全国大会決勝戦の会場で見たのと同じ姿を、していた。刃物のような緊張を全身にみなぎらせ、きつく握った拳を両膝に置き、ぴんと背筋を伸ばしてベンチに座っていた……瞳に宿った炎が、ただ勝利だけのために燃えていた。
俺は驚きで目をみはった。日吉の問いかけが、彼の半分を俺に明け渡すとともに、俺の半分を彼に明け渡すことを求めるものだとわかったから。
——日吉は俺でいいの?
という疑問が心を支配した。それはもっと正確にいえば、「日吉は俺なんかでいいの?」ということだった。男であることも友達であることもチームメイトであることも否定した俺なんかで、日吉はいいの? と。
だけど俺は答えを聞くまでもなく知っている。日吉は決して妥協しないし、嘘もつかない。彼は「俺“で”いい」のではなく、「俺“が”いい」と考えてくれているのだ。そうでなければ、自分の片側を俺に託そうとしたりするわけがない。
そんな日吉に対して、俺はなんて失礼なことを考えていたんだろう。長い時間をかけて築いてきた関係を一日にして洗い流してしまった、なんて。
「……日吉は、俺に来てほしい?」
「え?」
日吉は困惑顔で俺を見た。
「いや、質問で返すなよ。俺はお前の意向を聞いてるんだ」
「いいじゃん。参考までに聞かせてよ」
「……だって鳳、俺が『来てほしい』って言ったら絶対それに従うだろ」
「うん」
「『うん』じゃねーよ……ちょっとは主体性とか意思とかを持ったほうがいいぞ、お前」
「意思なんて……」
俺に一人称も二人称も矯正させた張本人が何を言うんだろう、って思う。日吉の望みに沿うことこそが、俺の意思だ。日吉がまだ俺を望むなら。
俺たちがいる東屋から少し離れたところに、色あせたジャングルジムがあった。日吉はそこに視線を投げ、はあっと大きくため息をついた。
「……もう『来てほしい』って言ったのと同じことだろ、これ」
「ふふ。そうだね」
ちょっと照れたように唇を曲げる日吉の隣で、そっと目を閉じる。まぶたの裏に、さっき見た夢の中の景色が浮かぶ。あったかもしれない過去の夢が、あるかもしれない未来の夢へと色を変えていく。
「俺、また副部長やりたい。日吉の横で」
「……そう言ってもらえるのはありがたいけどさ、『次は部長を目指す』って考えるべきじゃねーか? それが向上心ってもんだろ」
目を開けると、日吉はいつもどおりの冷静な顔をしていた。だけど、その口元が少しだけ愉快そうに力んでいるのも俺は見逃さなかった。
「日吉、俺に部長の座を譲る気なんてないくせに」
「それはそうだが、そういう問題じゃなくて……」
「……それに俺、日吉の後ろ姿が見たいんだ。部長として俺たちの先頭に立って目標を達成するときの」
うしろすがた、と小声で復唱して、日吉は不可解そうに眉を寄せた。
「俺にとっては、日吉の望みが自分の望みだよ。そういう考え方も、日吉には理解できないだろうけどさ」
「……ヘンなやつ」
日吉はまたジャングルジムに目をやった。日吉とは昔からいろんな場所で遊んできたけど、あのジャングルジムには登ったことがない。
俺は最後の晩餐の気分でバニラアイスを口に運び、深呼吸をした。もしも思い出があったら耐えられなかったかもしれないな、と考えながら。
「……俺、その日までには諦めるから」
「は?」
「日吉を、好きなこと……。自分にどこまでできるかわからないけど、ちゃんと対等な男友達になれるように努力する」
返答はなかった。口の中で、アイスの後味が薄れていった。
「……もうだめだと思ったんだ。あんなことをしちゃって、俺はもう日吉とは一緒にいられないんだろうなって。でも日吉はまだ、一緒に戦うための仲間として俺のことを望んでくれてる……ちょっと信じられないよ。だから俺、そういう日吉の気持ちに応えられる人間になりたい」
