2026
Jan
105
根本的には歌詞というより「原作のあの話をあのように解釈したアニメ版」の問題だよな…
あとCDは2012年9月と2014年3月に出ているので、それ以降(13巻〜)の描写を思考の材料にしてもあまり意味ないかも。というメモ
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《それでいい これからは自分の為に》の《それでいい》って、あの全国大会で真っ向勝負を捨てさせたシーンのモノローグに引っかけてるのか……ということにいまさら気づいた。見事な対照で美しい
同志討ち戦のアニメでのモノローグは《これでいい これからは君自身のために》で、多分わざわざ変えている。
こういうの、自分の中にもっと萌えがあれば即座に気づけただろうな…
愛は読解の必須条件ではないが、あると補助線を見つける感度が上がる。
自分は二人の関係性そのものを愛でているというより、その関係性が露呈させる欲望の構造のようなものに惹かれているので、愛とは結構違う。
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改めてアニメ版を見てみて印象的だった、原作には無いモノローグ
《幸村、お前は…全国連覇という重圧を共に背負った、いわば同志》
《だからこそ、微塵の手加減も許されん》
手加減を「しない」ではなく、手加減が「許されない」と、外的な規範・義務感として表現している。自分の意志というよりも、「そうするのが道理」「そうしなければ裏切りになる」という覚悟や緊張感に裏打ちされている。
冒頭での《遠慮はせんぞ》の言い方も、《せんぞ》の前に躊躇らしき一瞬の溜めがある。
歌詞では《本気で勝ちたい》と言っているけど、原作とアニメには「勝ちたい」という表現はない(アニメには「勝つ」はある)。
たぶん本人も意識の上では勝ちたいと思っているけど、無意識の中に「勝ってはいけない」という気持ちが深く根を張っていて、純粋な実力の高低以上にその自己抑圧こそが勝てない理由になっている(気迫で打球の方向すら変えてしまえるほどの男なのに)……と読むのが自分は腑に落ちる。
これは2021年のファンブック(STRENGTH)での《いつしか勝たない方が良いとさえ思い始め》た、という記述を読んだから思うことでもあるけど。
新10.5巻掲載の各能力のレーダーチャートでは二人とも合計は23で同値。残酷〜…
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原作《…テニスを楽しもうと思ったけれど そんな余裕は無さそうだ》
アニメ《テニスを楽しみたいと思っていた… でも、そんな余裕は無さそうだ》
《楽しもう》は意思・決意、《楽しみたい》は願望・希望。前者の場合、楽しむことを話し手が積極的に望んでいるかどうかは判然としない。義務的な心理の可能性もある。
あとアニメ版では「思っていた」という継続的な表現によって、試合前からずっと抱いていた思いというニュアンスが加わっているように聞こえる。
そしてこのセリフから歌詞に落とし込まれているのは《もう余裕はない》だけで、「楽しもうと/楽しみたいと思った」要素は(少なくとも直接的には)書き込まれていない…あの話の中でかなり重要なピースだと思うんだけど。
《不意にボールが 額かすめて世界を切り裂いた
底の知れない 何かが黒色のオーラを纏い覚醒する
絶望さえ 君は打ち砕いたのかい?
恐怖を抱いた 自分にももう余裕はない》
これだけだと、「楽しもうとした(けど叶わなかった)」という心情は伝わらない…これは惜しいかも…
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話のタイトル。原作では「皇帝 VS 神の子」だけど、アニメでは「神の子 VS 皇帝」になってる。確かに後者のほうが自然には感じるけど…原作の語順って別に意図的なものではなかったのか?
いま唐突に思い出したけど、そういえば私この話が入ってる巻のDVD持ってた…(オーコメで日吉くんが喋ってるため)
特典リーフレットに載ってる対談で永井さんが、「本当に感謝している」というセリフについて《モノローグじゃなくて、直接言ってあげればいいのに(笑)》と言ってて、ほんとそうだよな…と思いました
悪いことをしているわけじゃないし、どちらが悪いという問題でも全然ないけど、なんかちょっと色々ズルいんだよなぁ…笑
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これは読解というより一般論あるいは想像だけど、「敵わないから従ってくれている」と感じられることは寂しいのかもしれない。
だからlet me set you freeとbe mine/think of meが並立するという線。俺の呪縛から自由になってほしい、その上で自由意思でもなお俺の傍にいることを選んでほしいという。
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追記:絵的な面での疑問
前提として、原作でもアニメでも、イップスやそれに類する状態に陥った人に見えている(というか“見えていない”)景色は一貫して「真っ暗闇」で表現されていて、「暗く」なることがテキストでも明言されている。




しかし、この話で描写される超強烈な「己の弱い心が作り上げた“幸村の幻影たち”から『君には俺を倒せない』『俺と君の差は永遠に埋まらない』と重圧をかけられる精神世界」は「真っ白な空間」として描かれている。なんで??

(絵のインパクトがすごすぎてギャグのようでもあるけど、こんなに的確な心理描写もないだろうな……原作に忠実かどうかという点は今の自分にはまだ判断できませんが)
考えられる理由の一つは、このあと覚醒する「黒色のオーラ」との視覚的な対比。
これは確実にあるだろうけど、しかしそれだけとも思えない。「イップス=暗闇」という原作設定に明確に反しているので…(そして監督なのか脚本の人なのか演出の人なのかわからないけど、この話を作った人は絶対この二人にめちゃめちゃfetishisticな愛着を持っているとしか思えないので…)
「イップス=暗闇」のルールを正とした上で単純に考えるなら、これは直接的にイップスによって見えている世界ではない。イップス(生理的現象)と並行して別のレイヤーで起こっている何か(精神的現象)を表現している。それこそ「抑圧」のようなものだろうけど…もうちょっと考えて丁寧に言語化したいな。
ついでに言うと「真っ白な空間」って視覚的には、後に描かれる世界大会での回想シーンに近い。
射程が広がりすぎて思考が追いつかなくなってきた。結論が出ないまま終わりそう…
ていうかいわゆるparanoid readingに陥っているような気もする。