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中3の11月、付き合ってる設定。
※R15程度の描写があります。

秘密の星


 はぁっ……と吐き出された息が白くなって夜の闇に広がり、日吉は寒そうに両手をすりあわせた。

「日吉部長、おつかれさまでーす!」

 背後から聞こえてきた軽快な声が、さらに軽快な足音に変わって、あっというまに俺たちを追い越していく。寒いから気をつけてねー! と叫んだ俺の声が消えるより早く、一年生たちは校門を抜けて大通りへ走り去っていった。俺と日吉はいつものように並んで学校を出、ひとけのない脇道に入って帰路をたどった。ひとけがないといっても下校の時間帯だから、視界にはちらほらと氷帝生の姿が見えることもあった。みんな日吉みたいに学校指定のダッフルコートを着ていたり、俺みたいにマフラーを巻いていたりした。まだ十一月の初めなのに、景色はすっかり“真冬の帰り道”だ。

「あいかわらず元気だね、あの子たち」
「鳳の練習メニューがヌルすぎたんじゃねえのか」
「え?」
「あんな大声を張り上げられるような体力、残させなくていい」
「え~……俺そこまでスパルタになれないよ」
「だから甘いんだ、お前は——

 と言いかけた声が止まり、くしゃみの音に取って代わられる。

「……くそ、寒いな」

 日吉は風邪ひきの子供みたいにはなをすすった。どんどん暗くなっていく夜の色の中で、ダッフルコートの細い背中が上下にふるえた——その瞬間、俺は右腕をのばして彼の手を握っていた。

 日吉の指はひやりとして冷たかった。周囲に人の気配は、なかった。だけど日吉はおびえるように身を引いて、俺の手を強引にふりほどいた。

「……なっ、何すんだ!」
「ご、ごめん……」
「何考えてんだよ、こんな学校のすぐそばで……。人目のある場所でそういうことはするなって、前にも言っただろ!」
「……ごめんなさい」

 想像よりもずっと強い拒絶に、俺はうなだれて謝ることしかできなかった。日吉ははっとしたように目をみはり、少しだけ申し訳なさそうに眉を寄せたけど、そのまま何も言わずに帰路の続きを歩き始めてしまった。

 俺は黙って日吉の一歩うしろを歩いた。コートのポケットに突っ込まれてしまった彼の手をにらみつけながら——あまりにもつれない恋人に向かって、心の中で恨み言を並べながら。途中でふと視線を上げたら、天には無数の星が見えた。きょうは一日中空気が澄んでいたからか、東京都内とは思えないくらい見事な星空だった。冷たい空気の中で見る夜空が綺麗すぎて、俺のまぶたには涙があふれ、星の光は花火の終わりみたいに流れていった。

 世の中には優しくない人もいるし、うれしくないこともあるから、きちんと人目を気にして自分を守っている日吉は正しい。俺だって、それくらいは理解している。

 理解しているからこそ悲しいのだ。だって俺は日吉が寒がっているのを見たら、“きちんと”している余裕なんてなくなってしまう。日吉の手にふれたい衝動に駆られたら、“正しい”判断なんてどこかに飛んでいってしまう。

 だけど日吉はそうじゃない。彼はいつも冷静で、だから俺は悲しい。

 俺ばっかりいつまでも片想いみたいでむかつく、って思った。思った瞬間、日吉は突然足を止めて俺を振り返った。——俺の心の声が聞こえたんだろうか。

「あのな!」

 と声を張り上げて、日吉は俺をにらみつけた。

「……な、なんだよ」
「念のために言っておくが」

 と前置きをして、日吉は俺から目をそらした。ふてくされるように——あるいは照れるように。

「俺は断じて自分の保身なんて考えてない。……ただ、俺のせいでお前に累が及ぶようなことは絶対に避けたいと思ってるだけで」
「るいがおよぶ……」

 どういう意味だっけ、って頭の中で国語辞典をめくる。

 俺の脳が「る」のページに辿り着くより早く、日吉は続けた。

「誰に何を見られて何を言われたって、俺はいまさら気にしねーけどさ。そういうわけにはいかないだろ、お前の場合は」
「え……」
「鳳は俺みたいに図太くないから、俺のほうが気を張っててやらなきゃダメだって、それだけで……。だから、その……べつに触られるのが嫌だとか、思ってるわけでもねえし……」
「……」
「……つーか、むしろ逆、っていうか……あくまでも人目は憚るべきだって言いたかっただけで」

