2025
November
88
紙本の再録作業。傍点で強調した部分はweb掲載の際にどう処理するのがいいかな
頻出するとくどいから大部分は単純に強調を外すとして、問題は強調を施さないと含意が伝わりにくくなる部分…
引用符 “ ” でくくるのが形式的には無難だけど、傍点による強調と引用符による強調はニュアンスが異なる。
一人称小説において、引用符 “ ” による強調は「語り手自身が強調の理由を認識している」ニュアンスになる一方で、
傍点による強調は「語り手自身は認識していないことを作者が神の視点で強調している」ニュアンスになる…と思う。
なぜなら傍点はルビの一種だから。ルビは語り手の意識のうちを表現したものではなく、作者が神の視点から、読みやすさというメタな事情を考慮して加えるもの。
(前後の文字に紛れないようにという意図で、ひらがなの人名に傍点を付けるパターンがわかりやすい例)
したがって、このような↓箇所は引用符にするとなんか違う……ような気がする。
(※念のため、女の人と〜というのは鳳くんの想像であり誤解でありこの話の世界の中でひよとりは一秒の例外もなく相思相愛)
右下の “症状” は引用符でよい。強調の理由(=語義通りの用法じゃないこと)を語り手自身が認識してるから。
傍点部分はwebなら下線を引くとか太字にするとかの処理だと近い効果が出るのかな…
引用符は文章そのもの(=語り手の意識のうち)に含まれるけど、下線や太字はCSSによるメタな加工なので、感覚的にルビに近い。
でもweb小説の本文内で下線や太字なんてめったに見ないから、形式としての珍しさの印象が強くなって、物語が頭に入りにくくなると思う…
うだうだ書いたけど、ルビって本来「あると親切だけど、なくても物語内容に影響はない」もの。
なので、もし傍点を消したことで意味が伝わらなくなるなら、それは単純に自分の力不足ってだけであり…
ていうか傍点と引用符の印象の違いも万人共通の感覚ではないだろうし世代差も大きいし…
じゃあもう全部消すか。(結論)