こんな俺のことを“戦友”として必要としてくれる日吉の心に、今度こそ報いたい——それは半分本心で、半分嘘だ。とことん受け身で彼から愛されたいって欲望も、きっと永遠に消せない。それでも、せめて上手な隠し方くらいは覚えなきゃいけない。
「今日は本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないけど……」
日吉は何も言わなかった。内心の読めない仏頂面で、雨の中のジャングルジムをにらんだままだ。
沈黙をやりすごすために三口目のアイスを食べたところで、日吉はようやく口を開いた。
「やっぱり聞こえてなかったよな、さっきの」
「へ?」
唐突な言葉に思考が止まる。日吉はしばらく横目で俺の顔を見たあと、俺が持っているアイスのカップに視線を落とした。
「……俺、昔から好きになれねーんだよ。砂糖どっさりの甘ったるいクリームとか」
「えっ? ……あぁ、そうだよね。日吉はしょっぱい系の和菓子とかのほうが……」
「ああ。——でも人体のメカニズムとして、甘いものは絶対に“おいしい”って感じるようになってる。糖分とって血糖値が上がると脳内麻薬が出て、どうしたって幸せだって感じるように体ができてる……糖をエネルギー源にして生きる動物としての生存本能だ」
「う、うん……?」
——やばい、日吉が何を言っているのか全然わからない。いや「血糖値の上昇による神経伝達物質の分泌」の理屈は一応わかるけど、それを今この場で突然語り始めたことの脈絡がわからないのだ。
混乱する俺の隣で、日吉はどこか悔しげな声を続けた。
「俺はデザートだのスイーツだの、なんか軟弱だって思う人間だしさ。そんなものに頼らなくても生きていけるだろって……たとえ常に手の届く場所にあっても、軽々しく手を出してしまうのは甘えだろう、って」
「はぁ……」
「それでも」
と強い声で言って、日吉はさっき以上に大きなため息をついた。
「……やっぱり幸せだ、どうしようもなく。飢餓状態のときは特に……」
それはまるで日吉らしくない言葉だった。自分の負けを認めて全面降伏するような、自分の主義主張の芯をぽきりと折ってしまうような。
「えっと……。日吉、もしかしてこれ食べたいの?」
あいかわらず混乱している俺の脳が、かろうじて絞り出した解釈がそれだった。
「……そうだな。一口もらう」
そう言って日吉は俺を見た。木のスプーンを差し出すと、日吉はそれを受けとってカップからバニラアイスをすくい取り——次の瞬間、俺の口元にスプーンの先を突きつけた。
「えっ……」
「食えよ」
有無を言わさぬ口調で命令されたら、俺はもちろん従ってしまう。日吉の手からものを食べさせられて、血糖値の上昇とはまるで無関係な幸福感が全身にいきわたる。
やっぱり自分には日吉と対等な男友達になることなんてできないかもしれないって自嘲した、そのときだった。日吉の右手がスプーンを投げ捨てるのが見えたかと思うと、その行為に動揺する間もなく両腕をつかまれた。日吉は険しい顔で俺を見上げた。険しいのに赤い顔が目の前に迫ってきた。ふわんとやわらかい感触に唇を押されても、何をされているのか思考が追いつかなかった。
やがて濡れた舌が俺の唇を舐め、前歯をこじ開けた。日吉の舌先は俺の歯や口蓋や舌に付着したアイスクリームを奪い取るように口の中を舐めまわし、俺の全神経を痺れさせて離れていった。
「……」
心臓が痛い。ほっぺたが熱い。ほんの一瞬の嵐を受け止めた体が、それが嵐であったことをようやく理解する。
日吉は表情を隠すみたいにそっぽを向いたけど、髪のすきまからは真っ赤になった耳が見えていた。
「……くそ。甘ぇ……」
お砂糖と一緒に煮込まれてふやけたような声が、とろとろと溶けて消えていく。もっと聴いていたいと思えば思うほど、耳の奥の余韻さえ遠ざかる。
バニラと雨の匂いがまざりあって夢の終わりを告げた、それが俺のファーストキスだった。
[24.07.28]