 日吉はところどころ声をつっかえさせながらしゃべった。日吉らしくない、歯切れの悪い話し方だった。俺は多分、ぽかんと間抜けな顔をして彼の言葉を聞いていた。

「日吉……」

 向かい合って立つ俺と日吉の間を、風が通りすぎていく。風音が消えたあとの静けさの中で、星の光が雨になって降っているように俺には見えた。

「……つまり日吉は俺を大事にしたくて、守ってあげたくて、俺に触られるとうれしい、ってことか?」
「っ……だ、誰もそこまで言ってねえだろ!」
「え、言ったじゃん」
「言ってねーよ!」
「言ってないけど……言ってないけど言ったよ」

 だって、もしもこれが国語のテストだったら。傍線部の登場人物の心情を簡潔に要約しなさい——って問題だったら、傍線を引かれた日吉の心の正解はきっとそんなふうになるだろう。

「俺うれしい。日吉が俺のこと、そんなに……」

 ふと、懐かしい記憶が脳裏に浮かんだ。幼稚舎のころ、日吉と一緒に夜の公園で天体観測をした日の記憶だ。

 今日と同じように、空気が冷たい秋の夜だった。薄着で来てしまった俺に上着を貸してくれた日吉は、次の日から風邪をひいて学校を休んだ。俺はもちろんお見舞いに行ったけど、彼の部屋に通してもらうことはできなかった。

 日吉はきっと俺のせいで風邪をひいたことを怒ってるんだって考えて、当時の自分は落ち込んだ。だけどもしかすると、あれは俺に風邪をうつさないための日吉の気遣いだったのかもしれない。

「……お前は男のくせに打たれ弱いから手がかかる、って話だ。うぬぼれんな!」

 日吉は赤い顔でそっぽを向いた。暗い路地の中で、その後ろ姿は星の雨を浴びてキラキラ輝いた。まぶしかった。俺はまた手をつなぎたくなってしまった気持ちをぐっと抑えて、彼の耳元でささやいた。

「……ねぇ、つまり人目がなければいいんだよね?」
「え……」
「行こ。誰にも見られないとこ!」
「えっ」

 俺は興奮のままに駆け出し、日吉は困惑した様子で俺のあとをついてきた。

 例の天体観測をした公園を目指して、俺は走った。当時より速く夜の道を駆け抜けながら、あのとき日吉と見つけた星のことを思い出していた。はるか遠くの空で青い光を放っていて、ひときわ美しく見えたけれど、理科の教科書を開いても星座の本を見ても、その星の名前はわからなかった。だけど俺たちはあの一夜のあいだに何度も目をこらしてその星を探し、きれいだねって言い合った。名前のない、二人だけの秘密の星。

 あの日の俺たちは、公園のまんなかにあるUFO型の遊具の中から星を見ていた。遊具の内部はドーム状の空洞になっていて、天井に開いた窓から空を見上げることができたのだ。UFOを模したその遊具の形状を当時の日吉はいたく気に入っていて、そこは俺たちの隠れ家だった。

「……ずいぶんちっちゃくなっちゃったね、ここ」
「お前がデカくなったんだろ」
「デカくなったのは日吉も同じじゃん」

 公園には誰もいなかった。色あせたUFOの前で、俺は日吉の手を握った。日吉は今度は俺の手を振り払ったりしなかった。俺はもっともっと日吉にふれたくなった。だけどUFOはもう小さくて、今の俺たちが身を隠すことはできなかった。

「また乗りたいな。あのときみたいに」
「ん……」

 あいまいな相槌を打ってから、日吉はうなずいた。

「……そうだな」

 日吉のその呟きに応えるみたいに——UFOはぼうっと白い光を放ちながら、今の俺たちにぴったりの大きさまで膨らんでいった。そして俺たちを迎え入れるように入り口のドアが開き、俺と日吉は手をつないだまま機内に乗り込んだ。

「やった。乗れちゃった」
「だな」

 機内は明るく、操縦席は二人掛けのソファのような形をしていた。俺たちがそこに腰を下ろすと、背後でドアが閉まり、機体はふわりと浮いて空に飛び上がった。操縦席の前にはボタンやレバーがたくさん設置されていたけど、俺たちが操縦しなくてもUFOは自動運転で夜空の中を進んでくれるみたいだった。だから俺は安心して日吉を押し倒し、ほっぺたやおでこやくちびるにキスをすることができた。UFOは軽快に飛行を続けた。もう誰に見られる心配もないから、好きなだけ日吉にさわれて俺は最高の気分だった。キスをしているうちに少しずつ体がほてり、日吉の表情もとろんとして、顔は赤くなってきて、どっちの吐息なのかわからない熱がお互いの皮膚を撫でた。

「日吉、顔まっか。かわいいな」
「……っるせえ。誰のせいだよ」
「俺のせい? ……俺のせいで日吉がそんなにかわいい顔してくれるの、俺すっごいうれしい……」

 俺は日吉がムキになることを期待して彼を煽った。そしたら日吉はまんまと下剋上モードになったみたいで、俺の体の下から抜け出して形勢を逆転してくれた。俺は日吉に組み敷かれ、耳をじっとりと舐められたり、深いキスで口の中を犯されたり、首筋に歯を立てられたりした。日吉が俺の体を押し潰し、強引に扱うたびに、俺は興奮で息が深くなった。

「……ん……日吉、噛んだら痕が残っちゃうよ……」

 抗議をしてみても日吉の攻撃は止まらず、俺の首筋に鋭い痛みを与え続けた。ユニフォームやワイシャツでは隠れないところだから、俺は明日からしばらく絆創膏か何かで彼の歯形を隠さなきゃいけない。まったく、「人目は憚るべき」なんて言っていたのはどこの誰だっただろう?

「……なに笑ってんだよ」
「だって……」

 だって幸せだから、って答えるより先に日吉の手が俺の胸を押さえ、そのあとブレザーの中にもぐりこんできて、シャツ越しに乳首をくすぐったりつねったりした。快感にのまれて全身がふるえた。背すじがぞくぞくして、鳥肌が立って、それなのに体の中心は熱くて痛かった。

「ぁ……」

 弱い声がもれてしまった瞬間、日吉はズボンの上から俺の脚のあいだを膝でグリグリって押してきた。だから俺も負けじと彼を押し返した。日吉はますますイジワルな動きで俺の敏感なところをいじめ続けた。勃起した性器と性器が、お互いを欲しがってこすれあう感触。きもちよすぎてアタマの中身がどろどろに溶けてくみたいで、ズボンの布が邪魔だった。UFOはいつのまにか宇宙に着いていたらしく、太陽や月や色とりどりの星たちが窓の外を流れていくのが見えた。

「……日吉、外、きれいだよ」
「え……ああ」
「ねえ、また行けるかな? あの星」
「あの星?」

 このUFOはあの日、小学生の俺たちをあの星に連れていってくれた。遠くの空に輝いてみえた、青い星。いざ自分たちの足で降り立ってみると、そこは何も住まない暗い世界だった。地球より寒くて、俺は何度もくしゃみをしてしまって、そこで日吉が上着を貸してくれたのだ。上着から日吉の体温を感じて、むしょうにドキドキしたことを覚えている。

「また行きたいな……」

 そう呟いたとき、窓の外から青い光がさしてきた。

 あの日、二人で夜空の中に探した星の色だった。宇宙を飛び続けるUFOは、懐かしいその星にぐんぐん接近していき、そして飛行を止めることなく青い光を通りすぎた。甘い輝きの眩しさが目の端に残り、少しずつ薄れて消えた。上着を通して感じるほのかな体温なんかじゃなくて、もっとずっとダイレクトな日吉の熱が俺の体には密着していた。日吉は窓の外を短く一瞥しただけで、すぐ俺に視線を戻し、俺の髪を撫でながらおでこにいくつもキスを落としてきた。

「あーあ……行けなかったね、あの星」
「ん……まあいいだろ、べつに」
「え~。思い出の場所だったのに」
「たかが記憶だろ? そんなもん」
「……そうなのかな……」

 青い星が遠ざかって、思い出まで流れていきそうで、不安になった俺は腕をのばして日吉の体を力いっぱい抱きしめた。ギュッて抱きついてみたら、とりあえず今は日吉の心を捕まえられている気がした。

「おい、痛えよ」
「俺も痛かったよ、さっき噛まれたとき」
「それは……」

 日吉はきまりわるそうに語尾を濁し、俺の顔はいつのまにか笑みを浮かべていた。暖かいのも寒いのも痛いのも、気持ちいいことも、涙が出ることも……たぶん俺たちはいつか忘れちゃう。そういう現実のさみしさが迫ってくればくるほど、胸の中は日吉への気持ちの熱さでいっぱいになって焼き尽くされそうだった。

「……日吉。明日は手、つないで帰ろうね」
「え……」
「自分の保身なんて考えないよ、俺だって」
「……いや、でも」
「俺、日吉が思うほど打たれ弱くないし……そんなことより、一秒でも長く日吉に触ってたい」
「……」

 日吉は沈黙のあとに短い息をつき、「わかったよ」と呟いた。あきれるような、だけどうれしそうなその声を聴きながら、俺は腕の力を抜いて自分の体を日吉にあずけた。もう窓の外にあの星は見えなかった。薄れていくのより速いスピードで、濃く強く気持ちを塗り重ね続けられればいいのに——って叶わない夢をみてしまった俺を乗せたまま、UFOはきらめく流れ星になって宇宙の中を落ちていったんだった。

[24.11.14]


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